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「ただいまあ」 「遅いですよなまえ」 「臭い」 「あら、」 遅くなってごめんなさい、とひと言謝ってから美食會のメンツが集まった個室になまえは最後に戻ってきた。遅刻を覚悟でしっかりとシャワーを浴びて髪も身体も念入りに洗ってきたのだが、三虎の鼻は誤魔化せないらしい。僅かに眉間にシワが寄るのに眉を下げ、肩口にある傷にすぐに気付いたリモンもなまえが一戦交えて来たのに気付いた。 「やっぱり貴方の所にも行ったのね。吐いた?」 「いや、逃げて大使館に駆け込んだんだけどそこまで追って来て、俺も色々と頑張ったんだけどアムマハルの軍人の"技術"を以てしても吐かなかったから諦めたよ」 「そう…あの程度の実力でもそこはきっちりしてるのね。洗脳かしら?まあ、雇用主が誰かなんて吐かさなくても予想はつくけれど」 「でも、証言があるのとないのとじゃ大違いなんだよねぇ…本当残念だよ」 「それでなまえ、アムマハルとの繋ぎは上手くいきましたか?」 「うん。美食會の要求はまるっと全部保証してくれるってちゃんと書面貰ってきたし、アムマハルの要求に対する答えも渡して来たよ。オールクリア。紛争がちゃんと終われば上手くいく」 「社長はどうでしたか」 「チェツェルの文化大臣には全部認めさせた。美食會の派遣する美食屋と再生屋にチェツェル国内でのいかなる行為に対しても刑罰を与えないという保証付きだ。まあ、表沙汰になるようなことは無いだろうがな」 「流石です」 「大臣ちょっと可哀想だよね。こんなコワモテ前にしたら認めざるを得ないよ、普通…余程豪胆でなければ。リモンはどう?」 「チェツェルの防衛線付近の地主達は大半が多少の被害は仕方ないと目をつぶってくれるそうよ。証文もとったし…少しゴネたジジイもいたけれど、こちらが提示した保証で納得させたわ」 「では、必要な下地作りは殆ど完了したということですね。良かったです。早速手空きの美食屋と再生屋に招集して動き出しましょう。陣頭指揮は誰に任せますか?」 「アルファロで良いだろう。彼奴も偶には腕を使わんと鈍る」 「副社長不在の間はなまえが権限代行で宜しいですか?」 「構わん」 「ではそのように」 「じゃっ、仕事の話は終わり!ご飯ご飯!あーお腹すいたあ。昼にカフェでクッキーつまんだだけで何も食べれてないんだ俺ー」 ぷはー!となまえが盛大なため息を吐いたのを合図に場が和らぎ、部屋の外に控えていたギャルソンが冷やしたボトルやグラスを持って入ってくる。立派なコースが始まって、仕事のことやプライベートのことなど色々な話が飛び交いはじめた。一人だけかなり年の離れた三虎は黙々と食事を口に運んでいるが、聞いていないわけではない。ワインを空け、スパークリングを空け、皆で楽しく食事を終えてから解散したのだが、なまえは三虎の背を追った。 バーに行くらしい足取りはいつも通りで、四人で数えきれない程ボトルを空けたのに誰一人酔っていないのだから面白い。てけてけと豊かな黒髪が背に揺れて、逆さにしたイソギンチャクから足が生えているような三虎の後姿は見慣れていて、もさもさと揺れる髪がずっと昔から大好きだった。ワカメのようにも、暗い樹海のようにも見えて。その中に紛れて遊ぶのが、楽しくて。そんな昔のことを思い出しているうちに、無言のままバーに着いて、カウンターでウイスキーを頼む三虎のひとつ椅子を空けた隣に座ってなまえはシャングリラを注文した。 「………仕事は楽しいか」 「勿論。一番近くで見てるでしょ?嫌だったらとっくに辞めてるよ」 「………そうか」 「…………ねえここはさ、"お前がいて良かった…フッ"的なひと言があってしかるべきタイミングだと思います」 「褒めてほしいのか」 「そりゃーまあ?ワタシもまだコドモですから?大好きなヒトに褒められるのは吝かではないですけれど?」 「フ………そうか。……お前はよくやってくれている。これからも頼む」 「…、ッ!」 カランッ、とタイミングを図ったように氷が揺れる。淡く笑んで礼を述べる三虎の言葉が素直に嬉しくて、なまえは下を向いて固く目を閉じた。立場上直属の上司、そしてただ一人の部下。たった一人の。大学からの声掛けも断って就職を選んだ、そのことに全く後悔はなかったけれど、このひと言で、就職して良かった、と、こころが震える程嬉しいとは思わなかった。 「彼にブルー・ムーンを」 薄紫色のカクテルがことんと目の前に差し出され、目を丸くする。一般的には"出来ない相談"や"不可能"など否定的な意味を持つカクテルであるが、このタイミングで出される意味…。 「Parfait amour....」 この美しい色を出す為のスミレの香りのリキュール、パルフェタムール。フランス語で"完全な愛"を意味する。 恋人などでは到底ない、だけれども家族以上の精神的な絆があると信じて疑わない三虎から、このカクテルをご馳走して貰うということ。なまえはくすくす笑った。父であり兄であり、師であり、上司である三虎が、言葉で簡単に表せるような想いではないのだと言っているようだった。 "愛"は真心を受けると書く。その意味を、寸分違わず受け取ってくれているということの証明でもあるようで、全くもう、幼い頃父よりも三虎に懐いていたのは間違いではなかったと思いながら、なまえは口当たりよくバランスのよいカクテルを美味しく頂いた。 「ありきたりですが……私のすべてを賭けて、努めさせて頂きます、社長。どうぞお覚悟を」 「……………」 返事の代わりに自分のショットグラスをカラにしてふっと深くひと息吐いてから、三虎はゆっくり立ち上がった。 「明日も早いぞ」 「はい」 部屋に戻ります、と先導するように先を歩く三虎の背を追った。 (完全な愛、か。頑張った甲斐はあったかな。良かった) (アラ? なまえもう休んでしまったのかしら。飲み直そうと思ったのに。皆弱いわね)
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