さいしょのひ | ナノ



「いらっしゃいませ」

常連のおじいさんと話し込んでいたら、新しいお客さんが入ってきたので慌てて振り返る。
初めて見るお客さんだった。

「あぁ、随分と話し込んでしまったね。そろそろ帰るよ」
「またいらしてくださいねー」

おじいさんを見送って、新しいお客さんに向き直る。

「すみません、お豆腐ですか?」
「うん、ここの豆腐が美味しいって聞いてね。1丁頼む」
「はい、ちょっと待ってください」

男の人だ。そんなに若くも見えないけど、特徴的な長い髪を頭頂部で束ねているのが印象的。

「このお店、ご主人が豆腐作ってるって聞いたけど」

声の調子はとても人懐っこくて、警戒心なんて抱く方が難しい。
でも、目線がどことなく、なにか探るような感じがあって、嫌な感じだ。胸の奥をつま先で引っかかれるような……。

「そうなんです。主人は今材料の買い付けに行ってるんですけど」
「へぇ、結構遠いの?」
「みたいです。そんなに遠くもないと思うんですけどね」

彼の今回の仕事は五日ほどだと聞いた。今夜には戻るはずだ。
注文の豆腐を包みながら、軽く咳がでてしまったので慌てて横を向く。食べ物、それも売り物に咳がかかったらよくない。

「奥さん、身体悪いの?」
「あぁいえ、少し前に悪い風邪をひいて……もうだいぶいいんですけど、すみません、お豆腐変えましょうか」
「え?いや、豆腐はそれでいいよ。美味しそうだ」

今でもたまに咳はでるけど、血を吐くことはもうなくなった。自分の身体のことは自分が1番よくわかっていて、あの夜確実に終わると思っていた命は、しかしまだ続いている。

「でも、そんな体調でひとりだと不安だねぇ。よくそんなタイミングで外出するもんだ、旦那も。ちゃんと文句言った?」

おどけた様子のお客さんに苦笑する。なんと答えたら良いものか。

「文句なんて……。これでも本当に良くなったんですよ、それで主人も安心して」

へぇ、そうなんだ、と呟いて店内をゆっくりと見回すお客さんに、変な不安が湧いてくる。これは、要報告案件かもしれない。










「……ってことがあってね。はい、お湯」
「ふうん。なにもされてない?ありがとう」
「普通にお喋りしてお豆腐買って帰ってった。なにもされてないと思うけど……すごくジロジロ見られて」

ほどよく冷めたお湯に手ぬぐいを浸して絞る。兵助は上着を脱いで、あたたかい手ぬぐいで身体を拭った。

「なまえが嫌な感じがしたと思うなら、忍者かもな」

あっさりとそう言いきる兵助に不安がつのる。私は胸の前で指を組んだ。

「でも……私の直感なんてあてにならないし」
「いや、俺のことはよく知ってるだろ?」
「兵助しかいないもん、忍者の知り合いなんて」
「それはどうだか」

兵助の口元がゆるく笑みをかたづくる。
私は首を傾げた。

「……身近にいるの?お客さん、とか」
「あぁ、なまえに隠してたりはしないから安心して」
「……うん……」

兵助は私に嘘をつかない。本人から聞いたことはないけど、嘘をつかれたことは一度もないと私は確信している。
その代わり、隠し事はとてもとても多くて、聞いても濁されたり、うまいこと話題を変えられたりすることはしょっちゅうだ。それはそれでいいと私は思っていて、今でも兵助の隣にいる。

「……引越しになる?」

昼間のお客さんが本当に忍者だったとしたら、もしかしたらもうこの町には居られないかもしれない。
忍者と一緒に暮らすとはそういうことだ。
あの夜死にかけの私を盗み出した兵助は、私の提案にあっさり乗っかって豆腐屋を開いたけれど、忍者の仕事も続けているから。

