「君の退学が決定した」

 クラス担任――退学が決定した今となっては『元』なのかもしれないが――は、目を伏せながら言い放った。それを言われた少年は一瞬目を見開いたが、すぐに表情を戻す。そして、少々苦笑いをしながら立ち上がった。

 「先生のせいじゃないっすよ。いずれこうなる運命だったんです。気にしないでください」

 それだけ言うと、次に『元』担任が口を開かぬうちにと足早に部屋から出て行ったのだった。


**


 少年の名前は小松真宏。つい最近高校に入学したばかりの高校一年生であった。中学の時、成績がそれなりによかったおかげで県内中堅校に進むことができたが、入学二カ月目にして暴力事件を起こしてしまい、このざまである。

 だがしかし、真宏は純不良ではない。確かに多くの不良たちの憧れであり、尊敬の的ではあるが、コンビニエンスストアの前でたむろうようなそんな連中とは明らかに違う……そんな男である。

 「真宏さん!」

 不意に声をかけられたのは、大通りを歩いていたときのことだった。

 ―― あー……。誰だっけ、コイツ。

 改造学ランに、目が痛くなるほどの金髪。確かに見覚えはあるのだが、名前が出てこない。

 ―― えーっと……た……た。
 ―― た……竹。竹山……? 竹口? ……あ!

 「竹内!」

 真宏はやっと出てきた名前を口に出した。

 「どうしたんすか、こんな時間に」

 時刻はまだ、十二時前。真面目に学校に通っているはずの真宏がいるような時間ではない。竹内がそう尋ねてくるのもうなずけた。

 「あー……。学校、退学になっちまってさ」
 「そうだったんですか……」

 真宏も竹内も気まずそうに目をそらした。しばらく沈黙が続いたが、それを破るかのように竹内が「そうだ」と何やら言い出した。

 「真宏さん、俺の学校に来ません?」
 「は?」

 ―― うわ。ずいぶんとすっとんきょんな声が出てしまった。

 だが、それも気に留めていないかのように竹内は話し続けた。

 「俺から校長に頼むんで……ぜひお願いします!」

 深々と頭を下げているのを見て、いくつかの疑問が浮かぶ。

 ―― 俺は学校に通いたいと思っているし、確かにこの誘いは少なくとも『俺にとって』は有益なものだ。
 ―― けど、竹内が頭を下げてまで頼む理由はなんだ?
 ―― 俺がその高校に入ることによって、何かいいことでもあるというのだろうか?

 「……竹内。何かあったのか?」

 竹内は驚いた顔をして、重々しい口を開いた。

 「実は……」


 竹内の通う高校は男子校だ。そして、姉妹校のようなイメージで、とある女子校が隣接している。

 各校の初代生徒会長たちは学校ともども仲良くしていた。しかし、二代目以降は仲が悪くなり、全くもって関わり合いなどなくなってしまった。

 そうして現在に至るわけだが、男子と女子では明らかに男子の力のほうが強い。女子たちは頭の良さを盾としてきたが、今やそれすらも通用しないような世界である。つまり、この数十年間のあいだに男子の権力が高くなるのは必至だった。そして、それに伴い男子たちは威張るようになっていった。だが、女子たちに権力を振りかざしたり見下したりということは決してしなかった。それが彼らのポリシーだったからだ。

 それなのに……。

 女子たちは『革命』を起こしたのである。とある1人の生徒会長の出現により……。状況は一変して男子たちの権力はみるみるうちに堕ちて行った。そして女子たちは主導権を握ったのをいいことに、それを振りかざし、男子たちを尻に敷くようになったのである。
現在、竹内はその男子校のトップらしい。それで、なんとかしようと真宏に声をかけたのだ。

 「わかった……。行ってやるよ、その学校に」
 「ホントですかっ?」
 「おう! 俺は、嘘はつかねー男だ!」

 その後、真宏は主悪の根源である女子校へと向かった。もちろん例の生徒会長にガツンと言ってやるためだ。


**


 女子校に着いた時、何よりも驚いたのは外装。竹内の話によると、女子校と男子校は同じ年に開校した。それなのに、女子校と男子校では、女子校の方が圧倒的に綺麗なのだ。
色々な余計な考えを頭から追い出して、大きく息を吸った。

