さいしょのひ | ナノ



保健室を退室する日、雷蔵がついてきてくれた。
保健室に持ち込んでいた私物や、いろんな人がお見舞いに持ってきてくれた品などが思いのほかたくさんあったので、運ぶのを手伝ってくれたのだ。

「死んだかと思ったよ」
「僕達もだよ?」
「だよねぇ」

保健室からゆっくりくのたま長屋までの道をすすむ。忍術学園の午後は今日も平和だった。
その平和が目に眩しい。幸福を噛み締める。

「あれだけの毒をのまされて、後遺症もなく無事に生きてるって、奇跡だよね」
「なまえって実は七松先輩と親戚だったりする?」
「失礼な、あんな人外じゃないよ」

新野先生も喜んで泣いていた。生死の狭間をさまよったあと、生還した私はその後、視力か聴力を失ってもおかしくないぐらいの高熱をだしたらしい。

「あのあとね、あのさ、なまえが形見分けの話をしたあと、寝ちゃったでしょう」
「うん、寝たね」

そのまま生死の境だ。そこから十日ほど記憶は飛んでいる。寝てるから。

「あの時僕ちょっと泣いたんだよ」
「うっそだぁ」
「えっ?嘘ってなに?本当に泣いたんだって」

私は荷物を抱えたまま、肘で雷蔵をつつく。

「ちょっとどころじゃないでしょ?大泣きでしょ?」
「………………自惚れんなよ!」

これは図星だな。ケラケラと笑う。雷蔵も笑っていた。

「なまえこれから授業に復帰できるの?」

笑いがおさまってから、雷蔵は笑顔で聞いてきた。嘘のない笑顔だ。当たり前の日常。本物の「当たり前」

「できるできる!体力落ちちゃってるから、実技の教科はしばらく別メニューになるかもしれないけど。そこら辺は先生方におまかせ」
「そっか、それもそうだ」

回復してからもしばらく保健室で寝たきり状態、そんでもって後輩達がやたらとお饅頭やお団子を買ってきてくれるので、ずいぶんと太ってしまった。
こうして歩いている今も、身体が重くなったことを実感する。痩せねば……。これではくのいちらしく、飛んだり跳ねたりできない……。

私が元気になってから、本当にたくさんの人がお見舞いに来てくれた。
1番たくさん来てくれたのは同級のみんなだ。特に、授業を一緒に受けることの多いろ組が何度も何度も来てくれた。
八左ヱ門は根っからの善人なので、顔を合わせた瞬間にダバダバと泣いた。私はその時すでに元気になりすぎていたので、ちょっと笑ってしまった。
三郎は、私をみて明らかにホッとした顔をしたくせに、口調だけは悔しげに、「形見の化粧道具は返さないからな」とほざいて、隣の雷蔵に殴られていたっけ。

「あぁ、そういえば、そっか」
「ん?」
「みんなにだいぶ形見分けしちゃったから、私の部屋、結構すっからかんなのか」

ちょうどくのいち長屋に到着したので、自室を目指して廊下を進みながら雷蔵に説明する。雷蔵は首をかしげた。

「うーん……」
「ん?なんかあるの?」

私の遺言を聞き届けたのは雷蔵なので、形見の品を回収して配ったのも雷蔵のはずだ。私も首を傾げる。

「……まぁ、見てみるといいよ」

雷蔵は微かに笑って、私の部屋の扉を指し示した。

百聞は一見にしかず、か。荷物を1度床に置いて、久方ぶりに自室の戸を開く。

部屋は綺麗に整っていた。ホコリが溜まった様子もないのは、くのたまの後輩達が掃除してくれていたのだろうか。

「……あれ、勘ちゃん……」

部屋の隅にきちんと並んでいる筋トレの道具をみて、目を丸くする。ひとつも減っていない。

「僕も入るよ」
「あ、うん、どうぞ」

雷蔵にしては躊躇いなく、私のあとに続いた様子に少し複雑な気分になる。女の子の部屋に入るのに、迷う必要はないんですか……。私だからですか……。まぁ、1度入っているはずですしね……。

「兵助も八左ヱ門も、なにも受け取ってないよ」
「そうなの?」

なんで、と言いかけて、慌てて口をつぐんだ。聞くべきじゃない。私は1度、本当に死にかけたのだ。
もらって欲しかった気もする。私の最後の気持ちをきちんと受け取ってほしかった、と、少しは思ってしまう。

