服部に誘われて入った部屋の中。芦田はきょろきょろと辺りを見渡してから、ソファに腰を下ろした。

 「支部長さんさぁ」

 服部は芦田の前にゆっくりと腰かける。芦田は相変わらずフードを被ったままだったが、すぐに気まずそうな顔をしながらそれを取った。その瞬間、銀色の髪がさらりと揺れる。日本人にしては珍しいその髪はしかし、手入れがされているのか根元までしっかりと銀色に染められていた。

 「ここ、支部長室なんでしょ? 俺が言うのもなんだけど、こんな簡単に通しちゃっていいの?」

 芦田はそう言いながら服部をじっと見つめる。銀髪の間を縫うようにして放たれるその目線はまさに、服部を品定めしているかのようだった。

 ――目が、怖いな。何かを決意しているような目だ。

 服部は芦田から目をそらすことはできなかった。そらしたら負けだと思った。こんなただの少年に負けるわけにはいかない。それだけがいま服部を動かしているチンケなプライドだった。

 「君は、うちの前原を助けてくれたね。それだけで十分信頼に値するよ」

 芦田はふーん、と声を漏らして不満足そうにしていた。余裕そうな、まさに大人の余裕のある笑みを浮かべていた服部だったが実際はそんな余裕、いっさいなかった。だがそれを悟られるわけにはいかないことくらいはわかっていた。

 ――本当はまだわからない。ただの高校生がWCCのシステムをハッキングできるか?
 ――……わからない。わからないから、こいつが怖い。

 「確かに俺はこの一連の事件の犯人じゃないよ。それにしても、WCCが聞いて呆れるね。まだ犯人の尻尾も掴めてないわけだ」

 芦田は嘲笑うように服部を見た。服部は何か反論したい気持ちで一杯だったが、実際それが事実なのだから反論もできずに、ただ耐えるしかなかった。思わずぎゅっと握りしめた手は、汗ばんでいて気持ちが悪い。

 「てことは、メインコンピューターはもう調べたの?」

 服部は芦田の言葉に頷いてから、芦田が言葉を紡ぐ前にと、口を開いた。

 「君は、WCCのシステムにどうやってハッキングしたんだ?」

 芦田はきょとんとした顔で服部を見た。

 「俺はWCCのシステムにハッキングなんて、してないよ」

 今度は服部がきょとんとしたアホ面をする番だった。

 ――ハッキングしてない? そんなわけがあるか!

 思わず心の中で罵声を吐いたけれども、それを口にすることはできなかった。芦田のいぶかしげな表情がまさに服部の行動をせき止めていたのだ。

 「もしかして気付いてないのかもしれないけど、どんな電子機器にも内蔵コンピューターってのがあるんだ」

 服部は小さく頷く。さすがにそれは、WCC、というか、電子機器に携わる仕事をしていれば知っていることだった。

 「確かにWCCってのはそのシステム自体に触れると火傷するけど、内蔵コンピューターをハッキングしたくらいじゃあWCCは痛くも痒くもないわけだから、そっちに報告はいかない。現に前原さん?の電子チップに侵入したときもWCCへの報告はなかったわけだ」

 息もつかせぬほどに捲し立ててから、芦田は得意気に笑った。

 「つまり、俺は内蔵コンピューターにハッキングしただけさ」

 服部は呆然と頭の中でいまの話を反芻させることしかできなかった。

 ――そうか、そんなことができるのか……。じゃあ、もしかして、

 「WCCのシステムにハッキングせずともウイルスを撒くことができる……のか?」

 呟くようにそう言うと、芦田はぴくりと肩を揺らした。

 「たぶん、この事件に関してそれは無理だ」

 芦田は目を細めた。

 ――無理?どういうことだ?

 こんな年下の少年に答えを求めることは情けないと思いながらも、服部は芦田が再び口を開くのを待った。

 「これ以上は答えられないよ」

 服部は驚きながら芦田を見る。にんまりと笑った芦田は確かにあどけなさを残していたが、それ以上に恐ろしかった。何かたくらんでいる、そういった顔をしているのは初対面の服部にもわかった。だからだろうか。服部は自分の背中に汗が流れるのを感じた。

 「交換条件だよ」
 「交換条件……?」
 「そ、取引しよう」

 芦田は足を組んでから身を乗り出した。その様子に服部は思わず少しだけ上体を後ろにやる。

 「支部長さんさ、俺に聞きたいことまだまだあるだろ?あと、前原さんを助けたあれ、このウイルスのワクチンなんだ」

 服部は思わず立ち上がった。芦田はそれを見て満足そうな顔をした。

 「俺は情報をなんでもあげるし、このデータをWCCに譲ろう。その代わり、」
 「その代わり……?」

 服部は息を飲む。

 「メインコンピューターを弄らせてくれ」

 芦田の真剣な目が服部を捕える。服部は戸惑っていた。心臓が激しく波打っていて、その音が芦田に聞こえているのではないかと心配になる。

 ――メインコンピューターを?それはつまり、日本の、いや世界のネットワークを芦田の手に委ねることになる。
 ――もし芦田が何か嘘をついていたらどうする?