 「生徒会長ー! 出てこーーいっ!」

 いきなり大きな声を出したことに周りの女子たちは驚いたようだ。だが、そんなこと真宏は気にしてない。その羞恥心よりもはるかに楽しみだという気持ちの方が強かった。

 「あのー……」

 だから、

 「すみません」

 この女が、

 「私が……」

 名乗ったとき、

 「生徒会長の大谷弥月です」

 ……度肝を抜かれた。

 ―― こいつが生徒会長?
 ―― 冗談だろ。

 竹内はその生徒会長のことをあたかも救世主かのように言った。だから真宏はもっといかつい――少なくとももっと気の強そうな少女を想像していたというのに、それがどうだ? 目の前にいる少女は真宏が想像していたものの真反対をいくかのように、おとなしくて気が弱そうで、真面目で……いかにも生徒会長というレッテルが似合いそうな少女ではないか。

 「何か、御用ですか?」

 その言葉は耳に届いたが、真宏は返事もせずに少女をまじまじと見た。どこからどう見ても何の変哲もない普通の少女だ。こんな少女が革命を起こせるほどのやり手だとは到底思えない。

 「ちょっとー。あんたから話しかけてきたってゆーのに、シカトはないんじゃない?」

 真宏はぎょっとした。突如、目の前に現れた少女は、これこそまさに真宏の思い描いていたやり手の生徒会長≠セったのだから。

 「……お前が生徒会長さんか?」
 「はあ? あんた、弥月の自己紹介聞いてた? 生徒会長は弥月よ」

 確かに聞いていた。だが、そんなわけがない。真宏はそう思っていた。

 「それに、私じゃあ生徒会長にはなれないの」
 「どういう意味だ?」
 「だって、本当なら、いてはいけない存在なんだもの」

 ロングの緩く巻かれた茶色い髪を少し手でいじりながら真宏を見下すように言った。

 「は?」

 意味が分からない言葉を延々と紡ぐ。真宏の頭はついていかなかった。そして、数秒置いてから少女は嫌味なくらいにっこりと笑って言ったのだ。

 「大谷雄弥、一五歳。れっきとした男です!」

 ガツン、と鈍器で頭を殴られたような気がした。


**


 「竹内……俺は聞いてねえぞ」

 男子校の生徒会室。竹内がきちんと掃除しているようで、中はそれなりに綺麗だ。

 しかし、そんなことですら気付かないほどにこの部屋の空気は凍っているようだった。それは、真宏があらぬところを見ながら、不機嫌そうにしているからである。

 「な、何がでしょう?」

 竹内は恐る恐る、真宏の機嫌を損ねないように尋ねた。

 「生徒会長が二人だなんて、聞いてねえ」

 真宏にとってあの二人は奇妙な奴らであった。特に雄弥は、奇妙中の奇妙。むしろこの上ないくらいの異常=B何がどういうことになったら、男が女装するような状態になるというのだろう。真宏には全くもって理解できなかった。

 「あの、真宏さん。生徒会長のことなんですけど、別に二人ってわけじゃないんです」
 「あ?」

 真宏が不機嫌そうな声を出したからか、竹内は大きく肩を揺らしてから話し始めた。

 「あの二人は双子なんですけど、兄の雄弥って方はあの女子校の正式な生徒ではないので。男ですから、入学はできないんですよ。でも、確かに二人でやっているようなものですね。それに実質、女子校を動かしているのは雄弥の方です」

 ―― そういえば確かに生徒会長は弥月の方だ、って言ってたな。

 だが、残念ながら大谷雄弥という人物の存在感が強すぎて、妹の弥月の方はあまり真宏の脳内には残っていなかった。名前は覚えているのだが、顔が思いだせない、というよくあるパターンである。

 ―― 顔見りゃわかると思うんだけどなあ。

 「ま、いいや。今日は帰る」
 「はいっ! 今日はありがとうございました」
 「俺、なんもしてねえって」

 真宏は苦笑しながらそっぽを向いた。それは照れ隠しとも取れる行動であった。いや、実際に照れ隠しだったのかもしれない。


 それから数分も経たないうちに真宏は男子校を出た。そうして真っ直ぐに家に帰る……はずだった。

 目の前に自分より小さく、か弱い≠ニいう言葉がよく似合いそうで、まさに生徒会長≠ニいう、この少女が現れるまでは。

 「大谷……弥、月?」

 少ない情報を手繰り寄せ、やっと見つけたこの人物の名前。顔はイマイチ覚えていなかったので確証はない。だが、この外見や、放たれている雰囲気。おそらくこの少女こそが大谷弥月≠ナある。

 「小松真宏さん……ですね?」

 大谷弥月は今にも消えかけてしまいそうな声で呟いた。だがしかし、その声ははっきりと真宏の耳に伝わった。

 ―― そーいや、なんで俺の名前知ってんだ?

