可視の不穏



 守璃の障壁の最大の特徴といえば、透明であること。おかげで、初見で見抜ける者はほとんどいない。
 その透明さが戦闘において有利に働くことは多いが、残念ながらデメリットもある。
 その一つが“身を隠せない”ということだ。障壁の裏に隠れたところで、居場所も行動もすべて透けて見えてしまう。一旦身を隠して態勢を立て直す、あるいは奇襲を仕掛ける――そういった戦法においては、守璃の障壁の透明さは裏目に出るのだ。

 しかし、障壁の陰に隠れるのが自身も透明な葉隠なら。

 障壁の存在どころか、 障壁に“守られている何かがあること”すら相手に悟らせずに済む。
 葉隠は自身の安全を確保したうえで、奇襲を仕掛けるタイミングを図ることができる。

「気配を出来る限り消して護藤の真後ろを追走したのか。より気づかれにくくするために」
「そう! 上手くいってよかったー!」

 葉隠の弾んだ声が耳を打つ。守璃は思わず苦笑した。「私、全然気がつかなかった」

「それが良かったんだろう。護藤が葉隠を気にしていれば、そこから看破されて失敗していたかもしれない」
「そうそう。守璃ちゃんに気づかれなかったのむしろ嬉しいくらいだよー」
「敵を欺くにはまず味方からとも言うしな」
「んん…確かに」

 障子の言葉に頷くと、葉隠の満足げな笑い声がした。

「何はともあれクリアしたんだし、赤点は回避できたよね!」

□□□

 残念ながら、演習試験は全員が合格とはいかなかった。
 演習試験をクリアできなかった切島・砂藤と芦戸・上鳴は、試験結果の発表前からこの世の終わりのような暗い顔をしている。


「皆…土産話っひぐ、楽しみに…うう、してるっ…がら!」
「まっまだわかんないよ、どんでん返しがあるかもしれないよ…!」
「緑谷、それ口にしたらなくなるパターンだ…」

 涙交じりの芦戸、なんとか励まそうとする緑谷と冷静に指摘する瀬呂。それらの声を、やけくそ気味に反論する上鳴の声がかき消して、朝から教室は騒々しい。それでも相澤が教室に入ってくれば、瞬時にしんと静まり返った。

「おはよう。今回の期末テストだが…残念ながら赤点が出た。したがって…林間合宿は全員行きます」
「どんでん返しだあ!」

 赤点は演習試験で条件を達成できなかった四人と、チームとしてはクリアしたものの試験中ほぼずっと戦闘不能状態だったという瀬呂の計五人。
 演習試験の開始直前に「本気で叩き潰す」云々と言っていたのはあくまで追い込む為の合理的虚偽、実際は生徒に勝ち筋を残しつつ、それぞれがどう課題と向き合うかを見ていたという。林間合宿の件にしても、赤点を取った者こそここで力をつけてもらわなければいけない、とのこと。確かに、赤点イコール「雄英の求める水準に達していない」ということだと考えれば、ここで合宿を欠席するとますます遅れを取ることになってしまう。それはとても合理的とは言えない。

「またしてやられた…! さすが雄英だ! しかし! 二度も虚偽を重ねられると信頼に揺らぎが生じるかと!!」
「わあ、水差す飯田くん」
「確かにな、省みるよ。ただ全部嘘ってわけじゃない」

 合宿に参加できると聞いて、先ほどまでの悲愴感が嘘のように有頂天の四人だが、相澤はしっかりと釘を刺した。

「赤点は赤点だ。おまえらには別途に補修時間を設けてる。ぶっちゃけ学校に残っての補習よりキツイからな」

 一変して表情を翳らせる赤点組を相澤は意にも介さない。いつものように淡々とした様子で、小冊子の束を取り出した。

「じゃあ合宿のしおりを配るから後ろに回してけ」

□□□

 合宿は一週間。職場体験の一週間よりもずっとハードな一週間になるだろう。守璃は合宿の類いに参加するのは初めてだが、雄英の用意する強化合宿の厳しさは生半可なものではないと思う。そんじょそこらの合宿とはワケが違う、ような予感がする。

「しっかり準備しないといけませんわね」
「ね。荷物も体調も万全にしないと」

 守璃はしおりの持ち物リストを眺めた。合宿前に買わなければいけない物もいくつかある。そもそもこの大荷物が入るキャリーバックを持っていないから、最優先で買う必要がある。
 そんなことを考えていると、賑やかな教室の中でもひときわ大きく葉隠の声が聞こえた。

