ユリイカ、朝を

「私、ヒーローになりたくて……、それで、雄英のヒーロー科に行きたいんだ」

 守璃は真剣な面持ちでそう言った。

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 この春に中学に上がったばかりの守璃から連絡がきたのは、ゴールデンウィークが終わって一週間ほどが過ぎた頃の、とある夜だった。
 充電しているスマホの画面に、メッセージの新着通知が表示される。
『相談したいことがあるんだけど次はいつ帰ってくる?』
 いつ帰ってくるのか──そんなことを相澤に尋ねる人間など母親くらいのものだと思っていたのだが、今回ばかりは母親ではなかった。送信者名は『守璃』と表示されている。相澤は思わず首を捻った。

 相澤は母校・雄英高校ヒーロー科の教師に就任したのをきっかけに、実家を離れて雄英の近くに部屋を借り、一人暮らしをしている。
 ヒーロー業に加えて教職もとなると、その忙しさは桁違いだ。多忙さから、実家に帰ることは滅多にない。地方出身の同僚たちに比べれば楽に帰れる距離ではあるものの、相澤は家族が恋しくなるようなたちでもなかった。意味もなく実家に帰っても、交通費と移動時間を無駄にするだけである。そもそも本業のほうで急な出動要請がくる場合があることを考えれば、私用での遠出は控えて然るべきともいえた。最後に実家に帰ったのはいつだったろうか。
 ──いつ帰ってくる?
 守璃がそういうことを言い出すのは、記憶にある限り初めてのことだった。相談したいこと、というのも、すぐには見当がつかない。
 たとえば相澤家で引き取ったばかりの頃は、養父母には話しづらいことも少なからずあったようだった。どうしても遠慮が先に立ったのだろう。養子としての自覚がある以上、無理もないことである。そのため、そういうときには大抵相澤が、守璃が滲ませている何か言いたそうな空気を汲んでそれとなく話を促したり、両親との間を取り持ったりしたものである。
 とはいえ、それももう随分前のことだ。そういう時期はとっくに過ぎたものだと思っていた。
 ましてや、守璃は思春期真っ只中の年頃である。一般的に考えて男親や男兄弟とは距離を置きたいものなのだろうとも思っていたし、事実、幼い頃ほどくっついてはこなくなった。兄とはいえども血は繋がっておらず、その意味では赤の他人に違いない。嫌悪感も強かろう──と、相澤は考えていたのだが。
 いつ帰ってくるのかと聞くからには、どうやら顔をあわせて話がしたいらしい。
 わざわざ“相澤に”相談したい何かがあるとすれば、真っ先に思いつくのは“個性”の件である。暴走癖はここ数年でかなり改善し、今ではだいぶ落ち着いているはずだが──だからこそ相澤は気兼ねなく実家を離れられた──まさかまた振り返してきたのだろうか。
 相澤はスマホを手に取ると、ひとまず思ったまま『急にどうした?』と打ち込んだ。
『しばらく帰る予定はないんだが、それは電話じゃ駄目な話なのか』
 予定はないが、相談事というのが“個性”関連なのだとすれば、近いうち帰省することも検討したほうが良いだろう。
 返事は五分後にきた。
『駄目ってわけじゃないんだけど…』
 煮え切らない返事に相澤は眉を寄せた。いったい何だというのか──返信を打ち込むより、電話で直接話した方が早い。
 そう判断した相澤が文字入力を早々にやめて通話に切り替えると、すぐに繋がった。守璃もちょうどスマホを手にしていたのだろう。

「わっ、びっくりした」

 と、慌てた声が聞こえてくる。
 相澤は前置きもなしに、「相談ってなんだ」と切り出した。

「単刀直入だ……」
「遠回しに聞く意味もないだろ」
「そりゃそうだけど」
「で、どういう話なんだ」
「……えっと、進路のことでね」

 中学に入学したばかりだというのに、もうその先のことを考えているらしい。勤勉なことだ。
 一教師としては褒めるべきかもしれない話ではあったが、なぜわざわざ相澤に、と思わないこともない。そういう話は親子間で行われるべきである。
 養父母には言い出しにくいことなのか。あるいは、相澤でなければ答えられないような内容なのか。
 そうだとすれば、考えられる内容は自ずと限られてくる。まさかと思いながらも、相澤は守璃の言葉を待った。
 遠慮か、それとも躊躇いか。短い沈黙の後、「あのね」と意を決したような声がする。

