三郎の肩越しに、振り上げられた刀が見えた。
相手は忍者だ。気配も音もしなくて、私はこの瞬間まで気づけなかった。
「三郎!」
火事場の馬鹿力ってやつだろうか。
自分でも不思議なほどの力で、三郎の身体を引きずり落とす。
「ばか、なにを!」
三郎の身体を引っ張った力は回転方向なので、必然的に自分の身体が上に行く。
肩から背中を深く斬られて、うめき声がでた。痛いというより、熱い。全身の神経が背中に集まっているみたい。
すぐに地面に投げ飛ばされる。私の真下にいたはずの三郎は、私を吹っ飛ばしてすぐに地面を蹴った。
城から盗んできた巻物は、三郎が持っている。彼が逃げ切ってくれたら、ゲームクリア、忍務達成だ。
だいたい、敵の忍者は私たちには強すぎた。戦ってどうこうなる相手ではない。だからこそ、二人でここまで逃げてきたのだ。三郎が逃げるのは当然のことだと思う。
追っていこうとする敵の忍者の足を掴む。思い切り顔を蹴りあげられた。
「……幼さゆえ見逃してやるつもりだったが、邪魔をするなら致し方ない」
くぐもった声とともに、もう1度刀が振り上げられる。
逃げる力も、ましてや応戦する力なんてあるわけがなかった。ただ祈るのみだ。
せめて、三郎だけは生きて帰れますように。
「なまえ、起きろ、起きてくれ、頼む」
小さな囁きに、意識が揺れ動かされる。わずかな月明かりは森の木々が遮ってしまっていて、視界はひどくぼんやりとしていた。
「……なんで戻ってきたの、ばか……」
「何故庇ったりしたんだ」
三郎はうつ伏せに倒れる私の身体を持ち上げた。むき出しの胸のあたりをがさごそと探られる。
「ちょっと、なにしてんの……」
まさかこいつ、異常性癖か?死体愛好家とかそういう系の……?
ゾッとしたら、軽く舌打ちをされた。
「背中、血がとまってないんだ、止血するぞ」
「げ……本気で言ってんの、それ……」
月明かりはわずかでも、位置は良くわかった。この刻限でまだ血が止まっていないなんて、もう手遅れだろう。
「もう無理だよ、わかってるんでしょ」
「なにが無理だ」
「わたし、しぬんだよ」
三郎は手を止めなかった。
「死なないよ」
こともなげに言う。肩から背中をまわって胸元できつく布を結ばれて、痛いはずなのに、それももうわからなかった。血を流しすぎたのだ。
「お前は死なないよ。死ぬものか、絶対に」
三郎はふたたび、今度は自分に言い聞かせるかのように呟いた。私はゆっくり目を閉じる。
「なんか……こんな時、なんて言ったら……いいのかな……」
「眠いのか」
「うん……すごく、ねむい」
三郎がゆるく私の頭を撫でる。その手に擦り寄ってしまいたかった。頭はもう動かせないけれど。
「三郎が死ななくて……よかったよ」
「……それは」
三郎がなにか言ったけれど、うまく聞き取れなかった。
頭を撫でる手は一定でとまらない。意識がゆったりと遠のいていく。
「寝ていいぞ」
「う……ん……」
「起きたら学園だ。おやすみ、なまえ」
起きたら学園だ?嘘ばっかりだ。そんなこと言われたら、死んでも身体だけは連れて帰ってくれるのかと思うじゃん。
どうして私の死体をその場に置いていったのか、恨みがつのる。そりゃ私だって、自分が死んだと思ったけれど!
生きてる、んだよなぁ……。
「本当にお世話になりました。またいずれ、お礼に参りますので」
見知らぬ寺で目を覚ましてから2ヶ月ほど。
全治とはいかないまでも、なんとか歩けるまでには回復した。馴染みのない土地、馴染みのない人々に、忍術学園を知っていますか?と聞くわけにもいかず、連絡は出来ずじまいだ。
忍術学園の関係者で、表の家系をいくつもあげたけれど、寺の人達が知っている名前はひとつもなかった。
こう……たとえば、馬借の加藤村とかが、近所だったらすぐに学園に連絡を頼めたんだけど。
その山の中の寺は、忍務地からも少し離れていたのが幸いした。
この2ヶ月、敵にも味方にも見つかることなく、なんとか体力回復につとめることができたのはとても運がいい。住職が、嫁に出た親族の元へ遠出した帰りに私を拾ったんだと。ありがたい話だ。
学園に戻ったら、実家に連絡してそれとなく寄付をしよう。固く心に決める。優しくていい人達だった。
身体に無理もさせられないので、のんびりと学園まで旅をする。その間三日三晩。
面倒なことがあっても面倒なので、寺を離れてすぐに男装をした。背が高く筋肉質で、胸の膨らみもほとんどないから楽なものだ。よく私も雷蔵に変装して3人で後輩をからかって遊んだりしていたくらい。
のんびり旅をしようと思っていても、学園が近づいてくると、気持ちがはやってくる。
ここまで来たら学園は目と鼻の先だ。最後の街でお昼ご飯を食べて、店を出る。
そろそろ授業も終わる時刻なので、放課後を楽しむ忍たまたちに会うかもしれない。ここは学園最寄りの街だ。
ワクワクするというか、ドキドキするというか。
死んだと思われているのだろうか。皆に会ったら、なんと言われるのだろう。
三郎は、私を見て、なんと言うのだろう。
「……あれ、なまえ?」
通りかかった店からちょうどでてきた男が、怪訝そうに私を呼び止める。
満面の笑みがこぼれるのが、自分でもわかった。
「兵助!」
「……だよね、やっぱりなまえだ。いつの間に男装なんかしたんだ?」
豆腐屋の暖簾をくぐって、兵助が歩み寄ってくる。……なんか、思ってた反応と、違うな?