 真宏はこの少女に名乗った覚えはない。しかし、名前を知っているということはやはり独自の情報網がある、ということなのだろう。

 「……ああ、そうだけど。何か用?」
 「名前は調べさせていただきました。少し、お話しできませんか?」

 やはり消えかかりそうな声で言った。つくづく思うがこの子は一般的な少女、よりも少々可愛いくらいの女の子だ。これがあの学校のトップに君臨していなければ……、と思うのだった。

 「とりあえず、場所変えね?」


 先ほどの一言で動き出した二人が向かった先は、何を思ったのか、人気のない公園だった。おそらく真宏は人気のない∞落ち着いて話せる¥齒鰍ニいうので、この場所を選んだ。ここであえて喫茶店やファーストフード店を出さなかったのは、真宏が普段そういう場所を利用しないからだろう。だが、こうして不良少年といかにも生徒会長な少女が公園のベンチに腰をかけながら話すというのは、いささかシュールな光景である。

 「で、話って?」

 先に口を開いたのは真宏の方だった。この空気に耐えられなくなったのだ。

 「あの、とりあえず座りませんか」
 「ん? ああ……」

 真宏はドスッという音を立てて、腰を下ろした。

 「私は……誤解を解きに来たんです」

 ―― あれ、なんだか、
 ―― 顔つきがしっかりしたような……。

 先ほどまでのおどおどとした表情はなく、それはまさに多くの生徒に信頼されている生徒会長≠フ顔であった。

 「兄は優しい人なんです」
 「あの、女装趣味の奴が?」
 「……。あれには、理由があるんです」
 「理由が?」

 真宏には少々理解できなかった。

 ―― 女装するのに大層な理由がいるのか?

 「あれは、私のためなんです」
 「あんたの……ため?」

 つい、聞き返してから真宏は弥月を見た。

 「はい。ご存知の通り、私はあの学校で生徒会長をしています。入学当初、1つ年上の先輩に誘われて、生徒会に入って、生徒会長になったんです」

 上級生を差し置いて生徒会長になったこの少女は、それだけ実力があるということなのだろう。真宏は相槌を打ってから、弥月を見据えた。

 「生徒会長になりたてのころは、頑張ろう、って思ってました。やっていけると思っていたんです。でも、毎日届く被害届。生徒からのSOS。男子校からの圧力。極め付けに……男子校の生徒に、路地裏に連れ込まれて、殴られそうになって……」