「いや、多分その必要はないよ。手ぬぐいありがとう」
「そうなの?」
「まぁすぐにわかるさ。なぁ、勘右衛門?」

受け取った手ぬぐいと桶を手に、兵助と話しながら振り返ったら、目の前に知らない男の人がいた。驚いて桶を取り落とす。

「おっと……危ない危ない」
「あんまり驚かせてくれるなよ、その人は身体が弱いんだ」

知らない男の人じゃない、昼間のお客さんだ。
桶はうまくキャッチしてくれたけど、お湯がびしゃりと床に零れた。服を着ながら、兵助が嫌そうな顔をする。

「その人、ねぇ……。最愛の奥さん?」
「からかいに来ただけか?勝手に家に入るなよ」
「いやいや、ちょっと待ってよ。兵助が大きなお城から病弱な娘さん盗んだって、噂に聞いてさ」
「なにが噂だ、八左ヱ門に聞いたんだろ」

話についていけない私をおいて、二人は手ぬぐいを固く絞って床を拭いていく。

どうやら、兵助のお客さん、みたいだ。
とりあえず、桶は流しに戻しておこう……。

「ね、久々に会ったんだし、積もる話でもさ?」
「お前今なんの仕事してるんだよ」

兵助は本当に嫌そうな顔で、質問は無視していた。
勘右衛門と呼ばれたその人は肩をすくめる。

「二年前に、俺の城がおちたのはどうせ知ってるだろ」
「八左ヱ門に聞いた」
「それから、ずーっとぷらぷらしてる」
「信じられるか」

兵助はそこで顔を上げて私を見た。

「尾浜勘右衛門だ」
「……尾浜、さん」
「昼間の客って、こいつだろ?」

私は頷く。兵助はため息をつく。尾浜さんは楽しげだ。

「勘ちゃんって呼んで!いやーいいお店、いい町、綺麗な奥さん、いいねぇ羨ましいねぇ。仕事も色々あるみたいだし?」
「帰れよ、話すことはない」
「つれないなぁ、同室だろ?」

同室。目を瞬かせた。

兵助はずっと、心の底から嫌そうな表情を崩さないけれど……どこか、違う気がする。普段と違うのだ。
どことも言いきれないけれど、口元や、表情や、指先……あぁ、今は腕を組んでいないからかな?
どこか、気を許しているような……。

あぁ、そうか、忍術学園の。

「……兵助、その。尾浜さんって、忍術学園の?」

おそるおそる問いかける。尾浜さんは元気よく頷いた。

「そう!兵助そんなことも話してるんだ、意外!」
「頼むから帰ってくれ」
「はいはい、わかったよ。奥方の前でこういう話は厳禁なのね」

尾浜さんは肩を竦めて、大きな麻袋をガサリと置いた。その袋には、私も覚えがある。……大豆の袋だ……?

「この人は俺の妻じゃないよ」
「……へぇ?」

簡単に言い放って兵助はその袋を開き、1枚のメモ書きを取り出した。いつもならろくに読みもせず、ゴミ、と私に手渡すそれを、ちらりと見てまた袋に戻す。

「明日の昼にまた来てくれ、店の方に」
「……りょうかーい。悪かったよ、こんな時間に。なまえちゃん、ほんとお大事にね」

嵐のようにやってきて、嵐のように去っていく人だった。
去り際、優しく背中をさすられたことに遅れて気づく。ほぼ初対面の男の人に触れられたというのに、警戒する余裕もなかった、というか、警戒するより先に触れられていた。これが、忍者……。

「悪かった」

兵助が素直に頭を下げる。私は首を横に振って、兵助の顔を両手で掴んで持ち上げた。

「大丈夫。私たちにとって、悪い人じゃないんでしょう?」
「まぁ、……それは、そうだけど」

苦虫を噛み潰したような顔で、兵助がチラリと大豆の麻袋を見る。

「そういえば、中身は本当に大豆なの?」
「うん。今回は仕事の帰りに材料買ってこれなかったし、また買い付けに行ったら不自然だろ」

これは多分、支給品みたいなもの。勘右衛門は、お使いだなぁ。

疲れたように呟く兵助を眺めて、ハッと気づく。そうだ、そういえば、兵助は今日まで忍者の仕事に行っていて、帰ってきたばかりなんだった。

「お腹はすいてないでしょう?すぐお布団敷くね」
「あぁ……いや、自分でやる」
「えっいいよ、ゆっくりしてて」
「昼間、咳がでたんだろう」

語尾があがってはいるけれど、断定的な言い方だった。
責めるような色はないけど……兵助にしては、厳しい声だ。

「また薬を貰ってきたから、明日から飲むといい」

私の身体を座布団に押し込むように座らせて、押し入れから布団を取り出す。細くともたくましい背中に長い髪が流れて、どことなく色っぽい。

「……ありがとう」
「なまえにははやく元気になってほしいからね」

昼に咳き込んだことをどうして知っているの、とか。
その薬草は、いつも誰から貰ってきているの、とか。
気になることはもちろんあるけれど、どうしても知りたいわけではない。

