クーデレ鉢屋 | ナノ


▼ ふたりのひみつ


「なんで、なんで三郎はこれ履修してないの!」
「去年単位をとったからだ」
「なんで去年三郎だけ単位とれたの!不公平だ!」
「私は去年きちんと勉強したからだ」

ぐずぐずとわめく由佳に問題を押し付け、コーヒーを口に含む。

「……三郎、コーヒー臭い」
「だろうな、嫌ならひとりで勉強しろ」

言ってやれば由佳は、口を尖らせて問題に目を落とした。

ころころと、表情がよく変わる女だ。
特別に顔立ちが可愛いわけではない。
むしろどちらかというと、あんまりパーツには恵まれなかった方なんじゃないだろうか。
でも何故か、にこりと笑うと、その恵まれないパーツが不思議な調和を見せる。気がする。

つまりまぁ、愛嬌があるってことかな。
にこにこと静かにしていれば、人並みには愛らしい女だ。
しかし、にこにこと静かにしていることがまず、ない。

根は真面目な由佳らしく、数分放置すると真剣に勉強に向き合う姿勢ができたらしい。
シャーペンを挟んだままの指で、髪をかきあげて耳に流す、その指先だとか。
問題文を追う目、下を向いている顔を上から見ているわけなので、伏せられたまつ毛、とか。
前髪、最近少し切ったよな。言わないけど。先週まで綺麗に流れていた前髪が、パラリと額に散っている。

まぁ、集中している顔も、悪くはない。

「……お前、ここ」
「ん?」
「アホかよ。なんで自分の文字を見間違えてるんだ」

由佳の顔は気に入っている。
ただ、それを認めるのもなんだか癪で、ふと目に止まった計算ミスを指摘する。
集中して先へ進んでいた由佳は顔をあげた。

ほら、盛大にむくれている。

「アホじゃない!人間誰しもミスはするでしょ!三郎、本当に一言余計なんだからー!」
「静かにしろ、カフェ追い出される」
「いいもんそしたら三郎と雷蔵くんの家行くから!」

いいけど、今日はお前の苦手な竹谷くんも来てるんだぞ。
それでいいなら、いいけど。

「……でも明日、試験でミスしたら怖いなぁ」

突然冷静に、由佳が言う。こいつのテンションの波激しすぎないか、おい。
正直、ついていけない。

「まぁ……時間はどうせ余るだろ」
「うん……。三郎、教えてくれてありがとね。あとちょっと頑張る」

殊勝なことだ。
俺に向かってきゃんきゃん喚いている由佳に合わせたテンションの台詞を用意していたものの、彼女がひとり勝手に沈んだので、俺の台詞も泡となる。
本当に、こいつの扱いは難しい。












「おつかれ」
「わ!わー!三郎!」

試験教室の前で待機していたら、予想外の早さで退室してきた由佳と合流。

「途中退室か?」
「うん!だって20分で解き終わっちゃってー、そのあと5回も計算ミス確認したんだよ」

5回も。

「ふぅん?」
「あ、嘘です、……4回です」
「なんで今そこで嘘ついた?」
「えへへー」

のほほんと笑う由佳の顔はしかし、疲れが見える。
徹夜明けというほどでもないが、……あんまり寝てないんだろうな。

手を伸ばして、頭を少し乱暴に撫でてやる。由佳は嬉しそうにきゃらきゃらと笑った。

……今なら、八左ヱ門の気持ちが少し、わかるかもしれない。犬猫を撫でるときって、こんな感覚なんじゃないだろうか。

「んーとね、解けない問題はでてなかったの!」
「おう」
「だから、計算ミスしてなければ、満点!成績Sつくワンチャン!」
「おう」
「疲れたよーう。早く帰って寝る!」
「おう、駅行くか」

私はもう今日の予定はないし、由佳もこの試験で今日は終わりのはずだ。
由佳がひとり早めに抜けてきてくれたおかげで、人の少ない廊下をすすむ。
その間にも、というか、階段を降りながらも由佳はぺちゃくちゃと話し続ける。すごいな、よくそんなに話題があるもんだ。

「で、さー!お母さんが車で送ってくれたんだけどね」
「由佳」

表情に疲れが滲んでいるものの、試験勉強からの解放感からか、由佳の顔は晴れやかだ。
にこにこと、うるさい。ひどく楽しげに、話し続けている。

階段の上に人はいなかった。踊り場で、下へ向けて折り返そうとした由佳の肩に腕をまわして、その足をとめる。

「さぶろ?」

なぁに、と続けようとした、間抜けなほど幸せな顔にキスしてやる。

途端、今まで止まることなく喋り続けていた由佳の口が止まる。
肩にまわしたままの腕で軽く押してやれば、すぐに歩き始めた。

「……ばか」
「おう」
「ばかばかばか」
「俺は馬鹿だよ」
「ばっ……!!ばか!あ!?今俺って言った!?」
「由佳が可愛くて」
「ば、……もう!!雷蔵くんに告げ口しちゃう!!」

赤くなった顔を隠すように俯いて、由佳はすたすたと早足に階段を降りていく。
そんなこと言って、どうせ、自分の胸に秘めておきたい!とか言って雷蔵にも言えないくせに。
あぁ、かわいい女だ。