運命に偽りあり

 フェリシアが物心ついたとき、両親は既にいなかった。両親に代わってフェリシアを育てた曾祖母の話によれば、フェリシアが赤ん坊の頃に二人とも死んだのだという。
 両親について知ることができるようなものは何一つなく、曾祖母へ両親について質問することは最大のタブーだった。幼いフェリシアにもわかるくらいに曾祖母がフェリシアの両親を嫌っていたからだ。
「おまえの両親は本当にろくでもなかった」
 それが曾祖母の口癖のようなもので、フェリシアが実の両親について正しい知識を得られたのは、十一歳になった少し後のことだった。ホグワーツの校長であるダンブルドアが直々にやってきて、フェリシアに話して聞かせてくれたのだ。
 母親と曾祖母との間にあった軋轢、父親の犯した罪、母親の死。父親がアズカバンで生きている、というのは、フェリシアの十一年の人生で一番の驚きだった。
 けれど、生きていたからといって、きっとフェリシアの人生は何も変わらないだろう。父親がアズカバンから出てくる見込みはない。母親は父親の無実を信じたそうだが、証明する手立てがない以上、真実がどうあれ父親は一生罪を背負い続けることになる。それは少しだけ哀れなような気がするが、だからといって、母親の遺志を継ごうというほど殊勝な気持ちにもなれなかった。何しろ曾祖母がフェリシアを引き取った時点で、ろくでもない父親の姓は綺麗さっぱり捨てている。さすがに血までは捨てられなかったけれど、ブラック家のことはほとんど何も知らない。
「お言葉ですがね、校長先生。フェリシア・ワイズ(・・・)には、関係のない話です」
 全てをはねのけるような声でそう言い放った曾祖母の声は、妙にフェリシアの記憶に刻み込まれている。