でもそれ以上に、私が死んだりしないと、彼らは信じていたのだ。

「荷物ここでいい?」
「うん、ありがとう」

雷蔵が隅の方にドサリと荷物を置く。まぁ、割れ物はそんなにないから、大丈夫でしょう。

「三郎は……あんなこと言ってたけど……」

化粧道具の箱を開ければ、紅が1色なくなっていた。……紅だけ、か。高価なものだし、欲しがっていたのは知っているけど……。

雷蔵が背後でくすりと笑う。
振り返る前に、骨ばった腕が目の前に伸びてきた。

コツリと音を立てて、空欄になっていた場所に私の紅がハマる。三郎が持っていったと思われるものだ。

「本当に死んだら貰ってやる、だってさ」

あいつだけは1度受け取ったんだ。続いた言葉に目頭が熱くなった。悔しい。悔しいけど、三郎らしい。

浮いてきた涙を無視したくて、天井を見上げる。目から落ちたら、本当に涙になってしまう。

「……雷蔵は?」
「僕?」
「そう、雷蔵」

八左ヱ門と兵助と勘右衛門は、受け取り拒否。三郎は1度受け取ったものを、私が死ななかったので、返してくれた。

じゃあ、雷蔵は。
この部屋のものをすべて、なんでも欲しいものを雷蔵にあげると私は約束した。
おそらく、ひとつも私の私物は減っていないだろう。そんなことはわかっていても、雷蔵の口からなにか聞いてみたい。

「僕は……そうだな、うーん……」
「……」
「なんて言ったらいいか……うーん、どうしよう、うーん」
「……」

……迷っちゃうのか。

雷蔵が床に座り込んで顎に手を当て、本格的に迷う姿勢になったので、私は保健室から持ち帰った荷物を整理することにした。
退室の時に保健委員の下級生たちがくれたお花を花瓶に生ける。外まで水を汲みに行って戻ってきても、雷蔵はまだ迷っていた。

仕方がない。
衣類や読み物を適切に片付けていく。久々に身体を動かして、気持ちがいい。

あらかた荷物が片付いた頃、雷蔵は勢いよく顔を上げた。
私も慌てて正面に座って聞く姿勢を整える。

「あの時はこの部屋に、僕が欲しいものはひとつもなかったんだ」
「……そっかぁ」

まぁ、女の子の部屋だしね。私は軽く受け流して、雷蔵に続きを促した。

「それでね。なまえは今こうして元気になって、それはとても嬉しいことだけど、僕達はなまえに本当に心配させられたから、あの時の言葉はまだ有効だと思っててもいいかな?」
「もちろん、それはいいけ……ど」

いいけど、うん?と私は内心首を傾げる。

それはつまり、今ならこの部屋に、雷蔵が欲しいものがあるってこと?

迷いがなくなった雷蔵の言葉は淀みがない。私の感情なんて置き去りにして、さらさらと続く。

「そう、じゃあ、今欲しいものを言ったら、貰える?」
「うん、言ってみて」
「なまえ」
「はい」

名を呼ばれたので返事をする。雷蔵はあっさりとした表情のまま、目の前の私を指さした。行儀が悪い。

「返事をしたってことは、僕はなまえを貰えるってことでいいんだね?」
「……んっ!?」
「物理的になまえを捌いて焼いて食べたり、そういう話じゃないから安心してね」

雷蔵は穏やかに笑う。いつも通りの穏やかな……笑顔だ。

いつも通りの……。

「……いや、食べられても困る、けど」
「うん、だから、恋仲にね」

雷蔵がほんわりと笑う。うん、だから、恋仲にね……?

やっと脳の理解が追いついてきて、口から甲高い悲鳴が飛び出した。
遥か彼方から、ドタバタと駆ける足音が聞こえる。ま、まずい、くのいち達を呼んでしまった!ついうっかり!

「そういうわけだから、これからもよろしくね、なまえ。もう毒薬なんて飲むんじゃないよ、もうなまえひとりの命じゃないんだから」

言いたいことを言うだけ言いきったらしい雷蔵は、妙にスッキリした顔で立ち上がって伸びをする。さっきやたらと迷っていたのは……なんだったんです……!?

「さて、このままじゃくのたま達に捕まって大変なことになりそうだから僕は行くけど。病み上がりなんだからあまり無理はするんじゃないよ」

雷蔵はそう言い捨てて、あっさりと部屋からいなくなってしまった。

とりあえず、明日……。五年生の皆に、どんな顔して会えばいいんだろう……。



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