「私、ヒーローになりたいと、思ってて。それで、相談したくて……」

 最後のほうはほとんど消え入りそうな声だった。相澤の反応を気にしているのが顔を見なくてもわかる。
 先程相澤が考えた通りの内容ではあったが──それでも、相澤は驚いた。
 ただただ、意外だった。
 守璃に“個性”の暴走癖があるからというだけではない。守璃が、人混みや人の視線が苦手で、自分から目立つことをしない大人しい子どもだったからだ。
 中学生にもなれば少しは変わっているかもしれないが、相澤は今でもよく覚えている。事あるごとに自分の後ろに隠れていた姿を、しがみついてくる小さな手を。

□□□

 確かにこれは会って顔を見ながら話をした方が良いかもしれない──そう思った相澤は、二週間後の週末、いつ振りかもわからないほど久々に実家へ戻っていた。
 急に帰って来た相澤に対して、母親は驚いた顔をした。しかし、それも一瞬のことだ。出迎えに玄関まで出てきた守璃を見ると、母親は二人を見比べて納得したように笑う。「あんたホント守璃に甘いわよねえ」……勿論相澤は否定したのだが、母親の表情を見るに、どうせまともに聞いちゃいないだろう。
 
 ──そうして、場所を移し、冒頭に至る。

 テーブルを挟んで向かいあって進路の話をしていると、生徒と面談をしているかのような気分になった。守璃が神妙になって居住まいを正しているから尚更である。

「……なんで急に、ヒーローなんて」

 本気で言っているのか、とは訊かない。守璃の性格ならおそらく、相澤に相談する前に自分でよく考えているはずだ。中途半端な話に、暗に帰って来てほしいことを匂わせてまで相澤を巻き込むようなことはしない。それはほとんど確信のようなものだった。

「急じゃないよ」

 小学生の頃から漠然と考えていた、と守璃は言う。
 ヒーローといえば花形職業だ。憧れる子どもは多い。オールマイトが平和の象徴として名を馳せて以降、小学生の将来の夢ランキングの上位には、男女ともに必ず“ヒーロー”が挙がる。守璃の周りにも、ヒーローになりたいと目を輝かせる子どもは多かったに違いない。そして、そういう空気の中で、なんとなく守璃もヒーローを意識するようになっていったのだろうということは理解できる。守璃の場合、実父といい相澤といい身近にヒーローがいるのだから、なおのこと意識したはずだ。

「……私の“個性”は自分と周りの誰かを守れる“個性”だって、お父さん──本当のお父さんに言われたことがあってね。それがずっと忘れられなくて……せっかくそういう“個性”なのにお母さんのこと守れなかったのも、なんて言うか……心残り、だったりして」
「気にするなっつっても難しいのはわかるが、その件で守璃が責任を感じる必要はねえだろ。気休めじゃなくな」
「うん……」

 守璃は頷きこそするものの、すっきりしない顔をしている。相澤は首を掻いた。

「あのな……そりゃ確かにおまえの“個性”は、単純な向き不向きの話で言えば、身を守るのに向いてる。……が、『向いてる』と『出来る』は必ずしもイコールじゃねえ。なんの訓練も受けてない子どもが緊急時に自分やほかの人間を守るなんてのは無茶な話だ。親父さんもそういうつもりで言ったんじゃねえだろうし──」

 相澤の言葉をじっと聞いていた守璃が静かに身動ぎをした。
 こういうとき、守璃は途中で口を挟むことをしない。何か言いたげな目をしてはいても、口はつぐんだままだった。

「──ヒーローになりたい理由が後悔だけなら、やめとけ。『守るのに向いてる“個性”』だけで務まるほどヒーローは簡単じゃない」
「……暴走癖があるから?」
「んなもんなくても、俺はおまえにヒーローを勧めない」
「全面的に反対ってこと?」
「……まあ、そうなるな」

