スタートライン



 少々時間をおいて、表彰式。
 1位の爆豪は目を覚ましてからずっと暴れているらしく、厳重に拘束されて表彰台に立つことになった。なんとも締まらない1位である。身柄を確保された敵と見紛う形相を守璃は引き気味に眺めた。

「3位には常闇くんともう一人飯田くんがいるんだけど、ちょっとお家の事情で早退になっちゃったのでご了承くださいな」
「飯田ちゃんハリキってたのに残念ね」

 守璃は蛙吹の言葉に静かに頷いた。詳しい事情は知らなかったが、途中でスタジアムを出ていく飯田の後ろ姿だけは見ていたので、そのただならぬ空気をまとった後ろ姿が気がかりだった。いつも飯田と一緒にいる緑谷や麗日なら何か知っているだろうか。

「メダル授与よ!!」

 ミッドナイトの言葉に意識を目の前に戻した。今年のメダル授与はオールマイトがしてくれるらしい。
 お馴染みの名乗りをあげて(ミッドナイトの言葉とカブってしまったけれど)現れたオールマイトが、一人一人に声をかけながらメダルをかけていく。しかもハグ付きだ。──ちょっと羨ましい。
 こんな一番には価値がない、世間が認めても自分が認めなければゴミなのだとメダルを受け取りたがらなかった爆豪の口に無理矢理メダルを引っかけて、オールマイトは言った。

「この場の誰にもここに立つ可能性はあった!! ご覧いただいた通りだ! 競い! 高め合い! さらに先へと登っていくその姿!! 次代のヒーローは確実にその芽を伸ばしている!! てな感じで最後に一言! 皆さんご唱和下さい! せーの」
「プル──」
「おつかれさまでした!!」

 まさかの展開である。口の中で迷子になってしまった校訓を飲み込めば、予想外の一言にあちこちからブーイングがあがっていた。
 すっかりたじたじのオールマイトが「疲れたろうなと思って……」と言うので、守璃は声は出さずに小さく笑った。我らがオールマイトはちょっとお茶目だと思っていたが、案外うっかり屋さんでもあるらしい。
 そんなところも含めて、愛すべきNo.1ヒーローだ。

□□□

 明日明後日は休校で、プロからの指名等はその間にまとめられ、休み明けに発表されるらしい。
 今年はずば抜けて目立つ生徒が二人もいるから、きっと二人に指名が殺到するだろう。トーナメントに進めなかった守璃への指名は絶望的に違いない。

 夕食の支度をしながら、守璃は二日間の休日にするべきことを考えていた。まずは録画していた体育祭の中継を見て、客観的に自分の反省点を見つけていくところからだ。もちろん体育祭のVTRは後から学校でも確認できることになっているが、こういうことはなるべく早くやる方が良い。

「ただいま」
「あ、おかえりなさい」

 帰宅した相澤がドアを開けてのそのそ入って来た。両腕とも吊っているのに器用なものである。
 
「ご飯もうすぐできるけど先に着替える? 手伝う?」
「いや、大丈夫だ。……今日はカレーか」
「そ、カレーです。今は箸に自信なくて」
「あぁ……騎馬戦の後半腕にきてたもんな」
「バレてた……」
「見てりゃわかる。ま、今日はおつかれさん」
「ん。兄さんもおつかれさまでした。実況やるなんて意外だったよ」
「マイクに無理矢理連れてかれたんだよ」
「だと思った」

 真っ直ぐ部屋に向かった相澤を見送って、鍋の中のカレーに視線を戻す。もう良い頃合いだろう。捕縛布だけ置いてきたらしい相澤が戻ってきてから火を止めた。
 そうしてサラダを盛りつけカレーとスープをよそい、テーブルに並べたところで、守璃はあっと声をあげた。

「また包帯取ってる…!」
「あのままじゃ食えねえだろ」
「そりゃそうだけど、まだリカバリーガールの許可出てないんでしょ?」
「そろそろ出る」
「や、そろそろじゃ駄目だからね? それで治りが遅くなったら──」
「もう大丈夫だっつってんだよ。ばあさん以上に大袈裟だな、お前は」

