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何とかして就職を掴み、待ち受ける社会人ライフに思いを馳せ、ついでに社内恋愛なんてのも妄想しながら(ただし経験はゼロ)入社した今年の春。
幸先が悪いなぁと思った、入社式で何故か派手に転んでしまったことは今ではいい思い出だ。
さて、そのお陰か、憧れの秘書課に配属されたあたしは、厳しくも優しい先輩方に囲まれながらも仕事に励んでいる。
まだまだ雑用位しかやれないが、充実した毎日を送れて幸せだ。
「なまえ、頼んでおいた例のアレはどうした?」
……いや、ちょっと幸せじゃないかもしれない。
「なまえ、ちゃんと取りに行ってくれたんだろ?」
……いや、あんまり幸せじゃないかもしれない。
「おいなまえ、俺の声が聞こえてるなら返事をしろ。例のアレは」
「はいはいはいはい!ちゃんと聞こえてます!例のアレもちゃんと取りに行って来ました!はいこれです!」
しつこかったのでついつい乱暴に返事をしてしまった。
あたしは持ってた紙袋をデスクにドンとのせる。
いつ雨が降り始めてもおかしくない天気の中、ヒヤヒヤしながら苦労してここまで持って帰ってきた代物だった。でもこの際どうでもいい。
「お前!扱いには気をつけろ!壊れ物が入ってるんだぞ!」
「文句があるなら自分で取りに行けばいいじゃないですか!」
「俺は多忙なんだ!専属秘書その2であるお前をこき使って何が悪い!」
「その2て!確かにその通りですけど改めて言われるとムカつきます!一体何様ですか!」
「社長様に決まってるだろ!」
そうなのだ。あたしが先程から暴言を吐きまくっているこの男は、うちの会社で一番偉い人ーーつまり社長なのだ。
あたしの肩書きは社長の専属秘書だ。
専属秘書といっても、今みたいに社長の命令で物を取りに行ったり、お茶を注いだり、書類を整理したり……よーするに社長の雑用係みたいなものである。
けど、社長専属というだけあって、平社員より待遇はいい。
先月の給料が先々月よりだいぶ上がっていて、通帳を見たときは周りの人が一斉にこっちを振り返ったくらいの大声を出してしまったくらいだ。
というかそもそも、何故ぺぇぺぇのあたしがそんな大層な役職に就いてるかというと、あれは一ヶ月前……社長室の前を通ったのが運の尽きだった。




その日あたしは、社長室の隣の隣の会議室に資料を運んでいた。
重役さんたちだけで重要な会議があるらしく、資料の数を間違えないようにと厳しく言われた。
とりあえずひたすら会議室と秘書課を往復しているがなかなか終わらない。
いつになったら終わるんだと社長室の前にさしかかったそのとき、勢いよくそのドアが開いて、顔を真っ青にさせた社長専属秘書、つまりあたしの先輩が飛び出してきた。
「ど、どうしたんですか一体!?」
「あぁ、なまえちゃん!ちょうどよかったわ!実は困ったことになってね……」
入社式で転んだことが幸いして、あたしは色んな人に顔と名前を覚えてもらえることができた。
なんやかんやでよかったのかなぁ。
「何があったんですか?」
先輩は綺麗なお顔を曇らせて続けた。
「実は、社長が熱を出しちゃって……社長は一人暮らしだから誰かが看病をしないといけないんだけど、このあとわたしは会議に出席しなくちゃならなくて、それができないのよ」
入社式で見たきりだったけど、あの若い社長が熱を出しちゃったのか。それは大変だ。
でも、あたしにとって大変重要なことはそっちじゃなくて。
ーー秘書課で麗しの美女と讃えられる先輩が困っていらっしゃる、だとぅ!?
「なまえちゃん。わたしの代わりに、社長の世話をしてくれないかしら?」
しかもしかも、新米のあたしに、助けを求めてきた、だとぅ!?
書類を全部会議室に運べば、あとは会議が終わるまで細々とした雑用をやるくらいで、急ぎの仕事はない。
「はい!お任せください!社長とはほぼ面識はありませんが、なんとかやってみます!」
勢いよくそう返事をすると、先輩は優雅な笑みを浮かべた。
「ありがとう、なまえちゃん。助かるわ」
それからあたしは急いで書類を運んで先輩から貰ったメモに書いてある住所に向かった。
どうやら、社長はもう自宅にいるらしく、あたしは社長の看病をしに行けばいいらしい。
社長の家にはほとんど食材がないと思うから、行く前に買ってくるようにとも書かれていた。
メモに書かれた住所に行ってみるとそこには、高級マンションがあった。
まあそりゃそうだよね!
だって社長だもんね!
なんとかして社長の家に入ると、ふかふかしてそうなソファや大きなテレビがあるリビングの奥の寝室で、社長がゴホゴホと咳をしていた。
あたしはベッドに近づいて、社長の顔を覗き込んだ。
「社長、専属秘書の方の代わりに来た者です。具合はどうですか?」
「げほっ、咳と……喉が、ごほっ」
「薬は飲みましたか?」
「飲んだ……げほげほっ」
「失礼しますね」
あたしは社長の額に手を当ててみた。
「熱は測りましたか?」
社長が首を横に振った。
メモに書かれたとおり食材は買ってきたけど、体温計は考えてなかったなぁ。
「社長、体温計はどこにありますか?」
「多分……げほっ、その中に」
社長が指を差したのは、備え付けの大きなクローゼットだった。
あたしは何の疑いも持たずにそこを開ける。
すると、そこにはーー
「うぎゃぁぁぁ!!」
クローゼットいっぱいに、二次元の美少女が詰まっていた。ポスターやフィギュアなんかのグッズが全員こっちを見ている。
こちらを一心に見つめる女の子たちに驚いて、思わず奇声を上げちゃったけれども。
ええっ!?
しゃ、社長ってまさか……。
「おい」
あたふたしていると、地を這うような低いドスのきいた声が響いた。
「俺の……」
「えっ?」

