ヒーローの家族



 守璃たち生徒には二日間の休日が与えられているとはいえ、教師たちには仕事がある。プロヒーローからの指名の取りまとめ、その先発生する諸々の手続きの事前準備等々。そのため、休校二日目の今日も相澤はミイラ姿のままいつの時間に出勤していった。あの状態でよく一人で行動できるなと思う。
 洗濯や掃除など一通り済ませた後、守璃はノートとペン、飲み物とおやつを用意して、録画した体育祭中継の一人観賞会を始めた。
 録画を見直す一番の目的は自分の動きを確認することだったが、普段見ることがない他クラスの生徒の“個性”や動きを見られるのも興味深い。
 とはいえ、あくまでもテレビ放送なので、気になるところでCMに中断されてしまうこともある。全員が均等に映されているわけでもない。それに、テレビ局のカメラというのはどうしたって派手な“個性”持ちやトップの生徒に寄りがちになる。
 実際、“個性”が派手で実力も抜きん出ているA組のツートップや、障害物レースで驚異の大逆転を見せた緑谷が何度もズームアップされていて、トーナメントにも出ていない守璃は少ししか映っていなかった。自分の反省点をよりしっかり炙り出す為には、学校が保存しているVTRを確認する方が良さそうだったが、守璃はノートにメモを取りながら、録画した分すべて確認していった。他の人の“個性”や動きをじっくり見るのも勉強になるのだ。
 騎馬戦でもカメラは主に緑谷チーム周辺に寄っていた。守璃と飛井は遠目に映るのみだったが、競技中は自分の近くのチームに気を配るのにいっぱいいっぱいで上位チームの攻防戦をほとんど見れなかったから、これはこれでありがたい。
 時々速すぎて見逃してしまったシーンを戻したりしながら観ていると、いつの間にか日が暮れかけていた。
 結局全プログラムを通して守璃が大きく映されたのは、障害物競争の第二関門──実況のプレゼント・マイクが注目してくれたとき──と、チアガールの格好をしたA組女子がズームアップされたときくらいだった。なんだか悲しくなってしまう。が、言い換えれば競技で目をひく結果を出せなかった自分のせいなので、反省点の一つとして真摯に受け止めなければならない。……それでもやっぱり、全国にあの醜態が晒されてしまったことには少し凹むのだけれど。
 ふと時計を見れば、そろそろ夕飯の支度に取り掛からなければいけない頃合いだった。
 さて、今日の献立は何にしよう。昨日、スーパーのお客様感謝デーにあわせて買い物に行ったばかりなので、冷蔵庫の中身は豊富である。何を食べたいか相澤に聞いておけば良かったかなと思ったが、すぐに考え直した。もともと食事に頓着しない人なのだ、聞いたところで返ってくる答えは、高確率で「何でも良い」の一言だろう。
 そんなことを考えながらテレビの画面を切り替えると、ちょうど夕方のニュース番組が始まったところだった。一面に映し出されるのは、ターボヒーロー インゲニウム。東京都保須市でパトロール中だったインゲニウムが敵に襲われた事件の話題だ。
 この二日間、世間はこのニュースで持ちきりだった。インゲニウムが将来性のある若き人気ヒーローであったことに加え、襲った敵というのが近頃騒がれている連続殺人犯だったことも大きいだろう。通称ヒーロー殺し、敵名ステイン。17人のヒーローを殺害し、23人のヒーローを再起不能に陥れ、現在も逃走中の凶悪犯だ。
 幸いにもインゲニウムは一命を取りとめた。しかし、当然ながらヒーロー活動は休止、再開については未定と報じられている。
 ヒーローを目指す者としてもヒーローの身内としても他人事とは思えないこのニュース。守璃は思わず顔を歪めた。
 何かが一つでも違えば、この前のUSJ事件で相澤もそうなっていたかもしれない。運良く今回は助かったというだけで、これから先そうならない保証もどこにもない。
 ヒーローというのは一見華やかだが、常に危険と隣り合わせである。むしろ自ら危険に飛び込んでいくのが仕事。殉職するヒーローや、活動中の怪我が原因で引退を余儀なくされるヒーローは決して珍しくはない。インゲニウムについても、所属事務所はまだ引退を断言していないものの、ネット上では再起不能説が囁かれ引退はほぼ確実などと言われている。
 ニュースキャスターは、続いてインゲニウムの経歴と功績を読み上げ始める。
 若くして個人事務所を立ち上げ、サイドキックは65人。ヒーロー界トップクラスの俊足、事件発生から救助までの迅速さは評判が高く、市民からの信頼も厚い大人気ヒーロー──。
 キャスターがインゲニウムの“個性”について触れたところで、守璃は飯田の顔を思い出した。
 インゲニウムの“個性”と飯田の“個性”は、よく似ている。
 飯田は体育祭を早退した。そして、この事件が起こったのは、ちょうど体育祭が行われていた時間帯だった。
 身内だという話を直接聞いたことがあるわけではないので確信は持てないが、ひょっとしたらという思いが拭えない。
 もし、インゲニウムが飯田の身内だったら。飯田にどんな言葉をかければ良いのだろう。
 飯田が今どんな思いでいるのか、想像するだけで胸が苦しくなる。飯田とインゲニウムがどんな関係かも知らないし、飯田の気持ちがわかるだなんて軽々しく言えはしない。それはあまりに傲慢で、烏滸がましいことだ。けれども決して、わからなくはない。 
 ニュースが別の話題に移ったのを見て、守璃は心ここにあらずのままキッチンに向かった。

