人の少ないプラットフォーム。私の隣には貴方が立っていた。それはもう定位置みたいなもので。でも、この関係に、それといった名前はない。そんな関係。

 その日の夕焼けは、綺麗だった。だけどそのせいで、表情が上手く見られない。

 「あのさ、」

 だからあの時、貴方がどんな顔をしていたのか、私は知らない。知る宛も、ない。

 「……いや、なんでもない」

 だから、なのかな。私は今もその先の言葉に、とらわれている。





 「おはよ」

 眠たい目を擦りながら上履きを取り出す。そして上履きを履きながら、声をかけたはずの相手を見た。その相手は、私の目の前でひきつった顔をしていたが、しばらく何かを言いたげに目を伏せてから、顔をあげて私を見る。

 「ねぇ、結衣子。もう、忘れたら?」

 その言葉に、何か、深く深く胸に突き刺さる。しかも細いものでは決してなくて、太いそれは抜けることを知らない。

 「何の話?」

 絞り出せた言葉は、たったそれだけだった。だけどもう、それで精一杯。私はもうそれ以上の言葉を発することさえ、苦痛でしかなかった。そんな私を見てか、目の前にいる知恵は顔を歪ませながら、再度口を開く。

 「だって、またクマ、できてる」

 ――ああ、やっぱりな。

 鏡は確認してきてないけれど、そんな気はしていた。昨日の夜はあまり寝られなかったから。

 「結衣子はこの季節になると、いつもそう。もう、3年も経ったのに」

 悲しげな顔で言う知恵に、募る罪悪感。だけどそれとは別のところで、捨てられない気持ちがある。でもまたその反対側で、それを封じ込めておきたい気持ちもある。家にある写真立ては伏せたままなのに、あの言葉に囚われた私は、なんて愚かなんだろう。そう、頭ではわかっているつもりだった。

 「ごめんね、知恵。やっぱり忘れられないみたい」

 私がそう言うと、知恵は瞳を曇らせながらも笑った。「そっか」って。ただ、笑った。





 ただの、友達だ。何度もそう思おうとした。

 あの日。貴方が何かを言いかけて、やめた日。別れるのが惜しいと、いつもと同じように思っていた日。私の時間はその日から止まったままだ。呪縛のように、本当は何の拘束力もないはずの言葉に囚われて。あの言葉の先にあったのは何だったのか。その想いが、なぜか私を縛り付けてやまない。

 どうして、こんなに貴方で一杯なんだろう。どうしてあんな言葉に囚われているんだろう。

 いや。それは、わかっている。それは、その次の日。私の世界から貴方がいなくなってしまったからだ。

 あの先に続いた言葉はなんだった? 「俺、引っ越すんだ」? それともまた別の何か?

 何度も何度も、そんな考察を重ねた。意味がないと、わかっていても。答えを知っているのが貴方だけだと、わかっていても。

 だから、貴方に会いたかった。何の言葉も、ここにいた証も。何もかも置いていってはくれなかった貴方に。

 あんなに近くにいたのに、連絡先さえ知らないとか、笑える。そう、自嘲げに笑った。窓際に置かれた写真立ては相変わらず伏せられたままだった。





 貴方が私の世界から消えてしまったこの季節を迎えると、私はいつも、眠れなくなる。胸が苦しいとか。あれって、本当だったんだね。比喩じゃない。本当に、胸が痛くて苦しくて、仕方がない。

 「おはよ」

 私はいつもと同じように上履きを出しながら知恵に声をかける。知恵はその瞳に悲しさを隠して、口許を引き上げた。

 「おはよう、結衣子」

 また、悲しませた。

 そんなこと、わかっていた。だけどどんなに悲しませても、捨てることができない想い。ここまでくるとただ執着しているだけなのかもしれない。きっと想いを捨てる宛がなくて、困っている、だけ。そう上辺だけ思い込むのは、もう慣れたものだった。

 「ねぇ、結衣子。今日、久々に遊びに行かない?」
 「えっ?」

 知恵の思わぬ誘いに、思わず声を漏らす。

 「だって、こういうときは美味しいもの食べるのが一番じゃない?」
 「……うん、そうだね」

 知恵の思いやりに涙が出そうだった。いや、目尻がほんの少し濡れている。私はそれを拭って、笑みを浮かべた。

 「じゃあ、駅で集合ね?」
 「え? 駅?」
 「うん、だめ?」

 小首を傾げる知恵の言葉を否定することなんてできない。私の口から出たのはやはり、肯定の言葉だった。





 駅は帰宅途中の学生で賑わっていた。人混みがあまり好きではない私にとって、この人混みはかなりの苦痛を伴う。それに、この中から知恵を探し出すのは一苦労だ。なぜ、学校で待ち合せなかったのだろうかと、自分の選択を悔やむしかなかった。

 「知恵、どこよぉ」

 弱々しい声を出しながら、きょろきょろと辺りを見渡す。が、もう待ち合わせ時間だと言うのに知恵は見当たらない。仕方ない、と、私は携帯を取り出そうと鞄を漁り始めた。

 そのときだ。

 軽く腕を捕まれる。私は勢いよく顔を上げて、その手の主を見ずに言葉を紡ぎだした。

 が、

 「もうっ! 知恵った、ら……」

 あんぐりと。アホらしく口が開く。しばらく時間が止まったかのように言葉を発することができなかった。

 目が、合って。離せなくて。震える唇がやっと言葉を発する。

 「春、哉」

 あの日と寸分変わらぬ姿の春哉は私を見て頬を緩ましながら「うん、久し振り」と。そう言った。

 これは夢? 現実?

 拍子のないことすぎて、頭が回らない。周りの雑音はシャットアウトされていた。

 「ほんもの……?」

 半信半疑で、そう問いかける。目の前の春哉はくすっと笑ってから、言葉を紡いだ。

 「間違いなく本物だよ。……ねぇ、結衣子。俺は、あの時の続きを言うために戻ってきたんだ」

 ふわっと浮き上がるあの日の情景。同じなのは駅だと言うことだけなのに、あの日が蘇るようだった。

 「俺、結衣子が好きだ」

 ああ、いま。

 「……うん、私も」

 止まっていたはずの時間が、動き出す。




(止まった時間)



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