「俺の嫁に触るなァァァァァァ!!」

いや嫁かよォォォォ!?
……こうして、社長の超絶最重要機密事項(つまり、オタクだということ)を知ってしまったあたしは、社長の看病をした一週間後社長室に呼び出され、何故か「専属秘書」なるものに指名されてしまったのだ。





そして現在。
あたしが買ってきた例の二次元美少女のフィギュアの封を開けてニマニマしている社長を、あたしは冷めた目付きで見ている。
入社式ではカッコいいって思ったんだけどなぁ。やはり世の中というものはそう上手く出来ていないものである。
見た目はいいのに、本当に残念な人だなぁ。
でも、そろそろ仕事を始めてもらわないと、今日も残業する羽目になる。
専属秘書は社長の仕事が終わるまで一緒にいなきゃいけないのだ。
ここのところ社長が仕事をダラダラとやっていたので、残業が続いていた。
今日こそは早く仕事を終わらせてもらわなければ!
「社長、いい加減に」
ひとこと言ってやろうと口を開いたその時、ゴロゴロと空が鳴った。
えっ、嘘、そんな。確かに雨が降りそうな曇り空だったけれども。どんよりしてたけれども。
「おい、聞いてるのか、なまえーー」
社長の声がどこか遠くで聞こえる。
あたしは窓の外から目を逸らすことができなかった。
外でまたゴロゴロと鳴る。さっきよりも音がだいぶ大きい。
まずい、来るーー
嫌な予感が頭をよぎったその瞬間、近くで雷が落ちた。照明がパッと消えて部屋が薄暗くなる。
「うぎゃぁぁぁああああ!!」
あたしは目をつぶり、大きな叫び声をあげて両耳をふさいだ。
「うわぁぁぁぁん!雷恐いぃぃぃぃ!助けて誰かー!ヘルプミーィィィィ!お母さぁぁぁ…………ん?」
一通り叫んだところで、あたしは自分が何かあたたかいものに包まれていることに気づいた。
おそるおそる目を開けてみると、現在あたしは、白いシャツを着た誰かの胸板に顔を埋めていた。
そこから伝わる体温であたしは徐々に落ち着きを取り戻す。でも何か変だ。
視線をキョロキョロと動かして、辺りを見回してみる。
……えっ?あれ?ちょっと待って。
社長どこに行った?
「全く。たかが雷でこんなに取り乱すなんてなァ」
あれ?おっかしぃなぁ。社長の声が頭の上から聞こえてくるぞ。
「先が思いやられるな。これから側に誰もいないときもあるんだぞ?」
いやいやいや、そんなまさか。
ゆっくりと顔を上げると、こちらを見つめている社長とバッチリ目が合ってしまった。
「うわひゃぁぁぁああ!!」
「馬鹿、大声出すな」
社長の眉間にシワが寄る。
ヤバイまずいどうしようクビかも。
「すっ、すっ、すす、すすすすすみません社長ォ!いいいい今すぐ離れ」
慌てて社長の腕の中から出ようとしたあたしの耳に、また大きな雷の音が入ってきた。
「うぎゃぁぁぁ!雷恐いぃぃぃ!!」
思わずぎゅっと社長にしがみつく。
社長はため息をついて、あたしの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「このままが落ち着くなら、雷が止むまでこうしててやる。電気がつくまで時間がかかるだろうしな」
クビを覚悟していたあたしは、社長の寛大な措置にほっとする。
「うううっ、どうもありがとうございます社長ぉぉ」
