短編 | ナノ


▽ ヒミツの話


※ちょっとお下品



「例えばの話だ」

私は目の前の男性ではなく、その右手が持つ団子の串の先を見つめていた。……このお団子は、奢り?それとも、半分だしますって言うべきなの?わからない。この人はいつも、どんな時でも、難問ばかりだ。

「聞いているかい?」
「あっはい、すみません」
「うん」

串の先が揺れる。利吉さんは続けた。

「例えば、そうだな、君の先輩にしよう。潮江文次郎と一夜を共に出来るかと聞かれたら、君はなんと答える?」

思いがけない言葉に、私の視線は利吉さんの顔の真ん中へ戻った。

……今、なんて?

「……いちやを、ともに?」
「そうだ。……意味を説明した方がいいかい?」

利吉さんが意地悪く笑う。その表情から、先ほどの質問を正しく理解して、私は慌てて首を横に振った。
こんな、真昼間の、街中の甘味処で、突然若い男女が猥談を始めるなんて、とんでもない。

「いえ、いえ、いいです。えーっと、潮江文次郎先輩?」

なにがどうしてそんな話になったんだろう。
さっきは、確か、うーん、お団子の話をしていたはずだったのに、突然、なんだこれ?

私は頬をかいた。何故突然、潮江先輩なのか。何故突然、潮江先輩と私が致すことを想定しなければならないのか。
しかも、利吉さんは優しく見えて、厳しい。案外にスパルタなのだ。そりゃあ、彼も学園から報酬を貰って、この講師の仕事を引き受けているのだから、責任をもって毎回授業してくれているのだけど。
回答は素早く、正確に。叩き込まれた反射神経だけで、私の口から答えは飛び出した。

「いけます」

端的すぎるだろう。馬鹿か私は。

「えーっと、ただ、童貞すぎて厳しいですけど、」
「じゃあ、立花仙蔵は?」

私は目を瞬いた。私の回答を遮って、今度は立花先輩?

立花先輩と過ごす夜を想像しかけて、二の腕に鳥肌が立つ。空恐ろしい……。

「できればご遠慮したいところです」

ドSすぎて。

「では、中在家長次」

私は首をかしげた。

「……ん?夜の話ですよね?……案外、いいかも?」
「七松小平太」
「ごめん被りたい」

即答するしかない。想像するだに恐ろしい。
利吉さんはテンポよく、団子の串を軽く振っていく。

「食満留三郎は?」
「まぁ……溢れ出る童貞臭に耐えられるかどうかですね」
「善法寺伊作」
「伊作先輩……?」

伊作先輩との夜ってなんだろう。それは、伊作先輩は、夜中なのに女の部屋までたどり着けるって設定で考えるの?穴にも罠にも床にも嵌らずに?来てくれるの?設定から無理がありすぎる。

「まぁ……普通に、優しそうですよね」

物足りないような気もするけど、潮江先輩や食満先輩よりはマシだ。伊作先輩は、非童貞にしか見えないし。慣れてそうで安心感はある。……部屋までたどり着けたら、の話だけど。

「では、土井先生」
「土井先生!?」

教職にまで話は及ぶのか。本当になんなんですか、今日のこれ……。

いつもと同じように学園正門で待ち合わせて、街へ降り、ごく普通にデートをした。今日は、自分に気のある男をより本気にさせる、というテーマの授業だ。利吉さんは、それはもう、演技が上手い。この人まさか本当に私に気があるのでは……!?と少し疑ってしまうくらい、演技が上手かった。で、講評のために休憩しようと最後に立ち寄った甘味処で、この話題だ。

「いいから、土井先生だと、どう思う」
「えぇー……?そうですね……慣れてそうで、ちょっと、嫌、かなぁ」

自分の未熟さが浮き彫りになりそうで。そう付け加えると、利吉さんは鼻を鳴らした。

「あの人はそういうの好きだろう」
「……そ、うですか」

それは、別に、聞きたくなかったなー!?

そして、それから利吉さんは学園の先生方の名前をまたテンポよく列挙していく。だいたいの名前は私にはNGだ。おじさんはちょっと……。

「私の父ではどうだい?山田伝蔵」
「あ、山田先生は、妻子持ちでなければ、お金を払ってでもお願いしたい」
「伝えておこう」
「勘弁して」

そこまでいって、利吉さんの右手の団子の串の先が、ふと、私の方へ傾いた。

「ならば、私は?」

ぱちくりと、瞬きをする。ん……?

