雲ひとつ無い晴れ空の広がる日、どこからか飛んできた鴉が運んできたものは、簡潔に綴られたあの人の訃報だった。





 物心ついた頃には既に、我が家の門前には藤の家紋が掲げられていた。いったいいつ頃から掲げているのかと、幼い時分祖父に尋ねたことがある。祖父は、己の両親の代からだと答えた。祖父の両親──つまりは私の曾祖父母が夫婦になったばかりの頃、鬼に襲われかけたところを駆けつけた鬼殺隊の隊士に助けられたのがきっかけだったという。
 だから祖父は、私が幼い頃から口を酸っぱくして私に言い聞かせてきた。

「鬼狩り様が来てくださらなかったら、おまえも、わしも、生まれてさえいなかった。このご恩は、末代までかけて返し続けにゃならんぞ」

 幼い頃から聞かされたこの言葉、取りようによってはまるで呪いのようだとも思う。
 とはいえ、私にはさして不満もなかった。受け入れて、納得している。
 自分で言うのも烏滸がましいことだが、私は昔から素直な子どもだったのである。疑問に思うこともなく反抗心を抱くこともなく、素直なままついぞこの歳まで育ったのは、祖父母の教育の賜物であるだけでなく、おそらく私自身の生まれもった性質ゆえだろう。

 藤の家紋の家というのが一体どこにどれくらいあって、どれ程の頻度で鬼狩り様がいらっしゃるものなのかを私はよく知らないが、我が家には少なくとも月に一度は鬼狩り様がいらっしゃった。それは毎回別の方で、男性であったり、女性であったりした。
 同じ方が数度いらっしゃることも時にはあるが、それは極めて稀なことだった。一度いらっしゃった鬼狩り様が、二度三度と我が家の敷居を跨ぐことは滅多にない。繰り返しいらっしゃる鬼狩り様は精々一人ふたり、いつも決まった方のみに限られる。
 それがどういう意味であるかに気がついたのは、確か、私が八つになろうかという頃だった。
 気がついてしまってからというもの、鬼狩り様の顔をあまり見ることができなくなった。必要以上に言葉を交わすことも躊躇われる。感じの良いあの青年とも、勝ち気なこの女性とも、きっとこの先二度とお会いできないのだろう──そう、思ってしまうからだ。
 敢えて言うならさしずめ「一期一会」とでもいうところかもしれないが、その実はあまりにも残酷な話だ。

 ところが──いつからだろうか。
 ある鬼狩り様が二度いらっしゃって、それ以後も三度、四度──幾度となくいらっしゃるのだ。そんなに何度も同じ顔を見たのは、私の記憶にある限りでは初めてのことだった。


 そうして今日もまた、あの方がいらっしゃった。これが何度目になるのか、とうに数えることをやめてしまったからわからない。
 彼は、一度見れば忘れられないような力強い眼に、炉で燃え盛る炎のような不思議な色の髪をしていた。他の鬼狩り様と同じ黒い詰襟を着て、炎を象ったような不思議な形の鍔の日本刀を腰に携え、これまた炎のような色合いの羽織を肩に引っ掛けている。年の頃は──案外、私とそう変わらないのかもしれない。けれども精悍な顔つきと真っ直ぐに伸びた背筋、堂々した口振りが、町にいる同年代の若者よりもはるかに彼を大人びて見せていた。

 彼は、こちらが用意した食事をいつも必ず「うまい、うまい」と綺麗に平らげた。 米粒の一つ、菜っ葉の切れ端だって残しやしないので、こちらも食事の作り甲斐があるというもの。
 風呂の用意、寝床の支度、怪我の手当て──そのすべてに対して毎回「ありがとう!」と言葉にする律儀さも、とても好ましい。
 今までの鬼狩り様たちの中にだって、律儀に礼を言ってくださる方はもちろんいらっしゃった。食事を褒めてくださる方も。けれども彼のそれは群を抜いて印象的だった。声が大きいからかもしれないし、単に何度もお会いしているからそう思うだけなのかもしれない。

「今回も世話になった!」
「どうか、ご武運を」
「あぁ、ありがとう! では、また!」

 たったそればかりの言葉を交わして彼を見送る度、果たして本当に「また」はあるのだろうかと考える。なにしろほとんどの鬼狩り様は、二度とここへはやってこない。いくら彼が「また」と言おうと、あの広い背中を再び見送ることができる保証はどこにもないのだ。
 ──私はまだ、幾度もやって来る彼の名も知らない。けれど、それでも、彼の言う「また」がどうか訪れますように。

 「また」が来ないことの意味を知っているからこそ、そう願わずにはいられなかった。
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