「わかった」

 梓の声が響く。私の頭に、そして教室に。

 「とりあえず、うちおいで?」

 園ちゃんと話した時とは違って、まだ教室に人はいた。掃除が終わったばかりだったからだろうか。クラスメイトのおしゃべりの声が聞こえる。

 「うん、行く」

 クラスメイトのおしゃべりの合間をくぐり抜けたように、すっと自分の放った言葉が浮かび上がる。私はぎゅっと強く手のひらを握って、梓を見た。梓はなんとも言えない表情で、私を見下ろしていた。


 私と梓は去年からの付き合いで、何度かお互いの家にも行ったことがある。ただ、家の方面は真逆で、学校の最寄駅からすでに乗る電車が違うという悲劇。同じ電車に乗って登下校できたらどれだけよかったかと、幾度考えたかはもうわからない。

 がたんがたんと、大きく揺れる電車の中。いつもとは逆方向に流れていく景色には、なんだか慣れない。電車はいつも、こちらのほうが少しだけ混んでいる。そして例に漏れず、今日も私がいつも乗っている電車より少しだけ混んでいて、誰かに押されたりするほどではなかったけれど、座ることはできずにいた。私はふうっと息を吐く。隣には梓がいたけれど、私たちには珍しく、ほとんど会話をしないでいた。

 たぶん私が緊張していたからだと思う。だから梓は私に心の整理をする時間をくれていたんだと思う。ただ、梓の家は学校からわりと近くて、30分くらいで着いてしまうのだけれど。

 それでも私にとってその時間は、貴重なものだった。なんとか、私の心境を言葉にする勇気ができたのだから。


 そして梓の家に着く。明日は学校だったけれど、一応寝巻きは持ってきた。準備は、できている。

 「彩月? 私、なんか飲み物持ってくる」
 「……あ、うん」

 緊張で手が汗ばんでいる。駅から梓の家までという短距離なのに、張り付いてしまった髪が鬱陶しい。

 ああ、だめだ。私はやっぱり弱虫だ。言葉にするのが怖い。口に出すのが怖い。そして、誰かに伝えるのは、もっと怖い。

 「はあ……」

 梓に私がいま抱えているものを吐き出そうと思ったのはなぜだったのだろう。あんなに自立しようと、思っていたはずなのに。私は弱くて、誰かに頼らなければ壊れてしまいそうで。ああ私って、ずるい人間なのだと。思わざるを得なかった。

 伊勢谷くんのことが好きで。だけど園ちゃんが伊勢谷くんのことを好きになって、振られて。しかも彼女がいるらしくて。私はもう、どうすればいいかわからない。だって、こんなことを知って、もう諦めるべきだと思うのに、諦めきれていない。まだ、心の奥底でくすぶっているんだ。

 「彩月、大丈夫?」

 はっとして、顔を上げる。どうやら梓はもうすでに、部屋に戻ってきていたらしい。私の目の前にある机にはアイスティーの入ったグラス。それの水面は揺れながら、私の姿を映し出す。泣きそうで、不安そうで、壊れてしまいそうな私の姿を。

 ああ、情けな……。

 そう嘲笑してやりたい気分になるのに、そんなことはできなかった。余裕がなかった。

 「話、聞くから。ね?」

 梓の優しい声に、思わずこぼれそうになった涙を、必死に引っ込める。そして私は顔を上げて、梓と視線を合わせた。

 「あのね私、」

 ――伊勢谷くんのこと、好きなの。

 その言葉が、出てこなくて、喉元で止まってしまう。上手く、吐き出せなかった。

 一度言葉にして、自分に言い聞かせたのに、やっぱり梓に伝えるのは怖くて。でも。それでも、と、拳に力を入れた。

 「伊勢谷くんのこと、……好きなの」

 ああ、言った。ついに、伝えてしまった。

 達成感と、同時に降りかかる重圧。もうこの言葉を取り消すことはできない。私は伊勢谷くんのことが、好きなんだ。園ちゃんが伊勢谷くんのことを好きでも、彼女が、いても。

 「うん、そっか」

 梓は私の方へ一歩近寄ってきて、私のことを見つめながらにっこりと笑った。

 「よく、言ったね」
 「……うん」

 梓の手が私の頭に伸びてくる。そしてその手は私の頭を撫でた。
 梓の手はほんのりと暖かくて思わず泣きそうになる。……いや、実はもう鼻が詰まりかけていた。

 「気持ち、伝えないの?」

 頭上でそんな声がした。その意味を理解するのに幾分か時間がかかったけれど、それを理解した瞬間、ぎゅっと唇を噛み締めながら口を開いた。

 「だって、伊勢谷くん……彼女、いるんだって」

 だめだ、だめだ。そう思っているのに、涙が出た。涙は私の頬を伝ってやがて、カーペットの上に落ちて染みを作る。

 「そうなの?」
 「うん、園ちゃんが言ってた」

 声は震えていた。園ちゃんがそう告げた、あの瞬間を思い出してしまったからか、なお一層涙が溢れる。

 「だから私、」
 「うん?」

 梓の声は優しい。だからきっと、このまま伊勢谷くんを想い続けると言えば、支えてくれるのだろう。だけど。だけど私は、

 「もう、諦めようと思うの」

 それをする勇気がなくて、逃げ出した。弱虫の私は、逃げることしかできなかった。

 「今すぐには無理だと思うけど、それでも、」

 梓は何も言わない。ただ、私の頭を撫でていた手は、いまは私の背中に回っていた。

 「諦める」

 だって私にはそれしかできない。彼女から伊勢谷くんを奪う? そんなこと、できるわけがない。伊勢谷くんのことを思ってだとか、そんなことじゃなくて私はただ単純に、傷つくのが怖くて。いま逃げ出してしまえばまだ傷は浅くて済む気がして。本当にそれが正しいかどうかもわからないのに、そうしなければ壊れてしまう気がしていただけだ。

 梓は何も言わない。呆れているのかもしれない。でも、私の背中に回されたその手は、温かいままだった。



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