 服部は芦田には気付かれないようにと、芦田の様子を盗み見た。

 ――嘘をついているのか、そうでないのかなんて、わからないな。

 芦田は相変わらずソファに足を組ながら座っているだけだった。そして、服部の視線に気がついたのか自分のパソコンをとんとんと叩く。

 「いつもは気は長い方なんだけど、今限定で長くないんだよね」

 すっと細められた目に服部は押し黙る。すると芦田はソファから立ち上がった。呆然とそれを眺めている服部を芦田は冷めた表情で眺めると、ゆっくりと口を開いた。

 「俺は別に交渉決裂しても問題ない。だから服部さん、」

 不意に「支部長さん」ではなく「服部さん」と、呼ばれたことに服部は驚く。

 「交渉決裂だね」

 芦田はそのまま部屋を出ていこうと、ドアノブに手をかけた。

 「待て!」

 服部の荒げた声に、芦田はドアノブからゆっくりと手を離す。

 ――ああ、はめられたな。

 服部は確かにそう思った。

 「メインコンピューターまで、案内しよう」

 芦田はもう一度ソファに座り直す。その顔に笑みが浮かんでいることは、見なくてもわかっていた。

 「服部さんも座ったら?」

 服部はゆっくりと腰を下ろす。

 ――やってしまった……かもしれない。もし、芦田がメインコンピューターを悪用したら?……大問題になるな。
 ――だけど、前原さんを救ったこいつを信じてみようと思った。
 ――いや、それ以上に。
 ――ワクチンが欲しかった。

 「悪用しようだなんて考えてないから、安心してよ」

 服部は内心驚きつつも、「そんなことは思っていない」と呟くように返す。

 「ふーん。……ああ、さっきの質問答えてあげるよ」

 服部は身を乗り出すようにして耳を傾けた。一方の芦田はソファの背もたれにゆっくりと体重をかけていった。

 「確かに内蔵コンピューターに直接ウイルスを送ることは可能だけどね。服部さんも知ってるでしょ?この事件は世界各地で起こっているんだ」

 始めにあの事件が発生してから早数日。現在何人の死亡者が出ているかは定かではなかったが、世界各国で死亡者が出ているのは確かだった。

 「複数犯っていう線も、忘れちゃいけないと思うけど、一体世界ではこのウイルスのせいで、同時に何人の人が死んでいるんだろうね。わからないけど、内蔵コンピューターに直接って手口では複数犯だったとしても、さすがに無理がある」

 その通りだ、と服部は思う。

 こんな少年に推理させて一体大人たちはこの数日間、何をやっていたのだろうか。そう悔やまれるばかりだったが、悔やんでいても仕方ないこともわかっていた。

 「だから、ウイルスの撒き方はおそらくWCCのシステムにハッキングしたか、それとも直接メインコンピューターから撒いたかとの、2つに絞られると思うよ」

 悠々と話す、大人顔負けの推理力を持った芦田の言葉に、なんだか服部は泣きたい衝動に駆られた。

 「で、他にはない?」

 芦田は急かすように服部に言葉を仰いだ。

 「ワクチンは?どうやって作った?」

 おそらく予想される質問だったはずなのに、芦田は初めて余裕のない顔を見せた。そして言いにくそうに口を開いた。

 「……ちょっとね。知り合いがウイルスにかかって、その内蔵コンピューターにアクセスして作ったんだ」

 芦田は顔を俯かせて、服部に見せまいとしていることがよくわかった。

 「そうか」

 服部は何か、よくわからないが、芦田にも事情があるのだろうと察した。人間味を帯びた一面を見せた芦田のことを、服部は先程よりずっと信頼に足る人間な気がしていた。

 「メインコンピューターに、案内してよ、服部さん」

 まだ少しだけ弱々しい声を出しながら、芦田はそう言った。


**


 通常、メインコンピュータールームには限られた人しか入れない。だから、これは――芦田がここに入ることは、例外だ。

 服部は芦田を連れて、メインコンピュータールームの扉を開けようとした。
 しかし、ジィッと機械の重たい音がして、服部が開けるよりも先に扉が開く。そして服部の視界に入り込んできた人物は、敵意を隠そうともせずに服部と芦田をにらみつける。思わず固まった服部をよそに、扉の向こう側にいたその人は芦田を見てから口を開いた。