 左手が宥めるように守璃の頭にのせられる。昔からそうだ。守璃を宥めるとき、落ち着かせるときには、相澤は守璃の頭を撫でる。そして悔しいことに、いまだに守璃はどうしてもその手に反抗できない。もう小さな子どもではないつもりなのに、いつも丸め込まれてしまう。
 結局今日もまた守璃は文句を言えなくなって、情けなく唸った後に「食べよっか」とだけ言った。
 いただきますと手を合わせて、左手にスプーンを持つ相澤を見る。少しでも無理をしている素振りがあれば、すぐに止めなければならない。
 ところがちっともそんな様子はなく、口元の包帯を少しずらして、包帯を汚しもせず器用に食べている。ひょっとしたらむしろ守璃の腕の方が重症なのかもしれなかった。昼ほどではないが、まだ少しピリピリする。

「はぁ、明日は筋肉痛かな……」

 思わずぼやくと、相澤が食事の手を止めた。

「もっと落ち込んでるもんかと思ったんだが」
「しっかり落ち込んでるよ。けど、ただ落ち込んでても時間がもったいないでしょ。時間は有限、さっさと切り替えて、映像確認して、課題明確にして、一つ一つ潰す。あと早急にキャパ上げる!」
「気合い入ってんな」
「入るよ! みんなに置いていかれるわけにいかないし」
「そうか。張り切るのはいいが、空回んねえようにしろよ」
「うっ……うん、それは気をつける。頑張る」
「ああ、頑張れ。見てるから」

 ぞんざいなようでいてそうではない口振りに守璃は唸った。ことごとく敵わない。守璃の扱いを相澤は心得すぎているとつくづく思う。

□□□

 風呂を済ませてリビングに戻ると、相澤が誰かと電話をしていた。仕事の話だろうか。
 邪魔をしないように自分の部屋に引っ込もうとした守璃を、顔をしかめた相澤が手招きする。

「なに?」
「──守璃に代わる。……ほら」
「えっ、待っ──も、もしもし?」
「守璃! 頭大丈夫!?」

 母の声だった。しかし、なんだかショックな発言があったような気がする。
 目が合った相澤は溜め息をついていた。

「えっと、母さん? いきなり悪口ってどういう──」
「そうじゃなくてほら、騎馬戦! ええと、あの──1位になった子に、頭狙われてたでしょ!」
「ああ、そういう意味ね…。怪我してないよ、大丈夫」
「本当? それなら良かったけど、ほんとヒヤヒヤしたんだから……もう帰ってるだろうと思って電話しても出ないし……」
「それはごめん」

 ちょっとやそっとじゃ動じなくなったって言ってたのに。
 そう思ったが、口にはしなかった。なにしろ相澤がこの大怪我をしてからまだ一ヶ月も経っていない。母が過敏になる気持ちもわかる。自分の身を案じてくれたことは素直に嬉しいし、同時に、過剰に心配をかけてしまったことが申し訳なかった。

「私、“個性”が“個性”だからそう簡単には怪我しないって。大丈夫だよ」
「あのね。そうやって、自分は大丈夫って思ってるのが一番危ないんだからね?」
「う……それはそうだけど」
「だから常に気をつけること」
「……はーい」
「返事は伸ばさないの。……とにかく今日は怪我がなくて良かった。ごめんね、疲れてるだろうに」
「ううん、大丈夫だよ」
「大丈夫って、さっきから守璃はそればっかり」
「あはは……」
「まったく。今日はちゃんと休みなさいね。最後に少し消太に代わってくれる?」
「あ、うん。ちょっと待って」

 相澤はソファに座ってニュースを見ていた。守璃が声をかけると、「終わったか?」と振り返る。そういえばこれは相澤のスマホだった。

「や、母さんが兄さんと話したいって」
「あ? まだ何かあるのか……」

 包帯に覆われていても、その下にある表情はわかるような気がした。
 いかにも渋々といった様子で相澤はスマホを受け取る。そうしてすぐに電話に出るかと思いきや、耳に当てる前に守璃を見て言った。

「髪まだ濡れてんぞ」

 ちゃんと乾かしてこいということだろうか。自分はいつも適当にしているくせに。なんだか可笑しくなって、守璃はくすくす笑った。

 今夜は休んで、明日から、また頑張ろう。

180805
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