敵連合



 相澤は多対一でも敵を圧倒しているように見えた。守璃はほかのクラスメイトと同じように13号の後を追いかける。早く避難をするべきだと頭では解っていても、後ろ髪を引かれる思いだった。
 ゲートを目前にしたとき、目の前に黒いモヤが立ちはだかった。

「初めまして、我々は敵連合。僭越ながら…この度ヒーローの巣窟雄英高校に入らせて頂いたのは、平和の象徴オールマイトに息絶えて頂きたいと思ってのことでして」

 耳を疑った。そんなことを考える奴が、否、考えた上に本当に実行しようとする奴がいるのか。あの圧倒的なヒーローを殺そうだなんて、無茶苦茶だ。馬鹿げている。
 モヤを纏った敵──声の低さからしておそらく男だ──は慇懃な口調で続けた。

「本来ならばここにオールマイトがいらっしゃるハズ……ですが、何か変更があったのでしょうか? まぁ……それとは関係なく……私の役目はこれ」

 モヤが広がろうとしたその時、13号とモヤの男の間に切島と爆豪が飛び出した。

「その前に俺たちにやられることは考えてなかったか!?」
「危ない危ない……そう…生徒といえど優秀な金の卵」
「ダメだ、どきなさい二人とも!」

 今度こそモヤが大きく大きく広がって、一同を覆った。
 ──飲み込まれる。
 守璃は咄嗟に前方と頭上、そしてモヤの迫る左側を障壁で覆った。このモヤに通用するものなのかはわからなかったが、そんな事を考える暇も迷っている余裕もない。飯田と障子もそれぞれ近くのクラスメイトを守ろうと動き、守璃は彼らの頭上へ──さらに遠くまで障壁を拡げようとした。
 しかし、守璃が障壁を拡げるよりも、モヤが一同を包み込む方が早かった。

「皆!!」

 視界を遮っていたモヤが晴れたとき、そこに残っていたのは守璃の他には飯田、麗日、砂藤、障子、瀬呂に芦戸のたった七人の生徒と13号だけだった。
 障子の“個性”で全員がまだこの施設内にいることはわかったが、状況はどんどん悪い方向へ向かっている。
 残っている生徒は決して攻撃手段の多い“個性”とはいえない。そうでなくとも、爆豪と切島の攻撃が効いていなかったことから、このモヤ男には物理攻撃がほぼ無効とみていい。ほかの方法でどうにか攻撃を試みたとしても、モヤに呑まれてワープさせられてしまう可能性が高い。
 ──戦闘が長引く程、後ろで一人戦っている相澤も追い込まれる。
 思わず振り返った広場では、まだ相澤が優勢だった。大丈夫。もう一度自分に言い聞かせる。大丈夫。卵の自分なんかに心配されるなんて、きっとイレイザーヘッドも心外なはず。
 守璃が今考えるべきは、自分達の身を守ることだ──

「……委員長!」
「は!!」

 13号の切羽詰まった呼び掛けに、飯田は即座に返事をした。

「君に託します。学校まで駆けてこの事を伝えて下さい」

 警報が鳴らず、電話も圏外。イレイザーヘッドが“個性”を消し回っているにも拘わらず警報器が無作動のままなのは、それらを妨害可能な“個性”の敵はどこかに隠れているということ。見つけ出すよりも、飯田の“個性”で駆けた方が早い、と13号は言った。

「しかしクラスを置いていくなど委員長の風上にも…」
「でも飯田くんしか出来ないんだ、今はそれが一番合理的なんだよ!」
「そうだよ、行けって非常口!! 外に出れば警報がある! だからこいつらはこん中だけで事を起こしてんだろ!?」
「外にさえ出られりゃ追っちゃこれねえよ! おまえの脚でモヤを振り切れ!」

 口々にそう言って飯田の背中を押す。今は皆飯田に賭けるしかなかった。

「救う為に“個性”を使ってください!」
「食堂の時みたく…サポートなら私超出来るから! する!! から!!」
「お願いね委員長!!」

 モヤが静かに、しかし嘲笑うように言った。

「手段がないとはいえ、敵前で策を語る阿呆がいますか」
「バレても問題ないから語ったんでしょうが!」

 13号が指先をモヤ男に向ける。“ブラックホール”がモヤを吸い込む──はずだった。

「戦闘経験は一般ヒーローに比べ半歩劣る」

 一瞬、何が起こったのかわからなかった。モヤで出来た真っ黒なワープゲートが13号の背後にぽっかりと空いて、彼の背中がチリとなって吸い込まれていく。それはまるで本物のブラックホールのようで、ひどく恐ろしい光景だった。

「自分で自分をチリにしてしまった」

 守璃の意図しない障壁が、ワープゲートを塞ぐように現れた。それがチリになっていくのと同時に、13号が膝から崩れ落ちる。その周囲を中心に守璃のてこひらから離れたところで再び障壁が幾つも現れたのを認め、守璃はよく回らない頭で理解した。これは、守璃を何年も悩ませた悪癖──“個性”の暴走だ。知らず、呼吸が浅くなる。
 透明なその壁に、モヤはまだ気がついていないようだった。おそらくクラスメイトもまだ気がついていない。守璃は必死に呼吸を整えようとした。きちんと制御しなければいけない。平常時でさえ、てのひらから離れている障壁のコントロールはまだまだ不安定で上手くいかないことが多いが、そんな甘えたことを言っている場合ではなかった。せめて、皆を守れるように拡げなければ。

「くそう!!」

 飯田が走り出した。敵はすかさず妨害しようとしたが、思うように動けなかったようだった。「なんだ……?」
 どうやらあの得体の知れない敵も、障壁をすり抜けることは出来ないらしい。守璃は“個性”を扱うことに全神経を注いだ。敵に気取られないようにする為にも、今はこのまま手を使わずに“個性”を使いたい。しかし、普段は手を使ってイメージを固めることでコントロールを保っているから、そうそう上手くいくはずがない。まして、精神的な安定まで欠いている今は。
 何度か障壁に行く手を阻まれたモヤ男は、それでもなお飯田を行かせまいとしてモヤを拡げる。障子が身代わりにならんと飛び出した。
 無意識に守璃の手も動いた。けれど、それによってコントロール出来たのは場所だけだ。守璃の狙い通り障子のそばに、意図したよりも遥かに小さく頼りない障壁が現れる。それは守璃にとってなんの意味も為さないものだったが、その一連を見逃さなかった敵にとっては、大きな一手だった。

「なるほど、そこか!」

 黒いモヤが目と鼻の先に現れて、ハッとしたときにはもう遅い。
 投げ出された場所は水難エリアの水の上。落ちる直前、水面に障壁が現れて水中に沈むことは免れたものの、打ちつけた痛みが体を走った。

「護藤さんっ!?」
「っ、緑谷くん…?」

 知っている声がすぐそばから聞こえてわずかに安堵したのも束の間、体を起こした守璃は、視界に飛び込んできた光景に声を失った。鈍器で殴られるより重い、心臓が止まるような衝撃。息がつまって、体が震える。血の気が引いて全ての音が遠ざかり、頭が真っ白になった。
 臥せた体、ひしゃげた腕、飛び散った鮮血。人間離れした巨体が相澤を地面に押しつけている。
 兄さん。動かした震える唇から音が漏れることはなく、ひゅ、と喉が鳴った。
180510
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