コールド・ウォーム・コールド

 今朝から、やけに寒いなあとは思っていたのだ。


 それが寒気によるものであることに守璃がようやく思い至ったのは、すっかり日が落ちてからのことだった。夕食を終え、共有スペースで一息ついているとき。どんどん寒くなっていくうえに頭もなんだかくらくらしてくるものだから、それでやっと寒気だと気がついた。我ながら間が抜けている。
 不思議なもので、一度そうだと気がつくと具合の悪さに拍車がかかる。こういうときは早く部屋に戻って休むべきだということはわかるのだが、からだが重くて立ち上がることさえ億劫だ。
 ヒーロー科は毎日がハードだ。座学はもちろん、演習の難易度も日に日に増している。風邪を引いて寝込むなんてことになれば、遅れをとるのは間違いない。既に発症している自分はともかく、クラスメイトに移してしまっては大変だ。移さないようにするためにも、本当は今すぐにでも部屋に戻るべきだ。
 頭ではそこまでちゃんとわかっているつもりなのに、立ち上がるだけの気力がない。
 けれどやっぱり頭は痛い。体もだるい──

「守璃ちゃん、どうしたの。ぼんやりして」

 守璃の様子に気がついた蛙吹が近寄ってきて、顔を覗きこんだ。その表情はいつもとあまり変わらないながらも、心配そうに翳っている。

「顔色が悪いわ」
「もしかして風邪?」

 麗日も同じように、守璃の顔を覗きこんだ。丸い二対の目がじっと守璃を見つめてくる。守璃はなんだか居心地の悪さを感じ、目をそらした。

「なんでもな──」
「そういや守璃、朝からずっと寒がってたよね」

 思い出したように耳郎が呟くと、上鳴が「えっ、それ熱あるんじゃねーの?」と慌てる。
 ぼんやりした頭でもわかる、なにやら大事になりそうな気配だ。守璃は慌てて手を振った。

「だ、大丈夫だよ──」
「確か救急箱に風邪薬入ってたよね」
「私取ってくる!」
「先に熱測ってみたほうがよくね?」
「そうね、上鳴ちゃん。お茶子ちゃん、ついでに体温計もお願いできるかしら」
「わかった!」
「熱あるなら冷却シートもあったほうがいいんじゃない?」
「寮にあったかしら……」
「なかったらヤオモモに頼んでみよーぜ」
「じゃあウチ、ヤオモモ呼んでくるよ。ついでに毛布かなんかも持ってくる」
「ありがとう、響香ちゃん」

 守璃を置き去りにしてとんとん拍子に会話は進む。あっという間にパタパタと慌ただしく麗日と耳郎が共有スペースを出ていって、守璃のそばには蛙吹と上鳴が残った。

「大丈夫かー?」

 上鳴がひょこひょこ寄ってきて、顔色をうかがうように守璃を見る。蛙吹は落ち着いた様子で、手のひらを守璃の額にあてた。

「全然大丈夫だって──」
「ウソつけ! 涙目じゃん」
「ええ、けっこう熱いわね。……咳はでない?」

 こうなるともう、守璃は観念するしかない。振り上げた手をおろして、小さな声で「……ちょっと」と答えた。

「あと、のどがいたい」
「くしゃみは?」
「それは大丈夫……」
「そう。でも、少し鼻声だわ。薬を飲んで暖かくして、早く休んだほうがいいわね」
「すげーな梅雨ちゃん、なんかお母さんみたいだな」

 上鳴が感心したように言う。茶化したような口調ではあるが、守璃を気遣ってかいつもよりも声のトーンがいくらか低い。

「俺もなんかする? つっても、何したら良いのかわかんねーけど……」
「あはは、大したことないからお構い無く……」

 そう言ったそばから咳が出た。「説得力ねーよ」と上鳴が苦笑する。

「じゃあ俺はあれだな、護藤を部屋まで運ぶ役な!」
「えっそれはいいよ……」
「護藤歩けねえのか?」

 低く落ち着いた、それでいて少し驚いたような声がした。轟だ。ラフな格好をしていて、髪がまだ湿っている。おそらく風呂上がりなのだろう。
 轟は守璃たちの元へ寄ってきて、再度尋ねた。