「A組みんなで買い物行こうよ!」

 すぐに賛同の声が上がって、教室はますます賑やかになった。

「ヤオモモちゃんと守璃ちゃんも行こ! 明日!」
「ええぜひ! 護藤さんも行きますわよね?」
「ん、んー…」

 守璃はわずかに躊躇った。みんなで買い物。それはとても楽しそうだが――少し、ほんの少しだけ個人的な懸念がある。
 視界の端では、緑谷に声をかけられた轟が休日は見舞いに行くと断っていた。断るという選択肢が一瞬守璃の脳裏をよぎった。

「えっ、守璃ちゃん行かない!?」
「無理強いはできませんが…」

 言葉を濁した八百万が残念そうに眉を下げ、守璃は急いで言葉を継いだ。

「ううん、行く。行きたい」
「やった!」

 葉隠の声が弾んでいることに守璃は内心ほっとした。誘いを一蹴した爆豪はともかく、みんな楽しそうに話している。この空気を壊したくはない。何より、行きたいと思うのも本当だ。

「時間と場所決めよーぜ!」
「何買うかにもよるよな?」
「色々じゃない?」
「となるとやっぱ――」

 話を進めるみんなを後目に、八百万は守璃にだけ聞こえる声で言った。

「大丈夫ですの?何かご予定があったのでは…」
「や、大丈夫…大丈夫。ちょっと考え事してただけで、予定があるとかじゃないんだ」
「…差し支えなければ、その“考え事”について訊いても?」
「え。んん……大したことじゃないんだけど。…お店の人混みがあんまり得意じゃなくて。買い物中、迷惑かけることになったら申し訳ないなあ…とか」
「……苦手なものくらい、誰にだってあるものです」

 八百万は静かにそう言うと、励ますように微笑んだ。

「何があっても迷惑だなんて思いませんから、いつでも頼って下さいな」
「…ありがとう」
「これくらい当然ですわ。お友達ですもの」
 


 ――翌日。やって来たのは木椰区ショッピングモールだ。県内最多店舗数を誇るナウでヤングな最先端という触れ込みのここは、休日ということもあって非常に多くの買い物客で賑わっている。店員の呼び込みも凄いが、体育祭の中継を見ていた人が声をかけてくることまであって、とにかく圧倒されてしまう。小学生の頃の守璃なら、この時点で足が竦んで一歩も歩けなくなっていたに違いない。

「大丈夫そうですか?」

 隣にやって来た八百万がこっそり耳打ちをする。守璃は頷いた。

「思ってたより大丈夫そうかも」
「良かったですわ」

 目の前では独り言の止まらない緑谷が常闇に窘められているし、飯田が「買い物は計画的にしよう!」と標語めいたことを言っている。二人とも面白いくらい平常運転で、おかげで守璃はほんの少し気が抜けた。

「どこから回る?」
「とりあえずウチ大きめのキャリーバック買わなきゃ」
「あ、私も」
「あら、では一緒に回りましょうか」

 どうやらみんなの目的はバラけているようで、切島の提案で、時間を決めて自由行動をすることになった。あっという間に目的が一致した者同士でグループが出来て、切島の提案から一分と経たずにモール内に散っていく。
 守璃たち三人はキャリーバックを買うため、ひとまず一番近い旅行用品店へ行くことにした。
 通路はどこも人でごった返している。喧騒は近いようにも遠いようにも感じられた。
 人混みの中を歩くのが、昔は怖くて堪らなかった。相澤が一緒でなければ、来られないような場所だった。克服した今でも、こういうところに来るのは尻込みしてしまう。
 ――でも、案外、平気だ。二人の声が気を紛らわしてくれるからだろうか。胸がざわつくことも、息が詰まることもない。本当は、幼い自分が恐れていたほど人混み(ここ)は怖いところではないのだろう。

「一週間向けのサイズってどれくらいだろ」
「よくわかんないよね。検索したら75Lくらいって書いてあったけど…」
「荷物の量にもよりますものね」
「というか75Lのサイズ感がピンとこない」
「やっぱ実物見てみないとだ」



 しかし(ヴィラン)出現の通報により、モールの一時閉鎖、区内のヒーローと警察による緊急捜査が行われたのはそれから一時間足らずのことだった。
 敵に遭遇したのは緑谷、通報したのは麗日。現れた敵は、USJを襲撃した死柄木という男だったという。
 事情を聞いた守璃は思わずぞっとして両腕を押さえた。

190831
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