 単純に、“個性”の性質だけを見て言うのであれば、守璃がヒーローになるのはある意味理にかなっている。プロヒーローだった守璃の実父よりも応用の利く“個性”だし、訓練次第では活躍の幅も広がるだろう。
 しかし、だ。
 たとえ“個性”面で適性があるとしても、ヒーローに必要な適性はそれだけではない。“個性”以外の身体能力、目まぐるしく変わる現場の状況に即座に対応できる思考力や判断力、洞察力、機転。“個性”の適性だけでカバーするには、求められる要素が多すぎる。
 加えて、動機が『後悔』だとするならば──それはあまり、好ましいことではない。合理性に欠けている。仮にヒーローになったとしても、いつかきっとその『後悔』が守璃の判断を狂わせるときが来る。
 そもそも、守璃よりヒーロー向きの“個性”はごまんとあるのだ。守璃の“個性”は精々『頑張ればヒーローにもなれるかもね』程度だろう。ただ“個性”を人のために役立てたいだけなら、ヒーローに固執する必要はない。
 たとえば資格を取って守衛や警備員になっても良い。
 あるいはただの会社員になったとしても、有事の際に正当防衛の範囲内で自分や近くの人間を守ることはできるはずだ。
 中学一年生の少女の夢を出来うる限り尊重してやることも大事なのだろうが、相澤は一人のプロヒーローであり、ヒーロー科の教師である。先達として、決して軽々しく背を押すことはできない。
 守璃は身を固くしたまま、思案しているようだった。

「後悔だけ、ってことはないよ。憧れとか……」

 守璃はそう口にして、しかし、すぐに(かぶり)を振った。

「……や、そういうことじゃないよね、兄さんが言ってるの」

 相澤は答えなかったが、守璃の方も、尋ねたつもりではなかったのだろう。決まりきったことを繰り返すような、そういう声音だった。
 守璃は、ううん、と言葉にならない唸り声を何度かこぼした。いつの間にか膝の上からテーブルの上に移動していた両手が、指を組んだり解いたりを繰り返して不規則に動いている。

「兄さんを説得してからじゃないと、母さんたちにも納得してもらえないと思うんだ」
「それは……そうだろうな」

 相澤がヒーロー科への進学を決めたときのことはさておき、守璃がヒーロー科へ行くと言えば、少なくとも母親は良い顔をしないだろう。アンチヒーローというわけではない。“個性”の暴走癖に長年悩んできた一人娘を純粋に心配する親心ゆえだ。

「だからね」

 と、守璃は強張った顔でぎこちなく笑った。

「絶対兄さんを説得する。さっき反対されたけど、兄さんが納得してもらえるように考え直すからもうちょっとだけ粘っていい?」

 テーブルの上にある握り拳は、相澤の記憶にあるものほど小さくはなかったし、震えてもいなかった。

「……好きにしろ。ただし、合理性に欠けた話なら何度聞いても俺の返事は同じだ。本気で雄英目指すつもりならリミットもある。準備もなしに雄英を受けるのは、それこそ合理的じゃねえ」
「うん。半年以内……や、夏まで。夏までに、説得する」

 それはさながら、宣戦布告だった。
 知らぬ間に言うようになったものである。果たして次はどんな理由を引っ提げて、どんな言葉で挑んでくるのだろう。相澤は守璃の眼差しを受け止めながら、遠からず訪れるはずの未来へと思いを馳せた。

181119 / title::朝の病

夢主目線での描写はいつか本編で書くことがあるかも…?と思い、先生目線のみになってしまいました。この頃夢主がヒーローを目指そうと考えた一番の理由・きっかけはイレイザーヘッドへの憧れなのですが、実父からも多かれ少なかれ影響は受けています。なんとか説得した後、体力作りやら何やらの面倒も見てもらうのですが、雄英の試験内容などは勿論一切教えられていないし聞こうとも思っていないと思います…不正になってしまうので…。先生がいつ頃先生になったのかが定かでないので、時系列は少しおおめに見ていただければ嬉しいです。リクエストありがとうございました!

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