「それは……ひとり旅だったから」
「旅?」
兵助は私の目の前で、首をかしげた。
「えーっと、兵助?その……私のこと、学園にどう伝わってる?死んだことになってたりしてない?」
「は?どうって……」
そこで兵助は目を見開いた。がしりと肩を掴まれる。
「まさか……まさか、なまえなのか!?」
「え、はい、なまえですけど」
え、さっき確認したよね?
嫌な予感がしてくる。いったい誰と間違えていたのか。何故、死んだはずの私を見ても平然としていたのか。何故今さら、こんなに驚いているのか。
いつの間に男装したのか?という質問は、どういう意味なのか。まるで、男装していない私とついさっきまで一緒にいたかのような、言い方だった……よね?
私は背が高く、身体付きも女性らしさに欠ける。そう……それこそ、三郎と一緒に、雷蔵に変装して遊べるくらいには。
「生きていたのか……!なぁ……!本当に、本物のなまえなんだな?」
兵助の目は涙が浮かんでいた。私はしっかりとその目を見て頷く。
死に際に聞いた、「お前は死なないよ」という言葉の意味が、今初めてわかりつつあった。
三郎は心の弱い人だ。知っているつもりだった。
とても優しくて、繊細で、たくさんのことを考えすぎてしまって、神経質で、自分を強くいつわることの得意な人。とてもとても弱い人だった。
彼の特技と、私の体格がマッチしてしまったのが、運の悪いところというか。
自分の責任を重く受け止めすぎてしまったのだろう。あるいは、私の死が受け入れきれなかったか。……おそらく、両方だ。
とても責められない。予想外だったけれど、こうなってしまった流れは容易に想像できる。それくらい、私は三郎のことをよく知っていた。
よく帰ってきたね、と善法寺先輩が頭を撫でてくれる。
兵助と一緒に忍術学園に戻ってきて、まず医務室に連れ込まれた。俺は三郎を連れてくるから、と。
私を見て、善法寺先輩は少し泣いた。それから、いろいろ説明してくれた。
三郎は完璧に私として生きていること。それを知っているのは善法寺先輩と先生方と、それから五年生の皆だけであること。
恐ろしいことに、六年生も騙されているらしい……。鉢屋三郎、恐ろしい子……!
「なまえが生きて戻ってくれて、本当に良かったよ。……彼のためにも」
「そうですね……そうですよね……」
「うん。僕じゃ全然、力になれなくってね」
善法寺先輩が弱く笑う。私もまゆを下げた。あの馬鹿野郎、2回くらい殴ってやりたい。
「そろそろ久々知と彼が戻ってくる頃だろうから、僕は席を外すね」
「はい、ありがとうございます」
近づいてくる足音に先輩も気づいたのだろう、立ち上がる。私はしっかりと頭を下げた。
元来苦労性な人ではあるけれど、今回の件で善法寺先輩がこんなにも心を痛めていたのだと思うと、どうにもいたたまれない。
そして、善法寺先輩とすれ違うように、「私」が入ってきた。
あまりにも寸分違わず私であるので、呆気にとられて見つめてしまう。顔も、体格も、鏡で自分を見ているかのようだ。
「……なにか言ったら?」
声も、私そのものだった。
「……生き別れた双子の妹、とかじゃ、ないよね……?」
目の前の女の子はため息をついて、顔に手を当てた。
瞬き一つする間に、顔と服が変わる。見慣れた雷蔵の姿かたちに、雷蔵よりもわずかに骨ばった指先、白粉で隠された右手指のたくさんの切り傷……三郎だ。手を見ればすぐに分かる。
「……お前がとても頭の悪い女だということを忘れていたよ」
「私のフリ、疲れたでしょう?」
三郎がどっかりと目の前に座り込む。
あぐらをかいた膝に肘をついて、右手で頬杖をつく。小指が自分の頬骨を小刻みに叩くのは三郎の癖だ。三郎だけの癖だ。私は知っている。
「……そうだな、すごく難しかった」
「私が生きてて、良かったでしょう」
三郎の目線が部屋の隅に向かう。鋭い目で狭い場所を睨みつけるその目線すら、今は懐かしくていとおしい。
「なんで置いてっちゃったのって、すごく思ったけど。三郎は三郎なりに、私のために一生懸命だったんだよね」
わかるよ、大丈夫だよ。弱くて大切な人の手を握る。三郎の左手は冷えきっていた。
「ごめんね、起きるの、遅くて。帰ってくるのも時間かかってごめんね、三郎」
「……なんでお前が謝るんだよ」
死んだ私を放置してひとりで逃げて帰った上に私の居場所まで奪ってしまったこの人を、私はそれでも、責められない。この人なりに、必死に私を愛してくれたのだ。それがわかるから、だから私は。
「ありがとうね、三郎。もう大丈夫だよ。もう三郎に戻っていいんだよ」
下級生は誰も知らない。だから、これから、鉢屋三郎の生還劇でも演じれば、すぐにことは済む。
もう大丈夫だよ。死んだりして、ごめんね。生きてたよ、だから、大丈夫。
三郎はゆるゆると表情を崩した。
「誰もいないよ」
囁いて、腕をひいてやる。ゆっくりと沈みこんできた頭を抱きしめた。
「私、ちゃんと生きてるよ、わかるかな」
「……わかる」
それは良かった。微笑みがこぼれる。
この弱い人を、いつまでも隣で守ってあげたいと、うっかり思ってしまいそうだ。