「利吉さんですか?夜の?」
「そう、夜の、私」

私はたっぷり10秒考えて、首を捻った。

「うーん……。わからないです。私にとって利吉さんって、そういうのじゃないので、想像もつかないというか」

そう。確かに、歳の近い異性なのだけど、私にとってこの人は尊敬、憧れの対象なのだ。床を共にするというのが、どういうシチュエーションでも思い浮かべることができない。

利吉さんはたいして表情を動かさず、頷いた。

「そこは、喜んでと言ってほしいところだったが、まぁ、そうだろうね」
「あ、すみません、まだ授業中でした?」
「いや、これは雑談だよ。大丈夫」

うんうんと、利吉さんは頷く。

「そこで、最後の質問なんだけれどね」

最後。わけのわからない質問がそろそろ終わる。早く種明かしを聞きたいところだ。
私は湯のみに手を伸ばした。温かいお茶で喉を潤す。

「君の同級だったらどうかな」

唇の端から、お茶が漏れた。

どうかな、の意味は言わずもがなだ。この流れで、「どんな人かな?」なんて聞かれるわけがない。
奴らと?一夜を共に?過ごせるか?

「汚いよ」

利吉さんは穏やかに、それはもう穏やかに笑って、私に手拭いを差し出した。慌てて手を振って断り、自分の手拭いを取り出す。派手に吹き出さなかっただけ許してほしいくらいだ。

「えーと……誰、の、話、ですかね」
「五年生なら誰でも良かったが」

利吉さんは懐からノートを取り出して、何やら書き付けた。講評だろうか。

「例えば、鉢屋三郎」

お茶と唾液が絡んで、むせた。

六年生の先輩方は、い組から始まった。なので勘ちゃんか兵助あたりが来るかと思って、身構えていたのだ。

「ちょ、っと待ってください、えーと、三郎?三郎ですか」

雷蔵と同じ顔でニヤニヤと笑う男を思い浮かべる。なんだかんだ言いつつ優しくて、実習などでは、最後には必ず助けてくれて……じゃないや、夜?

「竹谷八左ヱ門は?」

利吉さんはノートに何事か書き付けながら、チラリと目線をこちらへやった。うわ、色っぽい!さすがです!

「待って、待ってください、八左ヱ門ですね、えーと」
「尾浜勘右衛門」
「はやい、早いです利吉さん!」

矢継ぎ早に質問を繰り出しながらも、利吉さんの手元はサラサラと動き続ける。相変わらず達筆だなぁ……。

「なるほど、君は学園のほとんどの男を恋愛対象として見たことがあるわけだ。想像したことがあるんだろう?逆に私は、そういう対象ではない」

書き終わったのだろうか、墨を乾かすように手で扇ぎながら利吉さんが言う。

「は、はぁ……」
「何人か、実際に寝たことのある男もいただろう」
「……」
「そして同級に恋仲がいる」

もうさすがにむせなかった。ため息をつく。

「安直ですよ、利吉さん」
「私が君に、恋仲でもいるのかい?と聞けば君は綺麗にかわしただろうね。質問の内容と順番を入れ替えるだけでこちらの真意を隠し、相手を混乱させ、求める情報を手に入れる、これも忍術だ。何の術というか覚えているかい?」

五年生の誰かと恋仲なのは決定事項なようだ。……利吉さんも、こう見えて頑固なので、訂正は難しそう。

「……忘れました」
「よく確認しておくように」

墨はかわいたのだろう、利吉さんがノートを閉じて、それで軽く私の前髪あたりをはたく。

「さて、それでは私は行くよ」
「えっ、今日は学園には寄らないんですか?」
「これから別の仕事でね」

立ち上がった彼に私もノートを抱えて続く。これは山本シナ先生に提出しなければ。

「はぁ、その……頑張ってください」
「君もね。……今はまだ誰にも言わないでおいてあげよう」

その言葉の裏には、学園の誰にも絶対にバレるなよ、という忠告がある。
私は頭を下げた。

「じゃあ、また」
「はい、今日もありがとうございました」

どうやら、お団子は奢りで良かったようだ。


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