三日目の異変



 パトロール、トレーニング、ゴミ拾いなどの社会奉仕活動。
 都市部の事務所ということで敵による凶悪犯罪が発生することも懸念していたが、そういう事態は起こらず、早くも職場体験は三日目の午後に差し掛かっていた。
 この時間は鍛練に充てられている。
 ヒーロー事務所であれば、だいたいどこでもトレーニングルームを併設しているものである。空き時間などを利用して、いつでも体を鍛えられるようになっているのだ。事務所内のトレーニングルームは、ヒーローやサイドキックの“個性”に合わせて壁や器具などに特殊加工がされていることも多い。一般的に出回っている器具や、一般向けのジムでは“個性”に対応しきれないことが多いため、非番の日でもトレーニングルームを利用しに事務所へやってくるサイドキックも少なくないらしい。
 ガンヘッドの事務所にはトレーニングルームが幾つかあって、トレーニング器具が豊富に揃っている部屋と、主に組手などをするときに使われる道場のような広い部屋とがある。
 守璃たちの鍛練で使われるのは後者だった。何しろ職場体験は、期間が一週間と限られている。たかだか一週間程度では、筋力トレーニングをしても実になるものは少ないだろうから、それよりは体の使い方を学ぶ方が良いというのがガンヘッドの指導方針だった。
 ガンヘッドといえば、やはりG(ガンヘッド)M(マーシャル)A(アーツ)。ガンヘッドの指導方針は二人にとって願ってもないことだ。
 ガンヘッドは守璃と麗日に向き合うと、手に持っていたサバイバルナイフを麗日に手渡した。

「それじゃ、ナイフを持った相手にどう闘うか。ウラビティちゃん、ついてみてくれる?」
「いいんですか?」
「遠慮はいらないよ。クリアイージスちゃんは、よく見ていてね」
「はい」
「じゃあ……いきます!」

 麗日がナイフを握りしめてガンヘッドに突っ込んでいく。

「振り回してきたら距離を取って対応」

 ガンヘッドは軽い身のこなしで後ろに下がる。説明を続けながら、危なげなく麗日のナイフを躱した。

「直接攻撃が来たら片足軸回転で躱して、手首と首を同時に掴み、手首を引きながら、首を押す!」

 淀みない流れるような動き。麗日は押されるまま、うつ伏せに床へ押しつけられる。

「手首を捻ってナイフを落とさせ、落ちたナイフは蹴って遠ざければ、より完璧になるよ」

 簡単に壁際までナイフを蹴り飛ばされ、麗日は丸腰になった。
 ガンヘッドは手を離すと、小走りでナイフを拾いに行った。それ自体はまるでゆるキャラがしていそうな可愛らしさのある動き方で、先程の立ち回りを見た直後ではギャップが大きい。
 淀みないあの動きは、格闘家さながらだった。簡単にやっているように見えるのは、あくまでもそれが体にすっかり染み着いた動きだからであって、守璃や麗日がやってみたところで絶対にああいう動きにはならないだろう。

「今度は僕がナイフを持つね。できるようになるまで何度も反復! いいね」

 守璃の考えを裏打ちするように、ガンヘッドが言う。数日ではあのレベルになることはできないとしても、反復練習あるのみだ。

「クリアイージスちゃんの相手は俺がしますね」

 サイドキックの一人が、麗日が渡されたものと同じナイフを手にして進み出る。
 ガンヘッドのサイドキックというだけあってこちらも武闘派、筋骨粒々のいかついヒーローだ。外見はどこかブラドキングを彷彿とさせるが、雰囲気はガンヘッドに似ており、口調は見た目によらず柔らかい。
 
