季節は巡る。

 いつしか「お礼に」と煉獄さんが薪割りをしていくのが恒例となった。
 私は毎度「お疲れでしょうからお体を休めてください」と言うのだが、煉獄さんも毎度必ず、「うまい飯をたらふく食べてぐっすり寝たからすこぶる元気だ! 気にするな!」と答える。
 快活に、胸を張ってそう言われてしまえば、私には「それならお言葉に甘えて……」と頭を下げる以外の返答が思い浮かばない。「いつものようにお願いします」と私が言えば、煉獄さんは必ず「任せてくれ!」と笑う。その表情を一度でも見てしまったなら、なおさら突っぱねることなど出来やしない。
 事実、煉獄さんに薪割りを頼むと父や祖父の半分ほどの時間で倍近い量の薪を割ってくれるので、大助かりというのが本音だった。
 煉獄さんが薪を割る音は、祖父たちのそれとはどうも違っていた。なんと表現すれば良いのかわからないが、彼のような──彼に似合いの、気持ちの良い音がする。家の裏から響いてくるその音を聞いていると、なぜだか胸のすく思いがしてくる。薪割りの音に好きも嫌いもあるものかと思うのに、この音≠無性に好ましく自分がいて、自分の感情ながら不思議でならなかった。

 
 幾つ季節が巡っても、煉獄さんは我が家を経つときには必ず「では、また!」と言った。
 口約束は容易いが、また会える保証などどこにもない。
 そんなことは戦いの中に身を置いたことのない私にでさえわかるのだから、きっと煉獄さんは痛いほどによく知っている。それでも彼は、必ず「また」と口にする。
 ──ひょっとするとあれは、彼なりの願掛けのようなものなのかもしれない。
 そんな風に思うようになってからは、私も「ええ、また」と返すようになった。
 そうすると煉獄さんはとても満足げに笑って、一つ頷いて、私に背を向ける。しゃんとした広い背中にあの羽織をはためかせて、歩いていく。
 羽織が揺れる度、まるで本当にそこに燃え盛る炎があるかのように見えて──不思議なことに、私はほんの少し、炉端から離れたときの肌寒さを覚えるのだ。


 今日もまた、すっかり馴染んでしまった言葉を送り合って、背中を見送る。──そう思っていた私は、煉獄さんがすぐに背を向けないことに首をかしげた。

「どうされました?」
「いや、なに、次来るときは手土産を持ってこようかと思ったのだが、いったいどんなものが良いのだろうと思ってな!」
「えっ!?」

 ああ、そうだ、この人は時折突拍子もないことを言う人なのだった。
 そんな風に合点する私と戸惑う私、それから笑いだしそうになる私とがいて、返す言葉が喉の奥で右往左往を始めた。何から言えばいいのやら、何とも言えぬ曖昧な音で呻いた私の言葉を、煉獄さんはなぜだか真面目な顔をして待っている。

「ええと、それはなんというか──気が早すぎやしませんか?」
「いいや! 『次』の機会がいつになるかは俺自身にもわからないのだから、早く考えるに越したことはないと思う!」
「それはそうかもしれませんけれど……」

 私は手土産を受け取ることができるような立場ではない。
 それに、煉獄さんが我が家を訪れるのは、鬼殺隊隊士としての務めを果たした後のことと決まっている。友を訪ねてくるのとはわけが違うので──何しろ私たちは決して友人と呼べるほどの仲ではないのだから──予め手土産を用意をしておいたところで、それを持参できようはずもない。それこそ、常に持ち歩きでもしない限りは。

「あっ、まさか、『次』のときまで懐に忍ばせておくおつもりで……?」
「おお! 名案だな!」
「提案したわけじゃありませんから!」
「そうなのか?」
「そうです! だいたい、どこが名案だっていうんですか」
「急に立ち寄ることになっても確実に渡せるだろう?」

 煉獄さんは、至極当然のことを幼子に教え聞かすかのように答えた。

「それに、ヒノエに土産を渡すまでは、なにがなんでも生きていなければならない、死ぬわけにはいかない。なあ、名案だろう!」





 手土産を持った煉獄さんが我が家を訪れることは、ついぞなかった。

 代わりにやって来たのは一羽の鴉だけ。
 届いたのは、訃報だけ。

 涙は出なかった。




 それからしばらくして、少年がやって来た。まだ少し幼さの残る優しげな顔立ちには不似合いなほどの、傷と痛みを背負った少年だった。
 竈門炭治郎と名乗ったその少年は、煉獄さんの最期に立ち会ったのだという。

「煉獄さんから、藤倉さん宛にお預かりしたものがあるんです」

 そう言って手渡されたものは、鮮やかな色合いが美しい髪紐だった。
 『どうかこれからも、息災で』──それが、煉獄杏寿郎が私に遺した言葉である、と。
 竈門少年の柔らかな声が告げたとき、初めて、目の奥が熱くなった。
 ──私に手土産を渡すまで死ぬわけにはいかないと、あなたがそう言ったのに。
 これでは、お礼を言うどころか、私の好きな色はまったく正反対の色なのだと遠回しに伝えることも叶わない。あなたの弁明を聞くことも、何も、出来やしない。
 煉獄さんは、私の好きなものなんてきっと一つも知らなかった。私も、煉獄さんの好きなものを一つも知らなかった。
 もっと知れば良かった、知りたかった、知ってほしかった──
 目眩がするようだった。ぐちゃぐちゃの感情を、どうすれば良いのかちっともわからない。どうしてここまでかき乱されるのかも。
 私と彼は決して友人ではなかった。そんな風に呼べるほど、親しくはなかった。ただの他人とも言い難いが、それでも、一隊士と藤の家の娘に過ぎない。偶々ほかの隊士よりも多く顔を会わせ、ほかの隊士よりも多くの言葉をかわした、ただそれだけの仲だ。
 私たちの仲を問われたとて、正しい答えは見つからない。
 私たちの仲に──この気持ちに──名前がつくのは、きっともう少し先のことだった。これから、だったのだ。
 手のなかの髪紐は、何度見ても美しいが、自分では決して選ばないだろう色をしている。私の目にはどうしてか、おそろしいほど鮮やかに映った。竈門少年の羽織も、私の持っているいっとう良い着物も、ともすれば庭に咲く藤の花でさえ、この髪紐と並べばくすんで見えるかもしれない。あまりに鮮烈で、目に沁みるようだった。
 なぜこの色を選んだのか本人に直接尋ねてみたくとも、もはや今生ではその術がない。
 頬を濡らしていくものをおざなりに袖で拭い去って、私は、竈門少年に向き直った。お二人はどういうご関係だったんですか──その問いかけに、答えるために。
 ふと、煉獄さんならなんと答えたのだろうと思った。
 考えてみても決してわからない。彼のことを何にも知らない私には、推測すらできないことだ。

「ただの……知人です」

 私は短く答えて、目を閉じた。竈門少年の顔を見ていられなかったからだ。

 ──いつか遠いところでまた彼に会えときには、きっと、尋ねてみよう。手土産にこの髪紐を選んだ理由とともに、煉獄さんの考えを聞かせてもらおう。


 閉じた瞼の裏側には、今もまだ、あの背中が鮮明に焼きついている。


(終)

初出:190630(ぷらいべったー)

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