幕引きか、それとも



 突如パッと視界が開けて、青い光に目が眩んだ。細めた視界に障子の姿が見える。何がなんだかわからないまま地面に落ちる守璃の耳を、緑谷の叫びがつんざいた。

「かっちゃん!!」

□□□

 ──爆豪が敵に攫われた。

 守璃は自身にもよくわからないまま敵の“個性”によって囚われていたらしい。
 混乱しながらも、この襲撃事件が雄英側の完全敗北に終わったということだけは理解できた──理解せざるを得なかった。
 森は青い炎に包まれ、火の粉は空高く舞い上がっている。緑谷は意識があるのが不思議なほど満身創痍でもはや自力で立ち上がることもままならない状態、守璃の手を引いてくれた障子も血や泥にまみれている。敵はUSJ襲撃事件のとき同様、ワープゲートの“個性”を使って逃走し、その行方はわからない。
 状況をうまく呑み込めずにいた守璃に事情を説明してくれたのは障子だった。
 敵の狙いは生徒という仮説は正しかった。奴らの標的は爆豪だったのだ。それが判明した時点で、イレイザーヘッドの名の下に生徒たちの戦闘許可が下り、マンダレイのテレパスによって全員に通達されたという。それはもちろん、身を守るための戦闘だ。そのテレパスを聞いた覚えがない守璃は、その時点で既に敵に捕まっていたということになる。
 轟、緑谷、常闇、障子は爆豪を守るべく動いたが──今、ここにいる全員に爆豪が連れ去られたという事実が重くのしかかっている。

「護藤が狙われているかもしれないというのは聞いていたが、捕まっていることは知らなかった。同じ敵だったことが幸いした、というべきか……」

 敵に捕らえられた爆豪と常闇を奪還しようとし、その結果掴んだものが常闇と守璃だったということらしい。
 障子にお礼を言いながら、守璃は腕をさすった。この鈍い痛みは筋肉痛、ただ、それだけ。この惨状においてはあまりに軽すぎる。
 素直に己の無事を喜ぶことなど、できなかった。
 

 施設にいたブラドキングが通報していたことで、敵の逃走から15分後には救急と消防、警察が到着した。
 動ける生徒とイレイザーヘッドが森の中から救助してきた生徒のほとんどは意識がなかった。B組の拳藤によれば、敵が森に放ったガスの影響だという。
 生徒41名の内、意識不明の重体が15名。重・軽症者11名に、行方不明1名。6名いたプロヒーローは1名が頭を強く打たれ重体、1名が大量の血痕を残して行方不明。
 対して、現行犯逮捕できた敵はわずかに3名だった。
 万全を期したはずの合宿で、どうしてこんなことが起こってしまったのだろう。みんなは意識を取り戻してくれるだろうか。攫われた爆豪は、無事でいるだろうか──
 重体の者から優先的に、救急車で合宿所近くの病院へ搬送されていき、軽症者は簡易な聴取ののち警察車両で下山することになった。
 守璃は敵の“個性”をもろに受けたとはいえ、怪我らしい怪我はない。救急隊員にも目立った異常がないことを確認してもらったあと、施設の中で聴取の順番待ちをしながら燻る森をぼんやり眺めていた。消防による消火活動のおかげで炎はあらかた消えていたが、それでもまだ煙のにおいが濃く漂っている。意識のない友人たちを乗せた救急車のサイレンが耳から離れない。
 施設の外も中も騒がしく、異常事態をいっそう痛感させた。敵が去ったとはいえ、これだけの被害と行方不明者が出ているのだ。一件落着には程遠い。
 聴取を受ける生徒の付き添いをブラドキングに任せ、イレイザーヘッドとプッシーキャッツは警察とともに 確保した敵の対応にあたっている。

「次、守璃ちゃんだって」

 聴取のためにあてがわれた部屋から出てきた麗日と蛙吹に声をかけられて、守璃は窓の外を眺めるのをやめた。
 ほかの生徒たちは二人ずつ呼ばれていたのに、守璃だけ一人だ。部屋に入ると、入り口のところにブラドキングがいて、奥に強面の警察が待ち構えていた。どうぞ座って、そう促されてUSJ襲撃事件後の事情聴取を思い出す。信じがたいことに、あれからまだ半年も経っていない。
 主に敵の特徴、特にその“個性”について尋ねられ、さらに、狙われる心当たりがあるかなどを訊かれた。一人で呼ばれたのはこのためか──相澤が根回ししてくれたのだろうか──と思いつつ、わかる範囲のことを答えていく。

「──うん、ありがとう。また何か思い出したことがあったら、いつでも教えてください」

 そんな言葉で聴取は終わり、守璃はそそくさと部屋を後にした。守璃で最後だったのか、すぐにブラドキングも出てくる。

「イレイザーとは話したか?」
「いいえ」

 相澤は誰より忙しそうで、施設に避難した直後に一度顔を合わせたきりだ。「無事だな」と確かめるように呟いて、すぐいなくなってしまった。

「今は、そんな状況じゃないと思いますし……」

 相澤は公私混同しないから、守璃もするわけにはいかない。話をしたい気持ちも確かにあるが、相澤の邪魔になることだけは避けなければならなかった。
 A組から行方不明者が出ている今、誰より重い責任を問われるのも相澤なのだ。独断で、生徒に戦闘許可も出した。世間の追及、批判は免れない。
 重体の友人、大怪我の緑谷、行方不明の爆豪──心配な人はたくさんいるが、相澤のこれからのことだって同じくらい心配だった。

「……みんなは」
「荷物を取りに行っている。車の手配が済み次第、速やかに移動だ。護藤も──」

 そのとき相澤が戻ってきて、守璃の視線はそちらへ縫いとめられた。目が、合う。少し迷った守璃の肩を、ブラドキングがそっと押した。
 よろめくように相澤に近寄った守璃は、相澤の顔を見上げて閉口した。相澤は何も言わない。だから、守璃も何も言えない。
 見かねたようにブラドキングが口を開いた。

「イレイザー。生徒が一人無事だったことは、それはそれとして安堵していいと俺は思う。その生徒が身内でもな。世間には批判されるかもしれんが、ここに世間の目はない」
「……そうか」
「何より俺が、同僚に身内の無事をなんとも思わんようなやつであってほしくない」
「それは正直どうでもいいが……」

 相澤が守璃を見下ろす。真正面からその顔を見て、守璃はなんとも言えない気持ちになった。みんなが心配で、これからのことが不安で、そんな気持ちはどうしたって拭えない。それでも──少しだけ、張り詰めていたものがゆるむような、そんな感覚。

「……兄さん、無事で良かった」

 よかった、なんて言えるような状況ではないことはわかっている。わかっているのにそう思ってしまうことをやめられないのは、自分が未熟だからなのだろうか。ヒーロー志望失格だろうか──そう考えた守璃の脳裏を、先ほどのブラドキングの言葉がリフレインする。

「……守璃もな」

 ぽつり、雨のように落ちてきた言葉は静かで小さい。けれど、守璃の耳に届けばそれで十分だ。
 相澤の手が頭に触れて、離れていく。守璃は震える息をゆっくり吐き出した。深呼吸していないと、涙がこぼれてしまいそうだった。この異常事態の中で、触れた手の温度だけがいつも通りだったから。

210418
息するように捏造
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