情けないな



 本当は教室に戻るべきだったのだろうが、守璃はそうせずに、そのまま職員室へと向かった。
 あんなことがあった直後だから、先生方も皆忙しいかもしれない。ちらりとそう思いはしたものの、職員室に向けた足が行先を変えることはなかった。
 大きなドアをノックする。

「失礼します」
「おや、君は……相澤さんの」

 職員室は思った通りいつもより慌ただしい様子で、ドアを開けた守璃に最初に気がついたのはセメントスだった。少し遅れて、プレゼント・マイクが振り返る。「守璃ちゃん!?」
 プレゼント・マイクはすぐに入口のところまで駆け寄ってきて、守璃の顔を上から覗きこんだ。

「もう歩き回って大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。私は怪我をしたわけでもないので……」
「そっか。大丈夫なら良いけど、無理はすんなよ」

 サングラス越しの気遣わしげな目が一瞬守璃の目元に止まった。そこはおそらく赤くなっているのだろう。守璃は思わず目を伏せたが、プレゼント・マイクはそれには触れず、いつもよりも静かなトーンで話題を変えた。

「事情聴取はもう終わったか?」
「……いえ、あの……まだです。それよりも、私、早く兄のいる病院を教えてほしくて」
「……ちょっと待っててな」

 そう言うと、プレゼント・マイクは職員室の奥の方へ引っ込んでいった。待っているように言われた手前ついていくことも出来ず、その場に突っ立ったまま落ち着かない気持ちで待っていれば、やがてプレゼント・マイクは一枚のメモを持って戻ってきた。手渡されたそれには、病院の名前と面会時間、その下に箇条書きで“必要な物リスト”が走り書きされている。一覧にさっと目を通した守璃は、弾かれるように顔を上げた。

「ありがとうございます……!」
「良いってことよ! けどな、イレイザーはまだ意識が戻ってないらしい。今日中の面会は難しいと思うぜ」

 ぐっと喉の奥が詰まる感覚がした。
 あれだけの負傷だ。すぐに意識を取り戻すとは端から思っていないが、実際に言葉にされると、ざわざわと胸が騒ぐ。命に別状はないと既に聞かされているのにも拘わらずだ。
 プレゼント・マイクは守璃の表情を伺いながら、「まァ、それを抜きにしても」と指をたてた。

「事情聴取、これからなんだろ? そのあとで病院まで行くとなると当然帰りが遅くなっちまうわけだが、どう考えてもそりゃナンセンスだ! 今日はもう、真っ直ぐ帰って休んだほうが良いんじゃねーかな」
「でも……顔を見るだけでも」

 思わず食い下がった守璃に対して、プレゼント・マイクは彼に似つかわしくない静かさで首を横に振る。プレゼント・マイクは守璃の知る限りいつだって賑やかな人だったから、その“らしくなさ”に守璃は少し戸惑った。

「心配する気持ちはわかる。わかるけどな? あんな事件の直後に寄り道して帰ろうとしてる真っ青な顔の生徒がいるなら、教師としては止めざるを得ねーし、ひざしお兄ちゃんとしても心配なワケよ」

 茶化すように、それでいて、宥めるようにプレゼント・マイクは言う。

「しかも、病院まで行っても面会許可が下りないならそのまま帰るしかねえ。そういうのアイツ嫌いだろ、不合理の極みーっつって」
「……だと思います」
「だろ? だから見舞いは明日な。明日は休校だし、いい加減イレイザーも起きてるだろうし。つーことで、今日は早く帰って休む! 合理的にいこうぜ、ってな!」

 ぽんぽんと頭を撫でた大きな手に、また泣きそうになった。

□□□

 事情聴取を坦々と済ませ、日が沈みかける中を守璃は一人でまっすぐ帰宅した。
 今朝と何一つ変わりないはずの部屋がやけに寒々しく思える。
 鞄の中でスマホが震えた。養母からの着信であることを確かめると、守璃は一瞬躊躇った後通話をタップした。

「──もしもし、」
「守璃! 何度も電話したのよ、学校から連絡があって……大丈夫なの?」
「うん、まだ意志が戻ってないみたいだけど命に別状は──」
「そうじゃなくて! 消太のことは学校と病院からもう聞いてる、今聞きたいのは守璃のこと! 倒れたんでしょ? 一人で帰ったって聞いたけど、体は平気なの? ちゃんと帰れた?」

 養母が矢継ぎ早に質問を重ねる。声色から電話越しにでも表情がわかるようだった。
 守璃はつとめて明るい声で答えた。

「私は大丈夫だよ。怪我したわけでもないし……大袈裟だなあ」
「何言ってるの、心配するに決まってるでしょう! 学校が敵に襲われて、消太は重傷、守璃も倒れたって……。母さん、消太がプロデビューしてからちょっとやそっとじゃ動じにくくなったけど、今回はさすがに血の気が引いたわ」
「……兄さんが大怪我するの久しぶりだもんね」
「そうね。……でも、消太なら大丈夫よ。ああ見えて丈夫な子だから。ね。守璃に怪我がなくて良かった」
「……うん」
「……ねえ、本当に大丈夫? 母さん、明日そっちに行こうか」
「仕事あるでしょ? 大丈夫だから。明日お見舞い行くから、その後また連絡するね」