あたしの発言に社長がやれやれとまたため息をついた。
「こんなんで大丈夫か?来月にはお前一人で、俺の秘書をやらなきゃいけないんだぞ?」
………………は?
えっ、ちょっ…………は?
「聞いてませんよそんなこと!」
「は?アイツから聞いてないのか?」
「先輩何も言ってませんでしたよ!?というか何であたしだけになっちゃうんですか!?」
「アイツ、来月寿退社するんだよ。式はまだだいぶ先らしいが、準備をしっかりしたいんだと」
あぁなるほど、どうりでまだ式に呼ばれてないはずだ。じゃなくて。
「それなら、どうして後任があたしなんですか!?他に優秀な方がいらっしゃいますよね!?」
一拍置いてから、社長がニヤリと笑みを浮かべて口を開いた。
不覚にもその表情に心臓が高鳴る。
……いやいや落ち着け自分。相手は二次元美少女に首ったけなオタクだぞ。
「それはな、なまえ。俺がお前を気に入ってるからだ」
「は?」
「お前が入社式で派手にコケたときからずっと、お前を側に置きたいと思っていた」
な、なんだとぉ!?
「でっ、でも、それと仕事が出来るかは別物じゃありませんか!」
「俺は気に入ったものは何が何でも側に置いておきたい性格なんだ」
まぁお前の場合は、と社長は続けた。
「アイツにも協力してもらったがな」
アイツとは多分、先輩のことだろう。
協力してもらったっていうのは、どういうことなんだろうか。
フッと思い浮かんだのは、社長の看病に行ってほしいと頼まれたあのとき。
ま、まさかーー
「もしかして、先輩があたしに社長の看病をするように頼んだのは」
ニヤリ、と社長は意地の悪い笑みを浮かべた。
「勘がいいな、なまえ」
あぁ、やっぱり。
「アイツに、お前に看病させるように仕向けたのは、俺だ」
どーりでおかしいと思ったんだ。こんな新米社員に社長の看病を頼むなんて。
「えぇぇー……」
社長の発言にその腕の中で思わず脱力すると、社長は更に腕に力を込めてあたしの耳元で囁いた。
耳に息がかかってくすぐったい。
「覚悟しとけよ、なまえ。余程のことがない限り、お前を手放すつもりはないからな」
そしてあたしのほっぺにチュッとキスを落とす。
「なっ……!!」
あたしはほっぺを押さえて社長を凝視した。顔に熱が集中するのがわかる。
おおお落ち着けあたし!相手は二次元美少女に首ったけなオタクだよ!
外見はカッコいいけど中身はアレな人だよ!
「ーーへぇ、お前俺のことをそんな風に思っていたのか」
「えっ?」
「二次元美少女に首ったけなオタク」
「どどどどうしてそれを!?」
「口に出てたぞ」
あたしは反射的に口を押さえた。
「言っておくがーー」
そう前置きしてから、社長はあたしの顎をクイッと持ち上げた。
社長から目が離せられなくなる。
そして、艶のあるいい声で。
「オタクだからって、経験がないとは限らないからな?」
嗚呼、どうやらあたしはーーとんでもないひとに捕まってしまったらしい。
この様子じゃあ、一生放してもらえなさそうだ。
今現在社長に言いたいことはたくさんあるけれども、とりあえずあたしは、現在進行形で早鐘を打ちまくっている心臓をどうにかしたかった。


終わり


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