外は土砂降りだった。朝は雲一つない快晴だったけれど、天気予報のお姉さんはしっかりと午後には雨が降るでしょうと告げていて、私はそれに従って傘を持ってきた。それはいつもより少し大きく、私には似合わない。
改札を出てすぐのところ。いつもより2本早い電車に乗った私はもう10分はそこに立っていた。幸い風はそう強くないようなので雨が構内に入ってくることはなかったが、それでも外からの冷気を感じる。
もうすぐ。もうすぐだ。私のいつも乗っている電車が、到着する。
私はぎゅっと手に持った傘を握り締めた。外からの冷気で体は冷え切っていたにも関わらず、傘を持っている手だけはほんのりと汗をかいている。
そんな私の視界にホームから降り立った人々が入ってくる。私は思わず顔を俯けたくなったが、それを一生懸命に止めて、改札を凝視した。
はっと、息を止めたのと、目が合ったのはほぼ同時だった。彼は目を大きく見開いて動きを止める。まるで世界には私と彼と二人だけになったように、私たちの間に広がる人ごみは、見えなくなった。時間が、いや、世界が、止まった。私は勇気を振り絞りながら、口を動かす。
――伊勢谷くん。
そう、言いたかったのに、上手く声が出てくれない。
だけど彼はこの口の動きを読み取ったのか、はっとして我に返ったように動き出して改札を抜けた。そして小走りでこちらへよってくる。驚きと、戸惑いを隠せないような表情をしながら。
「伊勢谷、くん」
掠れた声で、彼の名を呼ぶ。彼は私の前で立ち止って、すっと息を吸ってから言葉を紡いだ。
「宮辺さん、勘違いしてたみたいだけど、俺、彼女なんていないから」
園ちゃんから確かに聞いていたことだったけれど、私は伊勢谷くんの口から聞くことができたことに、少なからず安堵した。そして、私はもう一度傘を握り直して、心を落ち着かせてから口を開く。
「あのね伊勢谷くん、私、」
昨日から幾度となく練習した言葉だった。頭の中で何度も何度もシュミレーションして、私は今やっとその言葉を、吐き出す。
「伊勢谷くんのことが、好き、です」
言った。言ってしまった。
私はそう告げた瞬間に、顔を俯けた。だって伊勢谷くんの顔を見るのが怖い。私は臆病だからもう、いますぐ逃げ出したい気分だった。だけど、どんな答えだろうと受け入れなければいけない。逃げちゃ、いけない。
でもそんな私に追い討ちをかけるように、頭上からため息が聞こえてくる。これは間違いなく伊勢谷くんのものだ。そう思うと悲しくて悲しくて、涙が出てきそうだった。
だけど、私の耳に聞こえてきた言葉は、
「まじか。……俺が、先言うつもりだったんだけど」
という伊勢谷くんの、一抹の恥ずかしさを含んだような声で、私は思わず顔を上げる。
私の視界に入ってきたのは、ほんのり顔を赤くする伊勢谷くん。私の脳内はパニック状態で上手く意味を受け入れてなかったのだけれど、伊勢谷くんは、こほんと咳払いをしてから口を開く。
「俺、宮辺さんのことが好きだよ。だから、付き合ってもらえますか?」
私はぽかんと口を開けながら彼を見上げる。
え……え、ええっと。何? 何が起きてるの?
私が伊勢谷くんのことを好きで、伊勢谷くんが私のこと、……好き?
「え……えぇっ!?」
脳内に染み渡っていった答えに私は上手く対応できずに声を上げた。伊勢谷くんは一瞬動きを止めたがすぐに肩を揺らしながら笑い出す。私は恥ずかしくなって顔を赤らめた。
「好きなんだよ、宮辺さんのこと。たぶん初めて見た時から」
私の頭は確かにパニックだったけれど、それでも導き出せる答えなんて一つしかなかった。
「……はい、よろしくお願いします」
その答えに伊勢谷くんは満足げに笑う。そして私も気恥かしげに笑った。
「それにしても、雨すごいね。俺、傘持っていなくてさ」
そう言いながら肩をすくめる彼は確かに傘を持っていなかった。だけど、
「傘、入る?」
私は傘を広げてから、彼に向かってにっこりと笑う。少し大きめの、紺色の傘は私には似合わない。だってこれは、あの日、伊勢谷くんが私に貸してくれたものだから。
伊勢谷くんはうっすらと笑みを浮かべながら、なんとも自然な動作で私から傘を奪っていく。そして私たちは傘という空間に収まった。
諦めて逃げて、捨ててしまおうとした思い。それがこんな結果になるなんて、思いもしなかった。
雨の日にだけ会える「彼」はもういない。だけど、この密室で二人きりになれるのは雨の日だけだ。
騒がしい駅前から遠ざかっていくにつれて、辺りは静かになっていく。私は少し触れ合う肩のぬくもりを、恥ずかしく思う一方で、心地よく思っていた。そしてふと、斜め上を見上げる。
「俺、雨好きなんだ」
私と目の合った伊勢谷くんははにかみながらそう告げた。
「宮辺さんと会えたし、こうして、二人きりになれるから」
「……うん、私も、雨好きだよ」
そう言うと伊勢谷くんは少し驚いた顔をしてから笑ってみせた。
私はそれを見てから、傘の外で降り続けている雨を見た。
ああ、また、雨が降りますようにと、願いながら。
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