「やあフェリシア。クリスマス休暇はどうだった」
「どうもこうもない。疲れた、帰らなきゃよかった」
 談話室のソファに身を沈ませながら、フェリシアはぼやいた。歳を重ねるごとに気難しくヒステリックになっていく曾祖母と毎日顔をあわせなければならなかったクリスマス休暇が、ようやく終わったのだ。休暇中、目の前で呆れたように笑う級友たちにどれだけ会いたかったか知れない。
 どうだった、と尋ねたドラコは、薄く笑みを浮かべている。フェリシアが言わなくとも、全部わかっているような顔だ。実際、わかっているのだろう。ルシウス・マルフォイと曾祖母には昔から親交があったし、ナルシッサ・マルフォイはフェリシアの父親のいとこだ。その為、はとこにあたるドラコとフェリシアが引き合わされたのはホグワーツに入るよりもずっと前で、もう十年近い付き合いになる。
 わかっているなら聞かないでくれれば良いのにと思う自分と、休暇中の苛立ちを誰かに打ち明けたかった自分がいて、フェリシアは自分が今ドラコにイライラしているのか感謝しているのかわからなくなった。
「帰るんじゃなかった……あんな屋敷」
「今年のクリスマスは僕がホグワーツに残っていたからね。君が残ったなら、まあ、それなりに楽しくやれただろうな」
「ドラコがあの時あと三日早く、クリスマス休暇はホグワーツに残るってことを教えてくれていたら、きっとそうなっていたでしょうね」
 フェリシアは恨みがましく口を尖らせた。ドラコがホグワーツに残ることをフェリシアが知ったのは、ホグワーツ特急の予約をし、実家にふくろうを送った後だったのだ。
 なにかと口煩く、休暇には家に戻るようにと言う曾祖母ではあるが、マルフォイ家の坊っちゃんと親しくすることに関してだけは口を挟まない。ドラコを口実にすれば、クリスマス休暇に嫌々帰省することは避けられたかもしれなかったのに。
「悪かったよ」とドラコは肩を竦めた。「次はリストに名前を書く前に君に声をかける。それで良いだろう?」
「次があるなら、ね。あなた、休暇はいつも帰るじゃない」
「あなたみたいに、家に帰りたくないって言うほうが珍しいの。わかってる?」
 パンジーが甲高い声で口を挟んだ。
「ワイズ家のご息女がそんなことを言ってるってワイズ女史に知れたら、大変なことになるわよ」
「そりゃあそうでしょうけど、あなたたちが黙っていてくれる限り、絶対に知られっこない。そう思わない?」
「それは、黙っていろっていう脅し?」
「まさか。ただ、黙っていてくれるって信じてるだけ」
「ああそう……あなたって人は……」
 呆れたようにパンジーが溜め息をついた。
「ドラコからも何か言ってあげてちょうだい」
「そうだな……友人として君の秘密は守ってやるけど、家を貶めているとも取られかねない発言は慎むべきだと、友人として忠告しておこう」
「ありがとう、痛み入るわ。その忠告を聞けるかどうかは別だけれどね」
 フェリシアのひねくれた返事に、ドラコはやれやれと首を振る。フェリシアは小言のひとつ二つ飛んでくるかとも思ったが、そうはならなかった。言われたところでフェリシアはおそらく聞き入れなかったし、付き合いの長いドラコにはそれがわかっていたからだろう。
 パンジーが「まったくもう!」とぷりぷりするのをよそに、ドラコは「ところで、今度はどんな理由で揉めたのか聞いても?」と尋ねた。
「ああ、それはね──」
 フェリシアの目が恨めしげな形をつくる。
「今年度こそは首席になりなさいとか、その父親そっくりの腹立たしい顔はどうにかならないのかいとか、そういう小言にイライラして、私がひいおばあ様を無視したからね」
「へえ」
「私、そんなに腹立たしい顔してる? ナルシッサおばさまはいつも、利発そうな顔だって褒めてくださるのに」
「君の顔が腹立たしいかどうかはともかく──」と腕を組んだドラコは言う。ともかく、じゃあない。フェリシアはわずかに眉を寄せたが、大人しくドラコの言葉を続きを待った。
「前者については僕も同意見だな。君はいつも少し手を抜く……どうしてわざと首席を譲るんだ。そんな必要がどこにある?」
「それは私も同意見だわ」とパンジーも言った。「そのおかげで、よりにもよってあのグレンジャーが首席になってるのよ! どうかしてるわよ」
 会話の雲行きが怪しくなってきたことを悟り、フェリシアは表情を翳らせた。パンジーはグレンジャーのことが嫌いだし、ドラコだって、グレンジャーを──というより、ポッターとポッターの取り巻きとマグル生まれとグリフィンドール生を──嫌っている。
 フェリシアは注意深くドラコの顔色を伺いながら、それでいて臆することなく、口を開いた。
「別に譲ってるわけじゃないもの。あの子のほうが私より優秀だっていう、それだけのことでしょう」
「本気で言ってるのか? 『純血』の君のほうが、劣っているって?」
「冗談だと思うの?」
「冗談でなければ困る」
 きっぱりとした口調でドラコは言った。それは、彼の父親の言葉によく似ていた。
「いいか、君はフェリシア・ワイズだ。由緒正しき純血の、ワイズ家の、いずれは癒者として多くの高貴な魔法使いと魔女を救うはずの、素晴らしい魔女だろう。君の将来には、父上も期待しているんだ」
「ああそう、それはありがとう。だけど、期待を持つのはおじさまの自由、それに応えるかどうかは私の自由だわ」
「自由? それは違う。ワイズ家に生まれた君が果たすべき義務だ」
「それ、私の大嫌いな言葉だって知ってる?」
「よく知ってる」
 フェリシアとドラコの言葉の応酬を、パンジーはおろおろと見守っていた。口を挟む隙がないのだろう。なにかを言いたげに開きかけた口も、すぐに閉ざされてしまう。
 どちらにも、自分の主張を曲げる気などさらさらない。強気に自分を見据える瞳の色が自分のそれと似ていることが、余計に二人を意固地にさせる。
 しかし、少しして、睨みあいにピリオドを打ったのはフェリシアのほうだった。
「やめましょ」 と、短く言って目を伏せる。「この手の話であなたと気があった試しがないもの」
 声色に苛立った響きがあることに、ドラコはすぐに気づいたようだった。ドラコの形のよい眉がぴくりと動く。
 しかし、フェリシアはドラコに口を開かせる間を与えなかった。さっと立ち上がると、真っ直ぐに談話室の入り口へ向かう。
「フェリシア? どこへ行くの?」
 パンジーの慌てた声が追いかけてくる。フェリシアは振り返らずに、「図書館」とだけ答えた。
 ドラコは何も言ってこなかった。