 少し強引に通話を終了し、スマホをソファの上に投げ出した。こんなに情けない声のままでは、かえって養母に心配をかけてしまう。
 ──命に別状はない。だから、大丈夫。
 何度も何度もそう繰り返す。それでもきっと、実際に顔を見て、呼吸を確かめるまでは、この不安を取り払うことは出来ないのだろう。どんなに自分に言い聞かせてみても、瞼を閉じれば暗闇には相澤のひしゃげた腕と血だらけの顔が浮かぶ。
 そして、あの瞬間の自分の無力さを思い出し、今の自分の情けなさを思い知るのだ。
 
□□□

 ほとんど眠ることが出来ないまま、長い夜が明けた。
 昨日の敵襲撃事件を受け、今日は臨時休校となっている。
 逸る気持ちを抑えて面会時間ぴったりに病院に到着し、面会の手続きを済ませて病室を訪れれば、相澤はベッドの上で起き上がっていた。顔も腕も包帯に覆われ、最早どこが眼なのかもわからない。
 ベッドサイドに佇んでいたリカバリーガールが顔をあげて「来たね」と笑うと、昔絵本か何かで見たミイラ男さながらの相澤も、顔を入口で立ち尽くす守璃の方へ向けた。

「ああ、守璃か。早いな」
「は、はやいって……」
「突っ立ってないでさっさと入れ」

 声色も口調も、普段と比べて何一つ──あまりにも何一つ変わらないものだから、胸の奥から何か込み上げてくる。目頭が熱くなって、鼻の奥がつんとした。
 何から言えば良いのか解らない。足早にベッドへ近寄って口を開いてみても、すぐには上手く言葉が出てこない。代わりのように涙が一滴零れ落ちた。

「も……起き上がって大丈夫なの」
「ああ、リカバリーガールに骨がくっつくところまで治癒してもらった」
「眼は? ちゃんと、見えてるの? 後遺症が残るかもって」
「後遺症についてはまだはっきりとはわからんが、視力には問題ないしちゃんと見えてる……安心しろ。あとは退院するだけだ」
「そ、そっか退い……退院? それはちょっと気が早いんじゃ」
「早くねえよ。今日退院する」
「今日……えっ今日? 待って、今日っていつ」
「今日は今日だろうが」

 何言ってんだ、と怪訝な声が返ってくる。むしろそれはこっちの台詞ではなかろうか。涙も一瞬で引っ込んでしまい、守璃は困惑しながらリカバリーガールを見たが、彼女はやれやれと肩を竦めるばかりだ。
 いよいよ守璃は素っ頓狂な声を上げた。

「えっ? いや、だって……え、今日って今日だよ!? 本気で退院するの!?」
「動けるんだからそりゃ退院するだろ。明日も授業がある」
「いやいや待って、考え直そう。だって昨日の今日だよ? もう少し休もうよ、休んでよ」
「もっと言ってやりな。治癒したって言っても、粉々に砕けてた骨がなんとかくっついただけで万全じゃあないんだ。あと二、三日は休んだって良いと思うんだけどねえ。診てくれた先生もそう言ってたろう?」
「大袈裟なんですよ、リカバリーガール。時間は有限です」
「そりゃそうだろうけどね、大袈裟ってことはないだろう。この子がどれだけ心配したと思ってるんだい。ほかの生徒たちだって……」

 だからこそです。
 ややおいて決まり悪そうに小さくそう答えた相澤の声は、現れた男の陽気な声に掻き消された。「よーうイレイザー! 起きてるかー!」
 いつもは高々とセットされた金髪を頭の後ろで一つにまとめた、私服姿のプレゼント・マイクである。病室に入ってきたプレゼント・マイクは、相澤を見るなりゲラゲラ笑い始めた。

「おま、ミイラじゃねーか!」
「うるせえな。ここ病院だぞ」
「元気そうだな!」
「お前には負ける……」

 相澤がうんざりしたように呟く。
 プレゼント・マイクはまた笑い、通りがかった看護師に注意を受けて慌てて声をひそめた。

「おまえどうせ今日退院するんだろ?」
「ああ」
「そうだと思ったから、送ってやろうと思って今日は車で来た」
「へえ、気が利くな」
「着替えは守璃ちゃんが持って来てるよな?」
「……ハイ、そうですね……メモに書いてあったから持ってきましたけど……」
「よーし! グッジョブ!」
「釈然としない……」

 憮然とした面持ちになる守璃に構わず、プレゼント・マイクは笑った。左手で守璃の手元から着替えの入った紙袋を取り上げ、右手で守璃の頭に触れる。ぽんぽんと撫でるその手は、昨日よりも軽快に感じられた。
180518
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