私がこいつと知り合いになった経緯はなんだったっけと、ふと思った。

 目の前に座るひげを生やしたおっさん、――のように見える青年は太刀川慶と言って、ボーダーとかいうなんかかっこいい組織に所属しているらしい。よくわからないけれど私たちを守ってくれているらしい。ちなみに私はなんと怪物に遭遇したことがなくてテレビで見たくらいだから、本当によくわからない。

 「苗字。ほい」

 「え……えっ、まじか!」

 太刀川は鞄をガサゴソと探ったかと思うと、色紙を取り出して手渡してきた。色紙だ。めっちゃ見覚えがある色紙。というかこれは私が太刀川に真っ白の買いたてのまま押し付けた色紙で、しかも返ってきた色紙にはしっかりとサインがされていた。

 「太刀川! すごい、すごい! あ、あ、あ、あら、嵐山くんのサイン!」

 「苗字がうるさいからもらってきてやったぞ。喜べ!」

 いつもだったらとってもムカつくそのどや顔も気にならない。むしろ崇め奉りたい。いや、崇めるのはこのサインの方。

 なんてったって高校までアイドルオタクだった私はいまでは立派な嵐山くんオタクと化しているのだから。


 何かのバラエティ番組で出会ってしまった私と嵐山くん。私はその瞬間から嵐山くんオタクになった。ボーダーとかいう組織のことはよくわからなかったけど、嵐山くんが出ている番組はすべてチェックしたし雑誌も幾度も読み直した。ひとつ下とは思えないほどしっかりとしていて好青年な姿に惹かれない理由があるわけがなかった。いつしか私は会って話すのはたぶん緊張して無理だから、サインくらいは手元に欲しいという叶わない夢を持ち続け、そして先日、ある雑誌のプレゼント企画に嵐山くんのサインがあることを発見してしまったのだ。

 それはもうウキウキで応募した。しかも5名様にプレゼントみたいな、複数人にあたるやつだったからもしかしてもしかするかもとか、夢を見たわけだ。ハイ、外れました。

 ――とかいう話を、飲み友達で大学に全然来ない太刀川にしてみた。いつものように飲みながら。そしたら太刀川、ボーダーに所属しているって言うじゃない? コンビニに駆け込みましたよ。最近のコンビニってすごい。色紙も置いてあって、もう、すぐ買って太刀川に渡した。すごく嫌な顔してたし、こういうのが嵐山くんの負担にもなるかなとか思って、本当に本当に頼めそうだったらでいいからとか言ってたんだけど、まさか嵐山くんのサインが手に入るときがくるとは、感無量。


 「太刀川〜! ほんとにほんとにありがとう〜! 太刀川大好き」

 興奮していたから、ちょっと体勢は前のめりになった。居酒屋に入ったはいいものの、入ってすぐサインを渡してきたこともあって、まだテーブルの上にはおしぼりしかない。私はまっすぐに太刀川を見つめていた。太刀川もまっすぐに私を見つめていた、かと思えば顔が近づいてきて。……近づいてきて? え?

 「……苗字、何飲むよ?」

 思考がついていかないし、意味がわからない。家宝にしたいレベルで大切な色紙すら、手から落ちた。それくらいに動揺している。おかしい。目の前のこいつがこんなにも平然としているのも、どう考えたっておかしい。

 「俺ビールにするけど、一緒でいい?」

 「え、いや、え?」

 「え?」

 太刀川は不思議そうな顔でこちらを見るけれど、私からすれば太刀川の方が不思議だわ。確かに大体一杯目はビールだし、今日もビールの気分だけどそうじゃないでしょ。……そうじゃ、ないでしょ。

 「いま、私になにしたの」

 「キス」

 「デスヨネ。え、出来心?」

 「はあ? どう思われてるか知らんが、出来心でそんなことするわけないだろ」

 そんなに大きな声ではなかったけれど、太刀川は不機嫌そうに心外そうに、そう言った。でも、だって、と、反論はいくつも浮かぶのにそれを口にするかは迷う。どういうわけかわからないけど太刀川は本気だ。理解しがたいけど、本気で私にキスしようと思って、出来心でもなんでもなく、キスしたんだ。


 「……でもこの間合コンでかわいい子とちゅーしちゃったって言ってたじゃん」

 心の中で呟いたつもりだった言葉は、しっかりと声に出ていて、私は急いで口に手を当てて見たがしっかりと太刀川の耳に届いていたようだった。太刀川の機嫌はさらに急降下で私は思わず手元のおしぼりに手を伸ばしてみた。

 「そんなの、お前のせいだろーが! お前が嵐山嵐山言ってるから合コン行って! かわいい子とキスできる機会もみすみす逃して! でも悔しくて妬いてもらうことを期待しながらそんな嘘ついて! 全部お前のせいだ!」

 「……ねえ、太刀川」

 「なんだよ」

 「私の思い違いだったら悪いんだけど、それ、私のことずっと好きだったって聞こえるんだけど」

 太刀川の動きが止まる。私の動きも止まる。

 私は沈黙に耐え切れずにおしぼりで手をふく。沈黙辛すぎるから早く飲み物来てほしい。いや、飲み物まだ頼んでないんだった。

 私の頭の中は動揺と恥ずかしさと、もういろいろとぐるぐるしていたけれど、それは私だけではなかったようで太刀川もまた動揺していた。

 「苗字」

 そう私の名を呼んだ太刀川は少しは頭の整理ができたらしい。いまにも爆発しそうだった少し前と比べれば、よっぽどいつも通りで、男前な顔をしていた。

 「俺こういっちゃなんだけど嵐山より強いし、嵐山より年上だし、身長もちょっとだけど高い。なにより苗字のこと、嵐山よりわかってるし、嵐山よりずっとずっと好きだ。だから、俺と付き合ってください」

 「はい、喜んで」

 反射的にそう答えたけれど、発した言葉自体はついうっかり出てしまったものではなくて、ずっとくすぶらせていた思い。この気持ちに嘘偽りは全くない。まさか太刀川からこんな言葉が聞けるとは私の人生捨てたもんじゃない。

 「……え?」

 「ん?」

 「嵐山のこと、好きなんじゃなかったわけ?」

 私からのよい返事がもらえると思っていなかったらしい太刀川は、それはもう動揺していた。今日は太刀川の動揺がたくさんみられる日でとっても貴重だ。

 「嵐山くんのこと、会ったこともないのに恋愛対象になるわけないじゃん。アイドル応援するみたいな感情だから。……私ちゃんと、太刀川のこと好きだよ」

 太刀川はその言葉を聞くと安心したように肩の力を抜いた。憧れの嵐山くんと、憧れでもなんでもなくてクズみたいな部分もよーく知ってる太刀川なんて、比べること自体が間違いだ。私は太刀川のだらしない部分も含めて、好きになってしまったのだから。

 ――なんて、絶対に口には出さないけど。




(憧れの君とコイツ)



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