それよりも、もっと知りたいことは他にある。

「兵助、あのね」
「あー、いや、うん」

珍しく、私が聞くより先に困った声をだした。本当に珍しい……いつもは、内容を予想していたって聞くだけ聞いてくれるのに。

布団を敷く手を止めて、兵助が振り返る。少し戸惑ったような表情だ。

「まぁ……あれだよな、その、なんで俺がまだ一緒に暮らしてるかってことだろ?」
「うん、まぁ……そうだけど」

兵助は俯いて、指先で掛け布団の端をはじいた。何度か指でその動きを繰り返してから、やっと顔を上げる。

「さっき、勘右衛門にはあぁ言ったけどさ」
「うん……」
「そろそろ、なまえと本当の夫婦になろうかと思って」
「うん……うん!?」

びっくりした。

なににびっくりしたかって、兵助が全然、冗談や誤魔化しではなく、本気で言っているのが伝わってくることだ。

「いや、ずるいってわかってるよ。なまえはずっと周囲に人間がいなくって、読み書きも歌も香も笛も、俺が教えた。なまえの城の台所女中に変装して、悪い薬を徐々に減らしていったのも俺だ。それでも回復しなかったから、城から盗んだ。いわば命の恩人だし、だから、こんなこと言ったら、」
「へいすけ」
「ずるいのはわかってる。でもなまえ、まだ俺といるだろう?」

そんなに早口なわけでもなく、勢いがあるわけでもなく、いつものようにゆったりと、泰然とした喋り口調だ。
それでも何故か遮るのは難しくて、結局最後まで言わせてしまう。

「……もう少しなまえの身体がよくなるのを待つつもりだったんだけど、先に誰かに変なこと吹き込まれても……困るし」

……困るのか。

そういえば、仲間の忍者同士であれば声にださずとも会話が可能らしい、みたいなことをこの前甘味処で聞いた気がする。……もしかして、尾浜さんとなにか会話?をしていたのかしら……?

というか、えっ??城のお女中に潜入してたって、うちの城だったの??初耳ーー!!

「えーと……びっくり、した。だって私、いきおくれもいいとこで」
「まだ充分若いよ」
「あっうん……多分、兵助よりは若いけど……」
「いや、そんなに変わらない」
「そうなの!?」

そうなの!?びっくりがすぎる。確かに顔は若いけど、雰囲気が落ち着いてるから……。

「えっと、うん、だからその……なんで助けてくれたのって、不思議に思うところもあったんだけど……」
「……うん」
「私は生きてるだけで幸福っていうか……だから、愛想つかされるまでは、兵助の隣にいて、お店手伝ったりしてあげたいなって、あぁ、違うな」

そうだ、違う。

死の世界に片足突っ込んだ状態から、ギリギリ生還した身で、確かに、生きているだけで幸せだと感じる。しかも、布団から離れて、自由に動き回れるのだ。これ以上の幸福はない。
兵助に感謝もしている。できるだけの恩返しをしたい。けれど、それだけが理由と言ったら、絶対に嘘になる。

「好きなんだよ……兵助のことが好きだから、離れがたくて」
「あー……うん」

えっ、なに、その反応。兵助は視線を横へ流して、指先で頬をかいた。

「じゃあ……今夜、一緒に寝ようか」

あっ、え、そういう流れなのか。あれっ!?あ、そっか!?

一気に顔が熱くなる。どうしたらいいかわからず、とりあえず兵助の前に正座した。

「えっと……お手柔らかにお願いします」
「手合わせかよ」

いいツッコミが返ってきちゃった。



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