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 さぁ、行こう。ともう一度言うと彼女の背中に軽く触れ、歩くように促した。
 穴から抜けれた安心感で軽快に2、3歩踏み出す。
 が、またずっぽりと、はまった。
 穴に。
 今度はあばら骨の当たりまで。
 なまえが穴にはまったと同時に、彼は雪の積もった地面に膝と手を付き、喉で笑い出した。
 2度目の落下は、先程より速く頭を冷静にさせる。
 人が穴に落ちているのに、この男は一体何が可笑しいのか。笑っていないで早く引き上げて欲しい。
 そう視線で訴えるなまえを無視して、今にも気絶しそうな息継ぎで笑う彼が唐突に語る。

「実はあれから、なんだかんだ言って不機嫌なままだったんでね。気晴らしになるかと思って、吹雪く夜の中この穴を掘っていたんだよ。いや実に大変だった。なにせ、風も強くて雪が舞って、ほぼ視界がゼロの中掘っていたものだからね。朝にでもなれば雪が積もって穴なんか消してくれるだろうと思ってたし…」

 言葉が途切れる。

「……君が、…穴に落ちた……りするんじゃ、ないかと…想像したんだが…」

 咳き込む。
「ま、まさか、こんな見事にはまったりしてくれたもんだから……。」
 
身体を震わせ、遠近両用眼鏡をずらすと目頭を指で押さえた。
 喜怒哀楽は体温をあげてくれる。
 涙と同じく、鼻もすすりはじめた。

「……いやぁ、なまえ。君は実に面白いな。」

普段感情の起伏が無いなまえでも、さすがに苛立ちを覚えた。
 穴に落ちて狼狽する人間がそんなにもおもしろいのか。わざわざ人を陥れる(落し入れる)なんて、なんという悪趣味。
 あきらかにそういう目線を投げかける彼女に気付き、震える脚で、彼は2度目の救助の手を差し伸べた。
 2度目の引き上げ。今度は先程より深く掘られていたせいで、引き上げるのにも力がいる。勢いを付けて彼女が穴から出ると、彼の胸の中に収まった。
 ふらついて穴に落ちない様に、彼女の背中に手を添える。
 彼の胸元にうずくまっていたなまえが、顔を上げると、柔らかい笑みを浮かべた彼と視線が交わった。
 彼は少し声を出して笑い

「随分と気が晴れたよ。君の反応もなかなか面白かったし。久々に穴堀りなんてやったからね。いい運動にもなった。明後日あたりに筋肉痛がくるかと思うと、少し怖いな。いやぁ、穴を掘っている最中に昔の事を思い出したよ。収容所から脱走した日本兵をうっかり友人が殺してしまってね。面倒だったんで森に穴を掘って埋めてやった……」

 独り言同然に言う彼が唐突に、空を見上げた。

「…空は…こんなに、晴れてはいなかったけどね。」

 なまえは、なんとなくつられて空を見た。
 蒼く白んだ空と、流れ星みたいに通り過ぎた小鳥が視界に入った。
 思い出に浸っていた彼が現実に戻って来たらしく、視線を彼女に戻すと、軽く額に唇を落した。

「昨日し損ねたからね。君が知性と教養があり、料理ができて食い意地の張ってない女性に成る事を願って。あぁ、いけない。あと寝相が良くなる様に。」

 もう一度、額に口付ける。
 なまえは何やら腑に落ちないが(昨日から彼に振り回されっぱなしだ、理由もよく判らないままに)、ひとまず彼の機嫌が直った事に、安堵感を覚えた。    
 もう、声を荒げられたり、よく判らないトラップに掛かる事は無さそうだ。
 いつものように優しく微笑む彼は、彼女を抱きとめていた腕をほどくと、再び、出発の声を掛けた。
 そして数歩歩いた所で、彼女の身体が今度は脇まで沈み、とうとう彼は我慢するのをやめて、腹の底から声を上げて、笑った。


 公園を散歩してから本屋に寄って、どっかで昼食をとって、ついでにチャイでも飲む事は無さそうだ。



END



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