 真宏はギリッと歯を鳴らした。弥月は相変わらずの顔つきだったが、少し体が震えている様だった。

 ―― 聞いてた話と違うだろーが。

 フツフツと怒りがわきあがってきた。どちらが嘘をついているのかなんて、火を見るよりも明らかなことだ。

 ―― 意味、わかんねえよ。

 だが、ここで怒りを溜めておいても、それこそ意味のない事。とりあえず、隣にいる少女を安心させようと真宏は立ちあがった。

 「ちょっと、飲み物買ってくっから、ここで待ってろ」
 「あ、はい」

 指でポケットの中に無造作に入れられた小銭を確かめながら、小走りで少し離れたところにある自販機へと向かう。

 自販機には色とりどりの缶やペットボトルが並んでいた。

 ―― まあ、適当でいいよな。

 文字通り適当に選んで、さすがに女の子を一人にさせておくのは不味いと思ったのか、急いで戻ってきた。が、すでに一歩遅かったようだ。

 「この野郎……」

 手に持っていた缶のうち、片方をぐしゃりという音を立ててへこませ、放り投げた。

 「って! 何しやがんだ!」

 当てるつもりはあまりなかったようだが、当たってしまっては仕様がない。

 ―― つーか、悪いのはそっちだろーが。

 真宏は一歩一歩踏みしめながら弥月を囲んでいた集団≠ヨと近づいて行った。

 「何しやがんだ、はこっちのセリフだろ」
 「は?」
 「あ、違ったか。何してやがんだ、だな」

 不気味なくらいニヤリと笑った真宏を見て、弥月を囲っていた男たちは冷や汗を流すほかなかった。

 「こ、小松さん」

 押さえつけられて、微動だもできない弥月が視界に入る。

 ―― ああ、もう……メーターぶっちぎれたわ。

 「まあ、病院送りになったら、自分を恨めや」

 それだけ言うと、真宏の顔から笑みは跡形もなく消え去った。

 それとは逆に、男たちは苦笑いをせずにはいられなかった。そして、男たちからは異常なほどの汗が出ており、それは弥月を押さえている男も例外ではなかった。だからか、弥月は男をまじまじと見つめた。男は目の前の真宏を見据えるのに精一杯で、弥月の視線には気付いていなかった。

 ―― ……あ、れ?
 ―― この制服って……。


**


 同時刻、男子校生徒会室。

 「はあ? 大谷弥月を襲うだあ?」

 竹内は開いた口がふさがらないほどの衝撃を受けた。しかも、報告によると、大谷弥月は雄弥以外の男と一緒にいたらしいではないか。

 ―― 間違いない。
 ―― その男は、
 ―― 真宏さんだ。

 竹内は思いっきり手を壁に叩きつけてから、頭を抱えた。思ったより強く叩いてしまったようで、手が地味に傷んだ。

 「俺、何もすんなって言わなかったっけか?」
 「っ! す、すみません! 止めたんですが……」

 真宏には及ばずとも、劣らないほどの殺気。竹内もやはり、この年で生徒会を任されるだけの実力者≠セった。

 ―― 駄目だ。
 ―― ぶちぎれてるだけじゃ、意味ねぇのに。

 竹内は、頭を冷やそうと、冷静になり心を静めることに専念した。

 「あ、あの……」
 「あ?」

 しまった、とは思いながらも不機嫌そうな声を出してから、顔をあげた。口を開いた男は気まずそうに、恐る恐る尋ねた。

 「真宏さんって、そんなに強いんですか? 大体、ウチの生徒が十人近くもいれば、さすがの真宏さんでも……」
 「あの人の強さの根源は、正義への異常なまでの欲望。だから俺たちが白≠ナ、女子校が黒≠セと認識していたころはよかった」
 「……はあ」

 竹内の目の前にいる男は意味がワカラナイという顔をしながらも、相槌を打った。

 ―― まあ、それもそうか。

 それでも竹内は話を続けた。

 「だけど、今回の一件であの人の中の認識は逆になる。あの人は自分の信じる白=Aすなわち正義のためだったら何でもできる。……それに、あの人が負けたところなんて、俺は見たことがないよ」

 儚げに笑った竹内を見てか、話を聞いてか、男は怖くなった。

 「お前、真宏さんの退学の理由知ってるか?」

 男が首を横に振ると、「知るわけねーか」と窓の外を見つめながら言った。

 「ダチのためなんだとよ。ダチのために一発食らわせたら相手が悪かったらしい。……もちろん、悪いのは相手の方だったらしいが、世の中権力ってやつでどうとでもなっちまうからな」

 竹内はふう、と一息ついてから険しい表情になった。

 ―― だから、あの人が敵に回るのは嫌なんだ。

 眉間にしわを寄せて、何かを考え込んでいる竹内の耳にコンコン、という軽やかな音が聞こえてきた。そして、何の返事もしていないのに扉が開く。もったいぶるようにゆっくりと開くせいで、なかなか顔が見えなかったが、見えた瞬間、竹内は顔を歪ませた。

 「どーも、こんにちは」

 不敵に笑う男の手には、少し血がこびりついていた。

 「大谷、雄弥……!」


**


 その頃、件の公園では真宏が全ての男たちを気絶させたところだった。

 「あの、小松さん」

 弥月は早々と解放されて男たちと真宏のやり取りを見ていたわけだが、正直鳥肌が立っていた。怖いとも思っていた。しかし、自分は生徒会長だ。そう思って、真宏の前に立った。

