束の間の休息



 ──ようやく宿泊施設が見えてきた。

 早ければ12時前後……なんて、とんでもない。既に日は沈みかけ、空は濃いオレンジ色に染まっている。
 いくら倒しても次から次へと現れる“魔獣”に、道らしい道もなくゴールの見えない深い森。A組全員、疲労困憊という言葉が相応しい。
 建物の前で待っていたヒーローは、「とりあえずお昼は抜くまでもなかったねえ」と笑った。

「何が『三時間』ですか…」
「腹減った…死ぬ」
「悪いね。私たちならって意味、アレ」
「実力差自慢の為か…」

 黒髪の女性がマンダレイ、金髪の女性がピクシーボブ。道中緑谷に教えてもらった情報を思い出しながら、守璃は改めて彼女たちを見た。
 森の中で次から次へと襲い掛かって来た“魔獣”は、ピクシーボブの“個性”によるものだったらしい。

「私の土魔獣が思ったより簡単に攻略されちゃった。いいよ、君ら……特にそこ4人。躊躇の無さは経験値によるものかしらん?」

 ピクシーボブはそう言って、一体目の土魔獣に遭遇したとき真っ先に飛び込んでいった四人を指さす。守璃は少し驚いた。ただいきなり森に放り出されたのだとばかり思っていたが、どうやらこちらの動向はすべて把握されていたらしい。ひょっとすると、全員の居場所や怪我の具合なども全部解っていたのかもしれない。

「三年後が楽しみ! ツバつけとこー!!」
「マンダレイ…あの人あんなでしたっけ」
「彼女焦ってるの、適齢期的なアレで」
「適齢期と言えば──…」
「と言えばて!!」
「ずっと気になってたんですが、その子はどなたかのお子さんですか?」

 “猫の手”で顔を押されながらも、緑谷が尋ねた。守璃も気になっていたあの男の子は、歳不相応な仏頂面を浮かべて、睨むような鋭い目つきでヒーロー科の面々を見ている。
 質問に答えたのはマンダレイだった。

「この子は私の従甥だよ。洸汰! ホラ、挨拶しな。一週間一緒に過ごすんだから…」
「あ、えと、僕、雄英高校ヒーロー科の緑谷。よろしくね」

 そう言って右手を差し出した緑谷に、洸汰の無情なストレートが決まった。すぐさま駆け寄った飯田が叫ぶ。「おのれ従甥!! 何故緑谷くんの陰嚢を!!」

「ヒーローになりたいなんて連中とつるむ気はねえよ」
「つるむ!? いくつだ君!!」

 吐き捨てるように言った洸汰は、それっきり振り向きもせず施設に入っていってしまった。
 見たところまだ5、6歳くらい。大半の子どもなら無邪気にヒーローに憧れているような年頃のはずなのに、あの物言い。単にヒーローを好きではないというだけならまだしも、鋭く険しい表情はとてもその年頃の子どもがするようなものではない。
 “ワケあり”の子なのだろうな、と守璃は思った。自分もいわゆるワケありの子どもだったし、当時自分が世話になった養護施設にはそういう子どもが少なくなかったから。
 つい気になって洸汰が入っていったドアを見やるが、きっちり閉まったドアの向こうをうかがい知ることなんて、透視の“個性”でもない限りできるはずもない。

「茶番はいい。バスから荷物降ろせ」

 相澤の低い声が守璃の思考を中断させた。
 
「部屋に荷物を運んだら食堂にて夕食、その後入浴で就寝だ。本格的なスタートは明日からだ。さァ早くしろ」

□□□

「いただきます!!」

 次から次へと現れる土魔獣との戦闘をこなしつつ昼食抜きで歩き通して六時間以上。全員もれなく空腹で、食堂には大きな声が響き渡った。

「悪い護藤、その肉とってくんね?」
「肉……あ、唐揚げ? どのくらい?」
「適当で!」
「これくらいでいい? 足りる?」
「おう、ありがとな!」
「ほかに欲しい人は? 言ってくれたらとるよー」
「母ちゃんみてえ」