「よろしくお願いします!」
「よし。じゃあ、まずはゆっくり行くから。怖がらずにやってみよう」
「はいっ」

□□□

 鍛練のあとは、少しの休憩を挟んで夕方のパトロールだ。
 時刻は十八時過ぎ。凶悪犯罪が多くなるのはもっと遅い時間帯だとされるが、夕暮れ時も油断はできない。特に窃盗事件などは、たとえこの時間帯であっても頻発する。また、部活終わりの中高生が下校する時間帯に重なっているので、子どもが敵犯罪に巻き込まれないようにするためにも夕方のパトロールは欠かせないのだという。
 鍛練終わりの重い体に喝を入れ、日の沈み始めた街へ繰り出す。
 昼間のパトロールよりもやや時間をかけて回ることになっていて、路地などにもより注意深く目を配りながらのパトロールだ。何か怪しいものを見つけたら、すぐにガンヘッドに報告するように言われている。

 巡回ルートを折り返し、事務所まであと三分の一ほどというところ。
 ベルトにつけたポーチの中で、スマホが震動した。
 緊急時に備えてスマホの携帯は許可されているとはいえ、パトロールの最中に取り出すのも憚られる。しかし、メッセージを受信したのは麗日の携帯も同じだった。全く同じタイミングで鳴った通知音は、ガンヘッドの耳にも届いていた。

「同じタイミングっていうのは気になるね。いいよ、確認して」
「は、はい」
「ありがとうございます」

 いそいそと自分のスマホを取り出すと、メッセージの送信者は緑谷だった。一括送信で位置情報だけが送られている。
 日本、東京都、保須市――。

「保須……?」
「デクくんの職場体験先って山梨だったはずじゃ……」

 二人は思わず顔を見合わせた。嫌な胸騒ぎがする。

「保須?」

 ガンヘッドの声が低くなった。保須――ここしばらく、物騒なニュースで何度も取り沙汰されてきた地名である。

「クラスメイトから位置情報だけ送られてきて……場所が保須なんです」
「それは、通報したほうがいいかもしれないね。念のため」

 ガンヘッドはそれ以上言葉にしなかったが、事件に巻き込まれている可能性があると言いたいのだろうことはすぐにわかった。
 緑谷は真面目で、考えて動くタイプだ。みんなが職場体験に勤しんでいるはずのこの時間帯に、無意味にアドレスだけを送ってくるようなことはしないだろう。このメッセージに何らかの意図があるのだとすれば、考えられることは自ずと限られてくる。
 守璃と麗日はガンヘッドの助言に従って警察に通報した。位置情報を伝え、至急パトロールをしてほしいと嘆願する。
 それからパトロールを再開したが、絶えず形容しがたい不安が胸に渦巻いてしかたがなかった。緑谷と親しい麗日は特に不安が大きいようで、そわそわと落ち着きがない。
 それでも最後までパトロールを終え、事務所まで戻る。

「それじゃ、二人とも今日はこれで上がりだよ。お疲れ様」

 ガンヘッドの言葉に二人は「お疲れ様でした!」と声を揃え、詰所に戻った。着替えを済ませて人心地つくまもなく、麗日が口を開く。

「デクくん、どうしたんだろ。気になるな……」
「何事もないと良いけど――」

 誤送信なら、良い。
 でも、もしも。もしも何かの事件に――悪くすればステイン事件に――巻き込まれていて、そのSOSだったとしたら。通報は間に合っただろうか。怪我をしていないだろうか。命に関わるようなことになっていたら、どうしよう。
 空気が自然と重く、暗くなる。無意識にスマホを弄ってトーク画面を開いては、緑谷から何も送られてきていないことに落胆した。『緑谷どうした』『なんかあったの?』『緑谷〜?』……グループトークには、他のクラスメイトからのメッセージばかりが増えていく。
 いつもうららかな麗日も、今はいつになく強張った表情で携帯を見つめている。

「デクくん、電話も出ない……」

 守璃はもう一度トーク画面を見つめた。もうひとつメッセージが増えたが、それはやはり緑谷からのものではない。

 結局その晩のうちに緑谷から返信が届くことはなく、その代わりのように飛び込んできたのは、保須市での敵大量発生のニュースと――ヒーロー殺しステイン逮捕の知らせだった。

181203
今回も捏造補完多めですが、鍛練のシーンではアニメの職場体験回を参考にしております。

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