 「んあ?」

 全ての男を気絶させた時点で真宏の気は治まったのか、先ほどとは打って変わったような呑気な声を出した。

 「……気付いているとは思いますが、この人たち、男子校の生徒です」
 「あ……マジか」

 真宏は気付いていなかったようで、足元に転がっている男たちをじっと見た。

 ―― 確かに、男子校の生徒だ。ったく、竹内のヤロー。

 「大谷弥月、行くぞ」
 「え?」

 真宏は戸惑う弥月の手を引いて、真っ直ぐに走り出した。


 ―― 相変わらず汚ねえ校舎だ。

 女子校の校舎を見てからだと、どうにも真宏にはそうとしか思えない。きっとそれは、女子校の生徒会長である大谷弥月も同じことだろう。

 そして二人は校門をくぐる。

 この校門をくぐる瞬間、いや、くぐる前から真宏はまた男子校の生徒に囲まれるんじゃないかと思っていたわけだが、どうやらそれはいらぬ心配だったらしい。なんせ、道行くたびに出会うのは男子校の生徒ではなく、男子校の生徒の残骸≠セったのだから。

 ―― これだけの数、一体誰が。

 その疑問に答えるかのように、数歩後ろを歩く弥月は呟いた。

 「雄弥です」
 「……アイツ、そんなに強いのか?」

 ―― まさか、これを一人で……?

 そう思うと、背筋が凍った。

 「雄弥が負けたところは、一度しか見たことありませんから」

 こんなに強い奴にも上がいる。一見、現実に打ちのめされそうな状況かもしれない。だが真宏は、こぶしを強く握り、胸を躍らせていた。

 そうこうしているうちに、真宏たちは生徒会室の扉の前まで来ていた。

 弥月には、この扉が開くことさえ困難な重い扉に感じられてしかたなかった。

 「開けるぞ」
 「……はい」

 真宏の手によって静かに開いていく扉。その半歩ほど後ろにいる弥月は流れた冷や汗を気にしないようにして、その扉だけを見つめていた。そして、扉を開いている真宏の手は微かに震えていた。

 ―― 恐怖? いや、まさか。
 ―― これは、武者震いだ。

 扉を開けたくない。開ければ終わってしまう。

 真宏が楽しみたいのは、この扉を開く前のどうしようもない高揚感。この扉の向こうにはどんな強い奴がいるのだろうという、どうしようもないほどの胸の高鳴り。

 そして扉は――開かれた。


 扉の中の空気は凍っていた。誰も動けないくらい、完璧に。

 雄弥と竹内は、睨みあいながらも一歩も動かなかった。いや、竹内は正確に言うと動けなかった、のかもしれない。

 雄弥の足下には竹内の部下が転がっている。迂闊に手を出すとああいうことになるのかと思うと、竹内の頬には汗が一筋流れた。

 ―― コイツ、真宏さんと同じくらい強いんじゃねえか?

 竹内は目の前の雄弥を見ながら目を細めた。対する雄弥は、竹内を睨みつける、というか、怪しげに口元を歪ませて笑っているだけだった。

 ―― 何か、仕掛けるか。

 竹内はそう思って拳を強く握る。強く握りすぎて爪が食い込んだ掌が少しだけ痛かったが、その痛さはまだ少しだけ夢の中にいるような気分だった竹内の気をこちらに引き戻した。