 テーブルの上に所狭しと並べられていた山盛りの料理は、あっという間にみんなの胃の中におさまっていく。

「急にいっぱい食べるとお腹痛くなるよね…」
「大丈夫?」
「梅雨ちゃんが胃薬持ってきてくれてるらしいよ」
「準備いいね梅雨ちゃん。あとで貰おうかな」

 名前が聞こえたのか、別のテーブルについて食事をしている蛙吹がわずかに振り返った。大きな目をぱちくりさせる姿になんだかほっこりする。
 それにしても、薬を用意している蛙吹には恐れいる。守璃は胃薬くらい持ってくればよかったなと反省しながら自分の持ち物を思い返してみたが、たぶん薬の類は絆創膏と消毒液しか持ってきていない。

「お腹痛いの? 胃薬くらいなら救急箱に入ってると思うから、必要なら言って」
「あっ、ありがとうございます」

 テーブルの横を通り過ぎたマンダレイにお礼を言い、守璃は再び箸を動かした。
 マンダレイたちはテーブルの間を縫うように歩いて、おかわりを運んでくれている。この食事の用意をしてくれたのも彼女たちらしかった。学生が施設に到着するまで動向を見守り、恐らく万が一の場合にはすぐに救助に向かえるよう備え、さらにA組B組あわせて40人以上の食事を用意する──それは大変なことだろう。守璃は色々な有り難みを噛みしめながら味噌汁を飲み込んだ。
 とはいえ、プッシーキャッツ──ワイプシが世話を焼いてくれるのは今日限りらしい。明日からは、みっちり訓練してヘロヘロのくたくたになった後に、食事の用意も自分たちでしなければならない。……筋肉痛の腕で包丁を握る事を考えると、ちょっと気が重い。

 後片付けも今日はワイプシがやってくれるとのことで、食事を終えたあとは少しの休憩を挟んで入浴時間に充てられていた。
 この施設、なんと温泉がある。それも露天風呂だ。来るまではなんとなくシンプルな大浴場を想像していたから、驚いてしまった。
 少し熱いくらいのお湯に浸かると、やっと人心地がついた。

「温泉あるなんてサイコーだわ」
「ホッとする……」

 森を抜けるために何度も障壁をつくって消してを繰り返した腕は、両腕ともすっかり筋肉痛だ。ピクシーボブの土魔獣は雄英のロボよりも脆く、疲れで強度が落ちた障壁でもなんとかなったから良かったものの、もしもロボ並の硬さだったらと思うとぞっとする。その場合、後半の守璃はただの足手纏いになっていたことだろう。
 合宿は明日からが本番だというのに、今からこれでは先が思いやられる。
 温泉に浸かりながら腕をマッサージをしていると、何やら隣が騒がしいことに気がついた。高い壁を隔てた向こう側では今男子が入浴中のはずで、つまり──峰田がいる。思い出すのは更衣室での一件だ。

「壁とは超えるためにある!“Puls Ultra”!!」
「校訓を汚すんじゃないよ!!」

「ヒーロー以前にヒトのあれこれから学び直せ」

 見張りをしてくれていた洸太のおかげで、峰田は壁を越えることなく絶叫しながら落ちていった。

「やっぱり峰田ちゃんサイテーね」
「ていうか完全にアウトだよね…」

 こんなことに校訓を持ち出すのは本当にどうかと思うし、峰田にとって超えるべき“壁”がこれなら頼むからもう一生プラスウルトラしないでほしい。この件は風呂から出たら絶対相澤に報告しよう、と守璃は心に決める。
 その傍ら、芦戸が「ありがと洸汰くーん!」と声をかけた。名前を呼ばれ、洸汰が振り向く──が、その拍子にバランスを崩したのか、洸汰は後ろに落ちてしまった。

「洸汰くん!」

 下までは結構な高さがある。そのまま頭から落下したら──

「大丈夫!」

 蒼褪めたのも束の間、すぐに緑谷の声が聞こえてきて、守璃はホッと胸を撫で下ろした。

200125
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