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 夕飯がそろそろ出来上がるという頃、相澤が帰ってきた。タイミングが良い。
 ドアが開く音を聞いて振り返った守璃は、相澤の姿を視界に入れるなり目を見張った。

「えっ包帯は!?」
「外す許可が下りた」
「もう!?」
「やっとだろ」
「まだ一か月も経ってないよ」
「経ってなくても怪我が治ってりゃそれでいいんだよ。健康体で包帯巻くなんざ不合理の極みにも程がある」
「……ちゃんと治ってるんだね?」
「ばあさんがOK出してんだ。問題ない」
「それなら良いんだけど……」

 守璃は近寄って相澤の顔をまじまじと見上げた。ずっとミイラさながらの状態だったとはいえ、包帯を替える際にも顔は見ていたはずなのに、随分懐かしく感じる。

「目のとこの傷、大丈夫?」
「ああ……これか。痛くはねえ」

 相澤が右目の下をかいた。そこには、パッと見てもわかるほどはっきりとした傷が残っている。当然ながら、事件の前には無かったものだ。

「それ、痕になっちゃうかな」
「さあな。なったとしても俺は何も困らんが」
「そりゃそうだろうけど……」

 ぼやきかけた守璃は、途中で思い直して言葉を飲み込んだ。決して軽くない怪我を負ったにもかかわらず命に別状はなく、ヒーロー生命を断たれるほどの後遺症もないのだ。十分すぎるくらいだろう。
 夕方観たニュースがまぶたの裏にちらついた。

「……あのさ」
「なんだ」
「ずっと気になってたんだけど、インゲニウムってもしかして、飯田くんの……」

 相澤は表情を変えることなく、じっと守璃を見つめた。飯田と守璃がクラスメイトであるとはいえ、教え子の個人情報をぺらぺら話すはずもなかったが、今は返事がないことが答えのようなものだった。
 否定も肯定も言葉にしないまま、相澤は首をかいた。

「おまえがあのニュースを他人事に思えないのはわからんでもないが、中途半端な言葉をかけたところで、そりゃ所詮おまえの自己満足だ。安っぽい気休めはかえって相手に気を遣わせるだけだぞ」
「……うん」

 その通りだ。そもそも守璃は、インゲニウムが兄だということを直接飯田から聞いたわけでもない。飯田が自ら何かを言い出すまで、守璃にかけられる言葉などないに等しい。
「着替えてくる」と自室へ向かう相澤が、すれ違い様にぽんと守璃の頭を撫でて行った。
180915
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