▽ 台風の話
※へいせいくくち番外
「台風すごいなぁ」
「でも、今時はテレビやパソコンで台風の進路がわかるから、安全ですよね」
今時、ね。
久々知くんは最近「こちら」と言うことが減ってきた。嬉しいような、どことなく、焦るような。
彼がいるべき場所は、昔なのに。
「あ」
雨の音に雷も混ざり、びくつく心臓を宥めていたときだった。
声を出したのは私か久々知くんか、どちらか。ぶつりと照明が落ちて、暗闇に閉じ込められる。
「停電か」
「停電!?」
久々知くんの声はめちゃくちゃ警戒してました。あー、照明の使い方は教えたけど、仕組みは教えてないもんね。
何も見えない世界で、私による電気講座が始まります。
「えっとね、照明のこと私普段電気って呼んでるでしょ」
「はい」
「電気ってのは流れるもの、力のことで、家の外から供給されているの」
「……はい」
「その電気って力が供給されてるから照明は着けたり消したりできるんだけど、その電気の通り道に雷が落ちて、供給が止まってしまったみたい」
こんなもんで、わかってくれるかな。
普段は電気を消しても外から光が漏れ入ってくるので、ここまで何も見えない暗闇になることはまずない。
どうしよう、これは下手に動くと危ないな。カーテンの隙間に目を凝らしても、外の光は一切見つけられなかった。
このマンションだけじゃない、辺り一体の停電だ。
「手燭の代わりになるものは、準備してないんですか。あの、心霊スポットとかに持っていくやつ」
懐中電灯のことか?
部屋の空気がふわりと動いて、鳥肌がたった。今空調は一切いれていない。
「俺、見えてるんで探しますよ」
な、なんだ久々知くんが移動したのか。
「ごめん、懐中電灯は買ってない……」
久々知くんがどこにいるのかまったくわからないので、暗闇に呼びかける。
というか久々知くん、見えてるってどういうことだ。
「……仕方ないですね」
この家に蝋燭なんてないのは、おそらく久々知くんもわかっているはず。
なんとなく気配が私に近づいて、何かをガサゴソと漁る音が聞こえた。
待って、私のバッグ漁ってない?
久々知くんはすぐに目当てのものを見つけ出したのか、ボッ、と聞きなれた音がした。
「あああ私のライター!!」
「しばらくはこれで明かりになるでしょう」
なんでこの子オイルライターの使い方一発でわかったの!?この暗闇で!?
いくら忍たまとはいえおかしくない!?私なんにも見えてないんですけど!!
「ちょっと待ってオイル切れる消して」
暗闇にオイルライターの炎は強烈だった。私と久々知くんの周りがひどく明るくて目に痛い。
「でも、明かりがないと怖いでしょう」
「それ、私が怖がってるって言いたいの?」
いや、実際、怖いんだけど。
「いいから、消して」
ライターのオイル問題にはなかなか敏感だ。
久々知くんに5万円のスーツ着せよう!という企画がもしあったら私は迷わず5万円だすだろうけど、ライターのオイルはかなりケチる。
「消していいなら、消しますけど」
「なんでちょっと不満気なの」
カチリと、炎に蓋をされて明かりが消える。部屋にオイルの臭いが漂った。
このにおいが嫌いじゃない。わりと好き。
でも、久々知くんのいる空間に漂っていいにおいだと思えない。
目を閉じて、たてた膝に顔をうずめた。
瞼の裏に、炎が映る。うぅ、この残像はしばらく消えないだろうな。
それから、炎に照らされた、久々知くんの顔も。
どれくらいそうしていただろうか。雷の音が響いて、びくりと身体が揺れた。
まぁ、久々知くんは当然、それに気づくわけで。
「布団、被ります?毛布とってきましょうか」
久々知くんは立ち上がったようだった。思わず顔を上げて、声がした方へ手を伸ばしてしまう。
何も見えていないのだ。手は、何も掴めなかった。
「ここにいた方がいいですか」
何も掴めなかったけれど、掴んでくれた手があった。
「あ、いや、その、寒くはないし、いらない」
「はいはい、隣座りますよ」
「やだ、暑いし、ちょっと、怖いとかじゃないから!」
普段身体がまったく接触しないのは、久々知くんが忍たまだからだ。狭い家に住んでいるのに、うっかりぶつかるということがほとんどない。
それなのに、今はやたらと彼の身体が私にくっついてきた。右側にぴったりと、私と同じように体育座りをしている。
「……どれくらいで回復するかなぁ」
「回復?」
「うん、停電って、わりと早めに元に戻ることが多いの」
なるほど。久々知くんが静かに呟く。彼の左手が、優しく私の右手を床に導き、包んでくれた。
「回復が遅かったら、明日はご馳走だね」
「ご馳走?なんで」
「冷凍庫も、電気で動いてるんだよ」
久々知くんが息をのんだ。買い物に行ったばかりだったから、今かなりの量の冷凍食品が溶けゆく運命の中にあるはず。
「そんな……豆腐はどうなるんです」
「お腹に入るなら、食べていいよ」
歪みないなぁ、久々知くん。そんなことをぼんやり思っていたらまた雷が近くに落ちたらしく、びりびりと耳に響く音に、身体がすくむ。
「……あの、後ろに座って抱えましょうか?」
「怖くないから!!」
さすがにその提案は、のめないです。