さいごのひ | ナノ

体が熱い。呼吸が荒い。上手く息が吸えなくて、そして、上手く息が吐けない。
自分がどんな姿勢をとっているのかも、よくわからない。とにかく痛くて、辛くて、地面に転がっているしかない。

「なぁ、おい、なまえ、どこをやられた」

目を開けるのもしんどい。険しい声音に、手を伸ばそうとする。
指はピクリとも動かなかった、けれど、その指先を掴んでくれる手があった。

「……はちざえもん?」
「ここにいる、ここにいるから」

触れた手は、ひどく濡れていた。残念なことに、今夜は降っていない。晴れている。
血だ。八左ヱ門も、怪我をしているのだ。

「私ね、たぶん、もうだめ」

八左ヱ門の手が、私の髪を撫でる。私はゆっくり、ゆっくりと目を開けた。

今夜はひどく晴れていた。月の光も強くて、でも、一刻を争う事態だったので、忍務決行の日取りを変えるわけにはいかなかった。

私を窮地におとしめた月の光が、八左ヱ門の顔を明るく照らす。あぁ、頭をやられたのか。彼の顔の半分以上が、血に濡れていた。

「駄目だなんて言うなよ、ほら、動かすぞ」
「はち、ね、月がきれい」
「そうだな、腕は動くか?どこか痛んだら言うんだぞ」

八左ヱ門が私の腕を引っ張りあげる。肩で私の身体を支えようとしているのだろうが、お互い血まみれなのだ。滑ってしまって上手くいかない。

「はち、頭、怪我したの」
「してないよ」
「いたそう、大丈夫?」
「俺は怪我なんかしてねぇって」

八左ヱ門が必死に引きずりあげようとするが、私の身体はもう駄目なのだ。もうすでに、若干、身体から魂が抜けているのを感じる。
四肢の感覚がない。八左ヱ門に掴まれているはずの腕も、感触がなかった。さっきまでは、八左ヱ門の体温を感じられていたのに。

「なんか……前にもこんなこと、あったよね」
「ねぇよ」

素早いツッコミに、あぁ八左ヱ門だと安心する。三郎も雷蔵も、近年なんだかボケ要員すぎるのだ。

「あったよ……。下級生の頃にさ。三郎はまだすごく神経質だったでしょう、あの頃」

下級生の頃の三郎は今よりも、持ち前の繊細さを隠しきれていなかった。ひどく取り乱して、血まみれの私達より先に泣き出してしまったのだ。懐かしい。

「なんであんな、怪我したんだっけ……」
「……木から落ちたんだよ。なまえのせいだぞ、忘れんな」

そうだ。言われて思い出す。美しい映像が蘇った。走馬灯にも近い。
ずっと、気が遠くなるほどにずっと、私達は近くにあった。輝かしく美しい子供時代。何年間だとか、日にどれほど共にいたとか、そういった数字で測れるものではない。

大切なのだ。この人は私自身の一部でもあり、そして、しかし他人なのだ。

「あのね、聞いて」
「もっと色々聞いてやりたいけど、今は時間がないから、ちょっと待ってくれな。学園に戻ったらなんでも聞いてやる」
「ばかね」

馬鹿だよ、八左ヱ門、わかっているくせに。
時間がないからこそ、これは、これだけは今じゃなきゃ駄目なんだよ。

「私は、置いていって」

じゃないと、八左ヱ門が、帰れなくなってしまう。

「馬鹿はお前だ。ほら、行くぞ。せーの」

八左ヱ門が掛け声をかけて立ち上がろうとして、失敗して、ふたりして地面に転がる。もう、草の匂いも土の匂いもわからない。

「……はち、私ね、怖くはないんだよ」

おそらく、八左ヱ門もひどくやられたのだろう。この明るさだ、追っ手も諦めてはいないだろうし、はやく帰してやらないと八左ヱ門まで取り返しのつかないことになる。
三郎も雷蔵も優秀な忍たまだから、きっと忍務は成功したはずだ。そう信じている。

「八左ヱ門が、このまま私を諦めないことは少し、怖いけど」
「……馬鹿なことを」

私の隣で草むらに転がったまま、ポツリと言葉が返ってくる。きっと八左ヱ門にもわかっているのだ。きっと、きっと。

「でも少し、寂しい、なぁ」

嘘だ。本当は少しどころではない。とても寂しい。
でも、残りの4人に、この寂しい気持ちを感じてほしくない。八左ヱ門は、私が連れて行っては駄目なのだ。

「なにが寂しいんだよ。……なにが、……寂しいんだよ」

八左ヱ門が悔しそうに言う。視界は霞んできて、白いのか黒いのか、よくわからない。自分の心臓の音が、やけに耳に響く。
ずる、と草をする音が聞こえた。あぁ、きっと八左ヱ門が、私の頭を撫でている。いつもそうだ。少し乱暴な手つきで、ぐしゃりと、でも生き物を扱う優しい手で、あぁ、あぁ、八左ヱ門。もうわからないよ。

「俺はな、なまえ、聞いてくれよ、俺は」

うん、と答えたかった。口が動かない。

「絶対にお前を置いていったりしないからな。お前に寂しい思いはさせない」

ありがとう、という呟きはおそらく、音にならずに終わった。ごめんね、八左ヱ門。ありがとう。


[ back to top ]