 図書館はマダム・ピンスがいるおかげでいつでも静かだが、今日はいつにも増して静かだった。それもそのはず、今日はクリスマス休暇の最終日で、授業が始まるのは明日からだ。休暇最後の夜に、わざわざ図書館を訪れる生徒はそういない。勤勉なハッフルパフ生やレイブンクロー生の本の虫が何人かいるだけだ。
 フェリシアは目についた本棚から何冊か適当に本を抜き取ると、そこから一番近い席に腰をおろした。取り立てて興味があったわけでもない本を、ぱらぱらと捲る。
 読みたかったわけではないから、ちっとも面白くはない。それでも、静寂に包まれていると、少しずつ気持ちが落ち着いてくる。
 苛立って悪かったな。喧嘩をしたかったわけじゃなかったのに。今頃パンジーがおろおろしているかもしれない。戻って謝ろうか──でも、私がその話を嫌いだと知っていながら義務だなんだと言ってきたドラコにも、非はあるんじゃない?
 そんなことを考えながら本を閉じたら、重い表紙が思いの外大きな音をたててしまった。マダム・ピンスの鋭い目がこちらを向く。フェリシアはさっと別の本を開いて、素知らぬ振りをした。
 そのままそそくさと図書館を出てしまいたかったが、手ぶらで帰れば、苛立ち任せに用もなく図書館に行ったのだとドラコにバレてしまう。それはなんだか、嫌だった。しかたなく、一冊だけ借りて帰ることにした。『クィディッチ今昔』──暇潰しくらいにはなるだろう。
 心なしか重い足取りで図書館を出て、談話室のある地下へ降りる階段に向かった。
 途中、ポッターたちと出くわした。ポッターとウィーズリーとグレンジャーはいつも三人一緒にいる。ドラコとクラッブとゴイルも大抵一緒にいるが、あの三人とは違って、権力者と腰巾着っぽさを感じられないのが、フェリシアには時折奇妙に思えた。
 無意識のうちにじっと見てしまっていたのだろう。「僕たちに何の用だ、ワイズ」とウィーズリーが嫌な顔をした。
「今日は一人なのか? マルフォイのお供をしてなくていいのかい?」
 その言い方にカチンときたフェリシアは、思わず鼻をならした。
「私もドラコも、一人でいることくらいあるわ」
「へえ、そう? 見たことないけどね」
()見てるじゃないの」
「僕は、今まで(・・・)の話をしてるんだよ」
「ああ、そうなの? てっきり見えてないのかと思って、ウィーズリーの目はいったいどこについてるんだろうって心配しちゃったわ」
「そりゃどうも、余計なお世話だ。君の目こそ節穴なんじゃないのか? 僕の目はちゃんと──ここに──二つ──あるんだけど」
「ふうん、永久粘着呪文でガラス玉をくっつけてるわけじゃなかったのね」
 ウィーズリーの顔が不快そうに歪む。フェリシアは鼻で笑って続けた。
「ところで、目がちゃんとあるんならお気づきのはずだけど、あなたたちもいつも必ずつるんでるわよね? ウィーズリーとグレンジャーはポッターのお供なの? それとも、ウィーズリーのお供がその二人?」
「君たちと一緒にしないでくれ」と、ポッターが言った。
「私たちは友達だから一緒にいるだけよ」とグレンジャーが続く。
「私とドラコだって、友達だからよく一緒にいるの。それを先にお供呼ばわりしたのは誰だった?」
「家じゃ屋敷しもべに何でもやってもらってる君たちが、一人になって大丈夫なのかなって心配してあげただけさ。君は良くっても、マルフォイのほうは心細くて泣いちゃってるんじゃないか──」
「誰が泣くって?」
 ドラコが三人組の向こうにいた。クラッブとゴイルは連れておらず、一人だ。
 フェリシアは談話室でのことも忘れ、にんまりと笑った。
「どう、ウィーズリー。私には、泣いてないように見えるけど」
「ああ、ほんとだ、そう見える」
 今までで一番の不機嫌な声でウィーズリーは答えた。これでもかというほど眉を寄せた、ひどいしかめ面をしている。
「よかった。初めてあなたと見解が一致したわね」
「別に、よくはない」
「それじゃ、無事和解できたことだし、私たちはお暇するわ。ご機嫌よう」
 フェリシアは三人組の横を通りすぎ、ドラコの隣に並んだ。
「なかなか戻ってこないと思ったら……あんな連中と何の話をしていたんだ」
「私の目が節穴じゃなくて、ウィーズリーの目がガラス玉じゃないって話」
「よくわからないんだが」
 眉をひそめたドラコに、フェリシアはただ笑うだけだった。ドラコの気を悪くするような話をわざわざ教えるつもりはない。
「……機嫌は直ったんだな」
「気分屋でごめんなさいね」
「別に……君のそういうところは、もうよくわかっているから」
 ボソボソ言ったドラコも、怒ってはいないようだった。
 結局家の話も『義務』の話も宙ぶらりんのまま、解決はしていないが、こうしてドラコと気安い会話ができるなら、今はそれでよかった。
 おそらくドラコもそう思っているのだろう。迎えに来てくれて、蒸し返さずに隣にいる。それが、何よりの証だった。

181101 / title::エナメル

本編の夢主の人格形成に大きな影響を与えたのはトンクス家だと思っているので、母の実家に引き取られていたら、言動すべてが(嫌なベクトルに)だいぶ違っていそうだな…と色々考えながら書かせて頂きました。結果的にちょっとどころじゃなく黒くなってしまったような気がするのですが、大丈夫でしょうか……。特に頑張ったところは嫌味の応酬です。頑張りどころを少し間違えたかもしれません。とはいえ、本編では毎度険悪になってしまうドラコやパンジーを友人として書けたのはとても楽しかったです。リクエストありがとうございました!

 
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