備えろ期末試験



 心操は本当に相澤家の兄妹事情を詮索する素振りを一切見せなかった。その上、単に言いふらさないというだけでなく、本人たちが公言するまで誰にも言わないと約束までしてくれた。職員室を出た後で「黙ってるかわりにヒーロー科のこと教えてよ」と連絡先を訊かれたが、心操に連絡先を教えるくらいなんでもない。
 そんな交換条件がなくたって教えるのに。思わずその場でそう言ったら、なぜか少し変な顔をされた。

 どうして心操が相澤といたのかを聞きそびれたことに守璃が気がついたのは、心操と連絡先を交換して帰宅し、夕飯の支度に取りかかってからだった。
 お互いの連絡先はもう知っているのだから、そうしようと思えばいつでも心操に訊くことはできる。けれど、こちらの事情を詮索せずにいてもらっている手前、自分だけが一方的に心操の事情を尋ねるのは憚られた。相澤に訊くことも考えなくはなかったが、こそこそ訊くのはもっと憚られる。おまけにタイミングをすっかり逃してしまったことでますます尋ねにくくなり、まったく切り出せないままずるずると日々が過ぎていった。
 ここ最近はもう「まあいいか」と思い始めている。何しろ、考えなければならないことは山積みだ。
 たとえばそう、期末テストのことだとか。

□□□

 早いもので六月も最終週になった。期末テストまでは、残り一週間を切っている。
「全く勉強してねー!!」と叫び声を上げたのは中間順位がクラス最下位だったらしい上鳴だ。同じく下位だった芦戸はといえば、あっけらかんと笑っている。
 近頃体育祭に職場体験と行事続きだった上に、期末テストは中間テストよりも出題範囲が広い。おまけに演習試験もあるときている。対策なしで臨めるほど簡単なものではない。
 クラス全体を巻き込んでわあわあ騒いでいると、八百万が「お二人とも」と声をかけた。

「座学なら私、お力添え出来るかもしれません」
「ヤオモモー!!」

 後ろの席にいた守璃には、続けて「演習のほうはからっきしでしょうけど……」と呟いたのが聞こえた。その低く沈んだ声色がひっかかったものの、小声だったせいで周りにはほとんど聞こえなかったようだった。八百万の呟き声は教室の喧騒に消えていく。
 
「お二人じゃないけど…ウチもいいかな? 二次関数ちょっと応用つまずいちゃってて……」

 耳郎がノートを持って近づいてきたので、守璃も便乗して八百万の後ろから手を挙げた。

「私もいい? 数学苦手で」
「わりィ俺も! 八百万、古文わかる?」
「俺もいいかな」

 瀬呂や尾白もやって来ると、不意に八百万が勢いよく立ち上がった。

「良いデストモ!!」

 八百万の力強いOKに歓声が上がった。なんといっても八百万は、中間テストで堂々のA組1位である。点数も少しだけ聞いたが、苦手といえる教科は一つもなさそうな点数だった。守璃の苦手な数学の授業でも八百万は積極的に挙手をして回答しているし、その八百万に勉強を教えてもらえるというなら、それほど心強いことはない。

「では、週末にでも私の家でお勉強会を催しましょう!」
「まじで!? ヤオモモん家楽しみー!」
「ああ! そうなるとまずお母様に報告して講堂を開けて頂かないと…!」

 八百万がプリプリしながらそう言った瞬間、一同の目が点になった。今、八百万は講堂と言っただろうか。
 講堂がある自宅とはいったい。

「皆さん、お紅茶はどこかご贔屓ありまして!? 我が家はいつもハロッズかウェッジウッドなので、ご希望がありましたら用意いたしますわ!」

 せっかくの気遣いだが残念なことに守璃はハロッズもウェッジウッドも馴染みがなかったし、贔屓の紅茶もなければ、そもそも紅茶のことを“お紅茶”と呼ぶような上品さもない。
 誰もついていけなかったが、八百万はなおもプリプリしている。

