さいごのひ | ナノ

深夜、かすかな音に、意識が浮上する。散々痛めつけられた身体がまだ軋んだけれど、なんとか床を這った。こんな時刻に現れるのは、この城の人間ではない。

かすかな音は、遠く、地下牢の入口でしたようだった。見張りの兵がいたはずだ。こんな時間なので、眠っていたとは思うけど。

空気穴として存在する窓から、月明かりが差し込む。雲が晴れたその瞬間には、その影は檻の目の前にあった。

「……見張りは?」
「殺してない。殴ったけど」

小さな声だ。勘右衛門が私の姿を見て唇を噛んだ。
しゃがみこんで、檻のすぐ向かいにいる私と目の高さを合わせる。

「行こう、なまえ。帰るよ」
「無理だよ」
「即答かよ」

即答だよ。だって、無理だ。私は肩をすくめた。

「正直、今ここに勘右衛門がいるのもちょっとびっくりしてる。まずいよ」
「なにがだよ。助けに来るに決まってんだろ?俺ってそんな信用ないかなー」

わざとらしくため息なんかついたりして。それから檻の錠を見上げた。

「鍵、全然見つからなくってさ」
「そりゃそうだ」
「もうこれ、壊すしかないかなって」
「むちゃくちゃだ」
「なまえ、なんか傷だらけにされてるけど」
「拷問だ」
「その上、他のメンバーと連絡つかなくなっちゃったんだよね」
「心配だ」
「だから2人で逃げるしかないんだけど、ふざけてる?」

返答で韻を踏んでいたら、怒られた。ごめんって……。笑おうとしたら脇腹が軋んで、いててと押さえるしかない。

「なまえがやったんじゃないんでしょ?どこの城なの、今」
「フリーだよ……。誰かに聞いてない?卒業のとき就職した城、おちてさ」
「あらま。なるほどねぇ。どうりで、なまえくんが大変だって、利吉さんが知らせに来るわけだ」

なるほど、それで勘右衛門が。ということは、残りのメンバーというのも、私の知己で構成されているのか。……ご苦労なことだ。私達が忍術学園を卒業してから何年も経つ。その間、私自身たくさんの出来事に心をすり減らし、感覚は麻痺した。きっと私だけじゃない、忍者として生きる誰もがそうであろう。それなのに、私を、助けに来るなんて。

「久しぶりだねぇ、勘右衛門」
「ん?まぁそうだね。何年ぶりになるかな」
「考えたくもない……」

勘右衛門は少し笑って、俺も。と小さく呟いた。だよねぇ。
立ち上がって、木製の檻をペタペタと触る。ここ脆いかな?なんて言ってるそこ、1番頑丈なとこだよ。わざと言ってるでしょう。馬鹿だ。

「まぁ、なまえがやったんじゃなかろうってのは俺ら全員一致した見解なんだけどさ」
「その信用が嬉しくて、なまえちゃん涙がでそうよ」
「なんでこんなとこに捕まったのか、それは不思議。寝不足?」

随分と、私の忍術の腕は高く評価されていたらしい。苦笑する。

「なんでこうなったのか、自分でも不思議だよ」
「フリーだったってことは、どこかの依頼でこの城に忍び込んでたの?」
「城主を殺した連中にだよ」

つまり私は、濡れ衣を着せるためだけに雇われたのだ。迂闊だった。情報不足だ。

戦力を調べて来てほしいと言われた。その城の忍軍がひどく弱いことは私も知っていて、だから、フリーの忍者を使うしかないのだろうと、安易に引き受けたのだ。
入り込んで情報を探って、必要な数字を揃えたら上手いこと脱出、依頼主の城にそれを伝えるだけ。よくある仕事だ。
下調べが不足していた。まさか、私の潜入中にことを起こすなんて、思いもしなかったのだ。戦力を調べてこいだなんて言うほどだ、戦争をするつもりだとばかり思っていたけど、まさか城主を暗殺するなんて。

「うまく嵌められたってわけ?」
「そういうわけ」
「馬鹿なわけ?」
「返す言葉もないってわけ」

軽快なやり取りは、私と勘右衛門の得意分野だ。懐かしい。根が真面目な兵助や、繊細で神経質な三郎は、いつも言葉に詰まってしまう。八左ヱ門はそんなに頭が良くないし。雷蔵はうまく言葉を返そうと悩んで、迷って、寝てしまう。

