ピピっという音がして、私の目の前に数字が表示される。

 「38度か」

 ぽつりと呟いた声は部屋の中で反芻する。

 昨日傘もささずに家まで帰ってきてしまったのが間違いだったのだろう。頭がぼうっとしてまともに働かない。それに、耳鳴りがする気がする。

 「頭痛いなぁ」

 私はそうつぶやくと枕に顔をうずめた。今日は、学校を休む。それがちょっと嬉しかったなんて、お母さんの前では絶対に言えない。

 だって、辛かった。

 園ちゃんに、伊勢谷くんに、会いたくなかった。……なんて、私は自己中なやつだと思う。

 「もう考えるの、やめよう」

 そうだ。やめてしまえばいい、何もかも。

 私は辛くなった現実から目を背けるように、ゆっくりと眠りに落ちていった。それはそれは深い眠り。せめて眠っている間くらいは、すべて忘れてしまおうと、思いながら。


**


 頭が痛い、痛い。私の意識は何かに呼び起こされているよう。その一方で、もう何も聞きたくないと、眠気が襲ってくる。でも、声が聞こえた。聞こえてしまった、私を呼ぶ声が。それに応えるのは億劫だったけれど、応えなければいけない、そんな気がした。


 「さ、つき……?」

 高いソプラノの声がする。私の声はどちらかというと高くないから、この声は憧れだった。そして、視界いっぱいに広がったこの、ふんわりとした髪も。

 「園ちゃん」

 私は彼女の名前をぽつりと呟く。園ちゃんは一瞬戸惑ったような表情をしてみせたが、すぐにそれをやめて、笑ってみせた。

 「もう17時だよ? 一体何時間寝る気?」
 「えっ」

 私は急いで時計を確認する。確かに時刻は17時になるところで、私が最後に時計を見たのは7時くらいだったからもう10時間も寝ていることになるらしい。だからか襲ってくる頭の痛さは「熱から」というよりも、「寝すぎ」のようだった。

 「……具合、どう?」

 園ちゃんは私の様子を伺うようにそう言った。

 「うん。もう大丈夫みたい」
 「そう、よかった」

 園ちゃんは安堵の表情を浮かべる。私はそれを見ながら、今朝園ちゃんになんとなく会いたくないと思ってしまった自分を恨んだ。

 園ちゃんはこうして私の見舞いに来てくれた。なのに私は会いたくないなんて、考えて。もう、最低だ。

 そうやって自己嫌悪が募っていく。だけどそれを表情に出さないようにと、私は笑顔を貼りつけながらベッドに横たわっていた体を起こした。

 「あのね、彩月。私、彩月に話さなきゃいけないことがあるの」

 昨日園ちゃんは何かを言いかけてやめた。きっとそれは園ちゃんにとって、言いにくいことだ。そう思うと体は硬くなって、もう動かない。それでも私は小さく「うん」と呟いた。

 「私、タカのこと、好きなの」

 もう一度聞かされたその言葉に、私は目を丸くした。

 そんなこと、知ってる。園ちゃんが伊勢谷くんのことが好きで、告白して、……振られてしまったのも。

 「うん、知ってるよ」

 そう言うと園ちゃんは顔を俯かせた。私ははっとしてそれから先の言葉を上手く紡げなくなる。

 そうだ。振られたからといって、諦めきれない思いだってある。きっと園ちゃんの伊勢谷くんへの思いはそれほどまでに強いものなのだろう。そう思うとずんと心が重くなった気がした。

 「園ちゃんは伊勢谷くんのこと、想い続けるなら私、」

 まただ。またべらべらと言葉を紡ぐ。私自身が傷つくと知りながら、それでも私はもう戻れない。しかし、

 「違う」

 私の言葉が終わらぬうちに、園ちゃんの高い声が聞こえる。私はびっくりして言葉を紡ぐのをやめ、園ちゃんを見た。園ちゃんは辛そうに顔を歪めている。

 「え? ……園ちゃん?」
 「違うの。私、タカのことが好きなの。だから、」

 園ちゃんは俯けていた顔を上げて、私を見た。そのくりりとした大きな目には今にも溢れんばかりの涙が溜まっていて、言葉も出なくなる。

 「嘘を、ついたの」

 嘘? ……何の、話?

 私は呆然と園ちゃんの話に耳を傾ける。

 「私、彩月がタカのこと好きだって、わかってた」

 頭が、ついていかない。息が上手く、吸えない。自分の部屋のはずなのに、苦しくてしかたがない。

 「だからタカに、」

 園ちゃんの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。それは窓から入り込んだ夕焼けの色を帯びていた。

 「彼女がいるっていう嘘をついたの」

 なん、だって? 何を、言ったの?

 頭の中は疑問だらけで、まったくもって正常に働かない。私は何も理解できずにただ、園ちゃんを見つめる。園ちゃんは言葉を吐き出したことで気が緩んだのか、涙を流していた。

 「彼女なんて、いないの」

 ごめん、ごめんと、園ちゃんの綺麗な唇から発せられる。私はそこでやっと頭が働いてきたのか、その言葉たちを頭の中で反芻させていた。

 伊勢谷くんに……彼女は、いないの? いるっていったあれは、嘘だったの?

 「だからね、彩月。諦めなくていいの。私のことなんて気にしなくていいの」

 園ちゃんは腕でごしごしと涙を拭う。そしてにっこりと笑った。

 「タカに思いを伝えたって、いいの」
 「……うん」

 園ちゃんの目からは未だに涙が流れていて、私はそれを指ですくってみせた。泣いた翌日に目元が真っ赤になる原因はごしごしと擦ることだそうだから、このままだと園ちゃんは明日大変なことになってしまう。

 だなんて、余計なことを考える余裕が出てきたところで私は園ちゃんに向けて、笑みを浮かべた。ここ最近園ちゃんの前では暗い顔ばかりしていた気がする。

 「ありがとう、園ちゃん」

 嘘をつくくらいに伊勢谷くんのことが好きだった園ちゃん。きっと私に伝えたくなんてなかったはずだ。それなのに勇気を出して伝えてくれた。私はそのことが嬉しくて、視界が歪む。

 それからしばらく私たちは、お互いを慰めながら泣いていた。結局明日はどちらも目元を真っ赤にすることになりそうだ。


 「ねえ、彩月」
 「うん?」

 私は園ちゃんの顔を覗き込んだ。園ちゃんはにやりと笑ってから口を開く。

 「タカに気持ちを伝えないで逃げるなんて、許さないんだからね」

 園ちゃんの言葉は深く深く突き刺さる。どうやら私は逃げられないらしい。でも、諦めると決めたのにうまく諦めきれなくて。ずっと燻ったままでいたこの気持ちを開放するにはそれしかないのかもしれないと、そう思いながら言葉を紡ぐ。

 「うん、私。……告白、しようと思う」

 言葉にしてしまったらもう、逃げ道なんて残されていない。だけどそれでいい。逃げ道なんてない方が、きっといい。弱虫な私には、なおさら。

 園ちゃんは私の言葉を聞いて満足げに笑った。窓から差し込む夕日はもう、沈みかけていた。



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