「必ずお力になってみせますわ…」

 とてもナチュラルに生まれの違いを叩きつけられるかたちになったが、プリプリしている八百万がなんだかとても可愛かったので、すぐにそんなことはどうでも良くなってしまった。上鳴も耳郎もそういう顔をしていたから、同じ気持ちだったに違いない。

「なんだっけ? いろはす? でいいよ」
「ハロッズですね!!」

□□□

 普通科目の試験範囲はこれまで授業でやったところということがはっきりしているから良い。問題は演習試験のほうだ。
 相澤は、「一学期でやったことの総合的内容」としか言わなかった。
 一学期にやったことといえば戦闘訓練に救助訓練、基礎トレーニング。これらの総合的内容の試験とは、具体的にどういうものなのだろう。
 その答えは緑谷たちが仕入れてきた。
 どうやら入試のときのような対ロボットの実戦演習らしい。緑谷たちはB組の拳藤から聞き、その拳藤はヒーロー科の先輩に聞いたというから、かなり信頼できる情報だ。
 真っ先に喜びの声を上げたのは上鳴と芦戸だった。

「んだよロボならラクチンだぜ!!」
「おまえらは対人だと“個性”の調整大変そうだからな…」
「ああ! ロボならぶっぱで楽勝だ!!」
「あとは勉強教えてもらって」
「これで林間合宿バッチリだ!!」

 大喜びの二人とは対照的に、守璃は気が重い。
 守璃の“個性”は、周囲からよく防御特化“個性”と言われるように、自ら攻めることが難しい“個性”だ。基本的には戦闘スタイルは受け身で、「相手の攻撃を受け止めて跳ね返す」というような戦法をとることになる。
 ただし、すべての攻撃を跳ね返せるわけではない。跳ね返せる種類の攻撃であっても、その威力によっては跳ね返す前に障壁が壊れてしまう。
 また、どんなに上手く跳ね返したとしても、その攻撃が相手が放った瞬間以上の威力になることはない。
 期末試験の演習が対ロボット形式なら、ロボットがビームやミサイルでも出してくれない限り、守璃がとれる攻撃の選択肢はうんと少なくなる。入試のときはロボットを引き付けて障壁にぶつけることで乗り切ったが、今回もそれが通用するとは思えない。試験の内容自体、入試よりも難易度が高いと考えるべきだろう。耐久性なども含めてロボットの性能が上がっている可能性も高い。
 自分の課題として前々から認識していたことばかりではある。が、数日後に迫っている期末試験までにどうにか出来るかというと――。

「人でもロボでもぶっとばすのは同じだろ、何がラクチンだアホが」

 思案に沈んだ守璃の意識を引っ張りあげたのは、爆豪の棘のある声だった。

「アホとは何だアホとは!!」
「うるせえな、調整なんか勝手に出来るもんだろアホだろ! なあ!? デク!」

「“個性”の使い方…ちょっとわかってきたか知らねえけどよ。てめェはつくづく俺の神経逆なでするな」

 職場体験明けのヒーロー基礎学のことを指しているのだろう。
 “個性”を巧みに利用した身軽かつ俊敏なその動きは、これまでの怪我ばかりしていた緑谷からは想像もつかないものだった。――さながら、爆豪のような。

「体育祭みたいなハンパな結果はいらねえ…! 次の期末なら個人成績で否が応にも優劣つく…! 完膚なきまでに差ァつけててめェぶち殺してやる!」

 爆豪の剣幕は、最初の対人戦闘訓練のことを思い起こさせる。爆豪は緑谷だけでなく轟にも突っかかり、荒々しく教室を出ていった。
 入学から数ヶ月が経って少しは爆豪の烈しさにも慣れたような気がしていたが、気のせいだったのかもしれない。守璃には、爆豪に声をかけることはできなかった。

190501
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