カスティカ王国の外れにある、小さな小さな村。農業を生業とするこの、イストーヴァという村は、いたって平穏だった。
――黒い毛並みの良い馬に跨がった貴族風の男性と、それに引き連れられた兵士たちがやってくるまでは。
「ねぇねぇ。どうしたんだろうねー」
ハンナはちらちらと村長宅を見ながらそう言う。リザリアも少しは気になっていたものの、ハンナほど頻繁に見ることはできずにいた。
「どうする? 誰か、玉の輿とかだったら!」
キャッと黄色い声を上げてはしゃぐハンナ。リザリアはあの男性が乗ってきた馬を見てから、声を潜めた。
「でも確かに、都の……しかも、いいとこの貴族っぽいもんね」
こんな辺鄙な村に育ったからか、ここの子供たちの都への憧れは甚だしかった。それはリザリアやハンナも例外ではなく、都での暮らしを思い浮かべてうっとりとする。
「リザリア!」
そんな空気を壊すように、リザリアの名が叫ばれる。リザリアはハンナと顔を見合わせて、眉間に皺を寄せてから呼ばれた方に向かっていった。
「あの、一体……。私、何か……」
いつもならハキハキと話すリザリアも、今日はそうはいかなかった。リザリアは自分はいまからあの男性のもとに連れていかれるのだろうということを、悟っていた。だがその一方で、理由はまったくわからずにいた。リザリアはこの村から出た覚えがないし、あの男性がこの村に来た記憶もない。まったく初対面なのである。
村長の部屋に着くまでの間に、ひたすら思案してみたものの、やはり何も浮かばない。目の前のリザリアをここまで連れてきた男は、リザリアの問いかけに肩をすぼめるだけで、何の答えも与えてくれなかった。
いざ着いたところで、リザリアは足がすくんでしまう。それを不審に思ったのか男は軽くリザリアの背中を押す。
「ただいま、リザリアを連れて参りました」
ああ、もう逃げられない、と。逃げる気など毛頭なかったリザリアだったが、ついそう考えた。
「入れ」
言い放たれた言葉はリザリアの体を蝕む。リザリアはその言葉にしたがって、ゆっくりと部屋の中に踏み入った。
部屋の中の空気はリザリアにもわかるほどに、張り詰めていた。というのも、間違いなくあの馬に跨がっていた男性のせいに違いなかった。彼はリザリアを一瞥すると、すぐに視線を戻す。その姿はリザリアが思っていたよりもずっと若く、美しい。
「リザリア。座りなさい」
「あ、はい」
リザリアは村長の言う通りにおとなしく腰を掛ける。自分がなぜここに呼ばれたのか、理由もわからないまま、リザリアはその場で縮こまっているしかなかった。
「リザリア。よく聞きなさい」
「……はい」
村長の真剣な瞳に気圧されそうになりながら、リザリアは同じように真剣な表情を作った。張り詰めていた空気はさらにリザリアを苦しませる。
緊張と苦しみとを交互に与えられているような感覚に陥っていたリザリアに、村長は衝撃の事実を口にする。
「レティーが亡くなってから、一人で頑張ってきたな」
リザリアは肩を震わせた。亡くなってから数年が経つもののやはり、レティー――母の名を聞くだけで、少しだけ切ない気持ちになった。
だがここで母の名が出てきたことに、リザリアは疑問を感じる。そしてこれはもしや、自分を養子にと言う話なのではないかと眉間に皺を寄せた。
「……リザリア、お前はね、」
村長はそこで言葉を途切らす。どことなく言いにくそうなのはおそらく、リザリアの勘違いではない。
「国王陛下の娘なんだよ」
予想外の言葉にリザリアは呆然とする。いったい何を言っているのか。それすらも理解できずに、ただぽかんと阿保らしく口を開けていた。
「リザリア様。貴女には私と共に王都に来ていただきたい」
いままで完全に口を開かずにいた男性が、リザリアにそう告げた。リザリアの頭はしっかり働いていない。
「えっ……王都!?」
「そうです。申し遅れました。私、国王陛下の臣下の、アーデルテ・スコッティと申します」
リザリアは自分がどうするべきか、理解できていなかった。小さい頃からイストーヴァで育ったリザリア。この村にはたくさんの友達もいるし、住み慣れた環境もある。どんな理由があれ、離れたくないというのが本音だった。
「あの、私」
リザリアは小さく声をあげる。そして言葉を続けようとしたが、それを諌めるようにアーデルテが口を開いた。
「申し訳ございませんが、リザリア様に選択肢はございません。貴女様は現国王陛下唯一のご息女様なのですから」
離れたくないと、リザリアのそんな願いは打ち砕かれる。リザリアはすっかり力が抜けて、呆然と座っているしかなかった。
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