「なんかあったのか」
「や、ほんとに大したことじゃ、」
「護藤が風邪ひいてさ」
「熱もあるみたいなのよ」

 守璃の言葉を遮るように二人が答えると、轟はわずかに表情を動かした。「熱……」

「いつから体調悪かったんだ?」
「えっ、えっと……今朝からかなあ」

 ぼそぼそ答える守璃を轟はじっと見る。
 蛙吹や麗日に見られるよりも更に落ち着かない。居心地の悪さを誤魔化すように守璃が身動ぎすると、轟は「言われてみりゃ……今日、咳してたか?」と呟いた。

「気づかなくて悪ぃ」
「えっ、なんで轟くんが謝るの」
「席近ぇだろ」
「そ…だけど、それだけで謝る必要ないよ……自己管理できない私がわるい」

 轟はそれには何も言わなかった。
 黙ったまま、守璃の右側に腰をおろす。
 しかも、妙に近い。肩が触れあっている。驚いて一瞬身を引きかけたが、轟はなぜか「待て」と守璃を引き留める。
 ……いやいや、待てってなんだ、「ちょっとじっとしとけ」……いや、なんで?

「や、あの、風邪うつるよ」
「俺は大丈夫だ。それより護藤、熱あるんだろ」
「えっと…、ごめん、何が大丈夫なのかわかんない、熱あるから大丈夫じゃないんだよ…」
「?」
「うつるでしょ……?」
「……ああ、そういう意味じゃなくて」
「うん……?」

 微妙に話が噛み合わないのは、熱で頭が回らないからだろうか。
 守璃は首をかしげたが、やがて轟の言いたいことがわかった。轟がいる右側が、あたたかい。一般的な人の体温よりは少し熱く、けれども、炎よりはずっと穏やかな熱さ。
 守璃が動きを止めると、轟は右手で守璃の額に触れた。心地よい冷たさが伝わってくる。思わず目を閉じると、上鳴の「イケメン怖え…」という呟きが聞こえたような気がした。

「……昔、俺が熱を出すとお母さんや姉さんがこうしてくれた」
「轟くんでも熱出すことがあるんだ……」
「あの頃はまだ“個性”の調節が上手くできなかったからな」
「……そっか」

「アレっ、轟くん!?」

 戻ってきた麗日が驚きの声を上げた。守璃と轟を交互に見やり、「少女漫画や…!」と目を瞬かせる。

「あっそうだ、薬と体温計! 持ってきたよ!」
「えっ、それどういう状況?」

 続いて耳郎も戻ってきた。八百万も一緒だ。二人とも手にはこんもり毛布を抱えている。

「毛布多くね!?」
「事情説明したらヤオモモが創ってくれて」
「もちろん冷却シートもご用意いたしましたわ! でも、轟さんがいらっしゃるならこんなに要らなかったかもしれませんわね」
「いや、要るだろ。いつ熱下がるかわかんねえし」
「轟ちゃんがずっと付き添うわけにはいかないものね」
「ああ、さすがに添い寝するわけにはな……」
「添い寝!!」
「轟からその発想が出てくるのがびっくりだわ……」

 みんなの声は聞こえているものの、内容はあまり頭に入ってこない。
 唯一はっきりとわかったのは、蛙吹の一言だった。

「守璃ちゃん、熱を測って、お薬飲みましょ」
 
□□□

 守璃はカーテンの隙間から差し込む朝日で目を覚ました。
 喉の痛みはまだあるし、若干の気怠さはあるが、頭はだいぶすっきりしている。熱がひいたのだろうか。
 体を起こしてみると、たくさんの毛布が重ねられていた。もともと部屋にあったものではない。耳郎たちが用意してくれたものだろう。額には冷却シートが貼られていて、ベッドの脇にはスポーツドリンクのペットボトルとコップ、冷却シートの予備が置かれていた。まさに至れり尽くせり。
 けれど──はて、どうやって自分の部屋まで戻ったのだろう。
 記憶を辿ってみても、最後の記憶は轟の隣だ。心地よいつめたさとあたたかさ。──思い出したらまた熱が上がった気がして、守璃は慌てて考えるのをやめた。
 上鳴が守璃を運ぶ話をしていたような気がするので、その可能性が一番高いのかもしれない。ただ、ふらつきながらも自力でどうにか戻ってきた可能性もある。守璃としては、後者であると信じたい。
 あとで耳郎や蛙吹に訊いてみよう。
 そう考えたところで、部屋のドアが静かにノックされた。
 耳郎たちが様子を見に来てくれたのかもしれない。