 そして竹内が踏み出そうと右足に力を入れた。その時だった。
 いままで完全に凍っていた空気が、扉が。何者かの手によって、開かれた。

 「よお」

 真宏は軽く手を上げて部屋の中にいた雄弥と竹内を見た。

 「ま、ひろ……さん」

 竹内は酷く怯えたような顔で真宏のことを見ていた。その一方雄弥は邪魔をするな、という顔で真宏のことを睨んで来た。

 「邪魔して悪いな」
 「……全然悪いと思ってなさそうだけど」

 雄弥が長い髪を揺らしながら不機嫌そうに答える。そして真宏のすぐ後ろに隠れるようにして立っていた弥月を見てか、驚いた顔をした。

 「なんで連れてきたの」
 「は?」
 「弥月をなんで連れて来たんだよ」

 不意に口調が変わった雄弥。いつものその余裕そうな顔が崩れるほど、雄弥からは殺気が漏れていた。

 「んなこと言うんだったらよぉ。大切なもんくらいちゃんと自分で守れや」
 「守ってる! 俺はいつだって弥月のことを大切に思ってるし、守ってるさ!」

 雄弥は感情に任せて言葉を紡ぐ。そして雄弥はぶつけようのないこの感情を吐き出すように、強く握った掌で壁を叩いた。

 「大事なんだ、弥月が。だからこんな汚れた世界は見せたくない」

 弱弱しい声でそう言う雄弥を見て、真宏はため息をついた。

 ―― お前の大谷弥月を大事に思う気持ちはわかったよ。
 ―― だけどそれじゃあ、

 「ただの自己満足だろ」
 「……っ!」

 雄弥は悔しそうに拳を握って、それを真宏に振りおろそうとした。が、

 「やめて、雄弥!」

 真宏にあたるよりも先に、弥月の声が響き渡る。狭い部屋で反響する弥月の声は、優しいソプラノだった。

 「私、小松さんに助けてもらったんだよ。だから、そんなことしないで」

 驚いたような顔で弥月を見てから真宏を見る雄弥。ようやく真宏の言葉の意味を理解したようで振り上げた拳は力なく下ろされた。

 「それに私は生徒会長だよ」

 弥月は雄弥の前に立つ。その顔は凛々しい生徒会長であり、雄弥の妹だった。

 「雄弥だけ勝手に汚れていかないで。少しは私のことも信用してよ、お兄ちゃん」

 弥月の手が雄弥の顔へと伸びてゆく。見てはいけない、と思った。雄弥の頬が濡れていたから。真宏は少しだけ口角を上げて二人を見ていたが、その表情を厳しいものにしてから竹内を見据える。

 「さあて、放置プレイして悪かったな、竹内よぉ」

 竹内の華奢な体がびくりと揺れる。真宏は不敵な笑みを浮かべながら竹内に一歩一歩と近づいて行った。

 ―― やばい。

 竹内はただそれだけを、本能的に思っていた。もう何も発することはできないし、逃げることもできない。最後の抵抗と言わんばかりに、真宏が近づいてくるたびに少しずつ後ろに下がっていたが、竹内の背中に何かひんやりとしたものが触れた。

 「お前よぉ、嘘ついてんじゃねえよ。俺が嘘嫌いなの、知ってんだろ?」

 竹内が後ろに下がることは、もう叶わなかった。

 「あと俺は弱い者いじめするやつも好きじゃねえんだ。……だから、」
 「ひっ」

 真宏はゆっくりと口を動かす。あまりに小さな声だったようで雄弥と弥月には聞こえなかったが、至近距離にいた竹内には口の動きだけで何と言っているか分かった。

 『消えろ』

 真宏は確かにそう言った。

 そして次の瞬間、竹内の体がもう下がれないと思っていた壁の方へと動かされる。

 「加減してやったから感謝しろや」

 真宏は不敵に笑って竹内に背を向ける。
 竹内は――真宏の顔面への一発で壁にめり込んでいた。


**


 「はあ。結局俺これからどうすんだろ」

 男子校の門の前。
 もうここへ来ることはないだろうと男子校の校舎を見上げながら呟く。

 しかし、後悔はしていない。真宏は確かに女子校を、生徒会長である大谷弥月を、助けたいと思ったのだから。

 これで竹内が改心するかどうかは真宏の知るところではない。だが、これからは、いやこれからも。大谷雄弥が女子校を守って行くのだから。

 真宏は男子校の敷地を出ようと大きく一歩踏み出す。その時だった。

 「小松さん!」

 大きな声が後ろから聞こえてきたのは。

 真宏の耳に届く優しげなソプラノ。この声には聞きおぼえがあった。

 「大谷弥月」

 後ろを振り返るとやはりいたのは大谷弥月。そして不機嫌そうな顔をした大谷雄弥。

 「ありがとうございました」
 「おう」

 真宏は軽く手を上げてその場を去ろうとする。

 「これからも、」

 ―― これから、も?

 その言葉に踏み出そうとしていた足を止めてもう一度振り返る。

 「これからも、女子校を守ってくれませんか」

 真宏は開いた口がふさがらなかった。

 「ボディーガードしろってことよ」

 いままで不機嫌そうに口を閉じていた雄弥がようやく口を開く。

 「弥月がせっかく頼んでるんだから断ったら殺すわよ」

 すっと目を細めた雄弥に真宏は、くつくつと声をこぼした。

 「面白れえ」

 真宏は大空を見上げた。空は青く澄んでいて真宏の背中を押している様だった。

 「やってやろうじゃねえか」

 その言葉は大空へと消えていくように溶けていった。



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