 「服部くん、どういうつもりかね」

 目の前の40を少し越えたほどの男性は、元服部の上司だった。服部が一局員だった頃、班長だった男で、現在も一班長である男だった。服部がごくりと唾を飲み込み、口を開けずにいると、その男、近藤はゆっくりと口を開いた。

 「まさか、その得体の知れない男を、メインコンピュータールームに入れる訳じゃあ、ないだろうね?」

 申し訳程度につけられた疑問符は意味を成していなかった。

 ――わかるさ。近藤さんの言いたいことはわかる。だけど。

 「支部長権限です。確か僕の許可があれば、入ることができましたよね?」

 近藤はぎろりと服部を睨み付ける。服部はその迫力に気圧されないようにしていた。

 「ふっ」

 近藤が鼻で笑うような声を出す。

 「君も、偉くなったものだな」

 服部を嘲笑うかのような表情を見せてから、近藤は遠ざかっていった。

 そんな姿に服部はほっとため息をつく。そこで芦田の視線を感じて芦田の方を向いた。

 「早く入ったら?」
 「……そうだな」

 服部はメインコンピュータールームに足を踏み入れた。

 メインコンピュータールームに、部外者を入れるのは当然初めてだった。その「初めて」がまさかこんな少年になるとはだれが想像しただろう。服部は横目で芦田を見るが、彼は室内を見渡す暇もなく一直線にパソコンの方へと向かった。

 「君は、ここで何がしたかったんだ?」

 服部はメインコンピューターの方へと向かっている芦田の背中にそう投げかけた。芦田は目的地までたどり着くとすぐに自分のパソコンのコードをメインコンピューターに繋ぐ。予想はしていたが、その行動には少し服部も驚いて、言葉が出なかった。

 「何って、あんたたちの生ぬるい調査じゃわからないような足跡を探そうと思って」
 「……っ」

 服部はやはりまだ、完全には芦田を信じることができなかった。だが、先ほどの取引が服部を押し黙らせる。

 「変なことしないよ。そのために、服部さんが見張ってるんだろ?」

 芦田のその目に、見透かされたような気持ちになり、不意に煙草が欲しくなった。

 ――イラついてるのか。不安なのか。口寂しいだけなのか。

 服部は芦田がパソコンのキーボードを叩き始めたのを、ぼうっと眺めていた。流れてくる文字の羅列は、服部にはわからない。だが、なぜだろうか。確証のない、たぶん大丈夫だという気持ちがあった。

 「うーん……」

 芦田はパソコンの画面とにらめっこをしてから、はあと大きなため息をついた。

 「どうかしたか?」

 服部はそう言って、画面を覗き込む。もちろん服部に、その文字の羅列の意味が分かるわけもなく、困ったように芦田に目線を送った。芦田も服部のことを見ていたのか、視線が交わる。それから芦田は、もう一度、今度は先程よりも少しだけ長いため息をついてから口を開いた。

 「巧妙にカモフラージュされてる」

 予想もしなかった言葉に服部は目を見開く。

 「なんていうかー……。足跡はあるんだけど、不明確だというか。……つまるところ、尻尾は見えているのに掴めないって感じかな」
 「メインコンピューターに、痕跡があったのか?」

 服部が調べたときは確かになかった。いや、服部や前原はこのような仕事に従事しているとはいえ、芦田のように巧みにパソコンを操れるわけではない。だから気付かなかったのか。服部はもう一度、画面を見たがやはりただの文字の羅列でしかなかった。

 「あったにはあったよ。ただあっただけだ。そこから何も調べられやしない」

 挑戦状かもね、なんて苦々しく笑う芦田の目は、まったく笑っていなくて背中を汗が伝うのがわかった。

 「とりあえず、メインコンピューターにワクチンを打ち込むよ」

 芦田はまた少しだけ指を動かしてから、服部を見た。服部は言うべきか否か、悩んだあげくに口を開く。

 「俺は、君を完璧に信頼した訳じゃない。だから正直、ワクチンを打ち込ませるのも怖い」

 芦田は服部をじっと見つめていた。その瞳は、息を飲むほど美しい。

 「俺のことは信頼しなくてもいい。だけど、」

 芦田はすっと息を吸って笑った。

 「このワクチンのことだけは信頼してよ」

 芦田がなぜこんなことをするのか。なぜ苦々しい表情を浮かべているのか。そんなことはいっさいわからない。芦田のことを服部はまったくと言っていいほど理解していなかった。だけど。だけどなぜだろうか。服部は無性に芦田のことを信じたくなったのだ。

 「わかった」

 服部は気が付くと、そんな返事をしていた。



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