「フリーの忍者なんて、そんなものよ、そういう使い道ばっかりよ」
「言ってやりゃ良かったのに。そんな拷問」

服でほとんど隠れてはいるが、私の動きとほんのわずかな月明かりだけで、勘右衛門にはほとんどバレているようだった。勘右衛門の声が低くなる。

「……まったく、腹立つね」

もう左足はほとんど動かない。骨を何箇所も折られたからだ。骨折も切り傷も火傷も左足だけで、右足がほとんど無事なのも、やり口の汚さを感じる。
歩くことはできなくても、右足が動くので、移動できてしまう。だから余計に、左足が痛むのだ。

「拷問のやり方なら、勘右衛門の方が得意でしょうよ。噂に聞いたよ」
「その城、もう辞めたよ」
「あら、じゃあ、今はどこの城にいるのかしら、拷問の天才さん」
「だからそれ、俺じゃないって」

勘右衛門が鞘に収まったままの刀を扉にかける。なんと、錠前ではなく蝶番に目をつけたか!正解だ。

「って、そっちじゃなくて。そんな痛めつけられる前に、私がやったんじゃありませんって、さっさと城の名前ゲロっちまえば良かったんだ」
「あのねぇ」

下品な表現に眉をしかめる。よっこらせ、なんて軽い言葉で、扉の蝶番は外れた。
てこの原理で上に持ち上げれば、必ず外れる。この檻にはめられた錠前は少しサイズが大きすぎると私も思っていた。蝶番の長さ分の余裕はあるのだ。鍵などなくとも、外部からの手助けがあれば余裕で脱出できる。

「私だって、忍者なんだよ。プライドとか、あるでしょ」
「知ってる?なまえ、明日処刑なんだって!」
「知ってるもなにも、当人ですが」

勘右衛門は扉を投げ捨てた。刀を腰に戻して、私の隣にしゃがみこむ。

「おんぶしてやるよ。外で皆が待ってる。逃げる先は用意してある」

勘右衛門が低く続けた。私に喋らせる気がないんだ。

「プライドがなんだよ。死んでどうする。俺知ってんだよ。なまえ、叶えたい約束があるんだろ。生きろよ。叶えろよ」

腕をひかれる。私は首を横に振った。

「駄目だよ、私が学園の卒業生って、奴らがこの城にバラしてる。私の人質とったつもりで」
「それはまさしく人質だな、厄介だ」

他人事のように勘右衛門が続けた。畜生、確かに他人事だけど、でも、私達は学園のおかげで、こういう絆を持っているというのに!

「誰かを処刑しなきゃ気が済まないんだ。無理だ。学園の忍たまが攫われたりしたらと思うと、心の臓が冷える」
「なまえである必要はないだろ。俺らの気持ちも考えろよ」
「知るか、馬鹿」

勘右衛門の首のあたりの服を掴んで引き寄せる。地面に腕をついていないと身体のバランスがとれないのでよろめいたけれど、勘右衛門が支えてくれた。

「私が叶えたい約束は、もう、いいんだ」
「そんなわけ、」
「もう叶ったんだよ、阿呆」

勘右衛門が唇を噛み締める。

「だからとっとと扉を戻して、逃げてよ」
「馬鹿。わかった、わかったよ、後のことまで俺らで処理してやる。この城の気が済むようになんとか考える。関係ない人が傷つかないようにするよ。だからなまえは帰ろう。大丈夫、帰れるよ」

勘右衛門は早口だった。もう時間があまりないのだ。

「……私の約束ね、親代わりの人達としたんだけど」
「言ったら叶わなくなるよ」
「もう叶ったんだって」

耳元で囁いてやる。勘右衛門が目を見張った。

「……ね、だから、もういいんだよ」

勘右衛門の唇が震える。私はくたりと力を失って、床に倒れた。

「じゃあね、勘右衛門。会えて嬉しかったよ」

みんなにもよろしくね。あぁ、明日は土砂降りの大雨だといい。


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