「はーい、今……」

 返事をした自分の声は情けないほど掠れていた。この声では、ドアの向こうに聞こえたかどうかも定かではない。守璃は返事を早々に諦め、ベッドから這い出てドアに向かった。──いつどうやって着替えたのか、ちゃんとパジャマを着ている。
 もう一度ドアがノックされた。やっぱり声は届いていなかったらしい。すっかり温くなっている冷却シートをひっぺがしてからドアノブを捻ると、そこに立っていたのは思い浮かべていたどのクラスメイトでもなかった。

「なんだ、起きてたのか」
「えっ……えっ? 兄さん?」
「熱は下がったか」
「えっ、うん、たぶん……? ていうかなんでいるの…?」
「守璃が熱を出して寝込んだって教員寮に連絡があったから、一応様子を見に来た」
「部屋まで?」
「まだ起きてこないって言われたら、部屋まで来るしかねえだろ。万が一インフルなら念のため隔離しなきゃならんしな。まだ寝てるようなら一旦帰るつもりだったが……、まあ、手間が省けた」
「はあ…そう…」
「それにしても凄え声だな」
「スルーしてよ」

 守璃の文句を相澤は意にも介さないどころか、「体調管理できないやつが文句言うな」の一言で切り捨てた。ぐうの音も出ない。
 相澤は手の甲を守璃の額にあてながら、「とりあえず今日は休め」と淡々と言った。

「熱は……まだ少しあるか?」
「わかんない、」
「ちゃんと測れ」

 手を放すついでにぺしんと額を叩かれた。痛くはないが、つい顔をしかめてしまう。もちろん、反論の余地もないのだけれど。
 ちょうどそのとき、麗かな声がした。

「あっ相澤先生! と、守璃ちゃん!」

 蛙吹も一緒で、麗日は手にお粥の載ったトレイを持っていた。りんごゼリーもついている。

「おはよ! 朝ごはん持ってきたんだ」
「調子はどう? 食べられそうかしら」

 ──まさに、至れり尽くせりである。

「食えそうになくても食え、食ったら寝てろ。あとでリカバリーガールが様子を見に来る」
「……はい」

 相澤の言葉に守璃は神妙に頷き、麗日からトレイを受け取った。誰が書いたのか、『お大事に!』というメモが添えられている。

「わぁ、みんなの優しさが沁みる……ありがとう……」
「いいのよ。それに、お礼は元気になってから聞きたいわ」
「早く風邪治してね!」

 蛙吹と麗日の笑顔に、守璃も笑顔で頷いた。

190210

風邪をひく話はそのうち書きたいな〜とずっと思っていて、寒い時期に更新したかったので、時期的にいまがちょうど良いかなと思い更新しました。あたためていたネタを書く機会を頂けてとてもありがたかったです。リクエストありがとうございました!
(2/14追記:誰が運んだのか問題について
はっきりとは決めていないのですが、考えていたパターンは以下の通りです。
@宣言通り上鳴くんが運んでくれた
A轟くんが運んでくれた(隣にいたので流れで or 「上鳴は下心ありそうだから却下」「轟ちゃんお願いできるかしら」)
Bヤオモモが創った担架にのせて上鳴くんと轟くんが二人で運んでくれた
C覚えていないだけで、左右を梅雨ちゃんたちに支えてもらいながらなんとか歩いて戻った
Dお茶子ちゃんが夢主を浮かせ、梅雨ちゃんのベロで引っ張って運んだ(風船みたいに)
(たぶん@〜Bの場合もお茶子ちゃんが軽くしてくれます)
個人的にはどのパターンでもそれぞれ良さがあると思っているので、あとはご想像にお任せします)

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