セキュリティ3



 オールマイトが雄英高校の教師に就任したというニュースは世間を驚かせ、連日学校にマスコミが押し寄せるほどの騒ぎになっていた。今朝も早くからマスコミが待機していたようで、通り過ぎようとする生徒に詰めかけてはオールマイトの授業について聞いて回っている。
 その様子を見た途端、守璃は憂鬱な気分になった。昨日は他の生徒たちの背に隠れてすり抜けたものの、あいにく今は生徒の姿がまばらである。なんともタイミングが悪い。意を決してマスコミの中に突っ込んでいくと、案の定目の前にいくつものマイクが差し出された。進行方向にもマスコミがいて、前に進めない。

「すみません、通してください」
「その前にぜひ一言ください! オールマイトの授業はどんな感じです?」
「教師としてのオールマイトの印象は?」
「えーっと……」
「俺たちヒーロー科じゃないのでわかりません」

 知らない声が背後からそう答えた。「通っても良いですか」
 後ろからやんわりと肩を押されて、そのままマスコミの波を抜け、あっという間に門の向こうへ。すっと手が離れていってようやく、守璃は声の主の顔を見上げることができた。紫色の髪に濃い隈の男子生徒。知らない人だ。それなのに、なぜだか知っているような、妙な既視感を覚える。どこかで会ったことがあっただろうか。
 男子生徒は感情の読めない表情で守璃を見下ろしていた。じっと顔を見られているような気がする。守璃は気まずくなって、慌てて口を開いた。

「あの、ありがとう……ございます、助かりました」

「……別に」男子生徒の返事はとてもそっけなかった。「いくらヒーロー科だからって、一々取り合わなくてもいいんじゃない」

 雄英の制服は科によって肩の飾りボタンの数が違う。どうやら彼はその数を見て、守璃がヒーロー科であることに気づいていたようだった。気づいた上で、小さな嘘をついてあの場から連れだしてくれたらしい。
 そんな彼の制服には肩飾りが左右二つずつついていた。つまり、普通科の生徒である。

「ですね。次はもうちょっと上手くあしらいます」
「うん。……あのさ」

 彼は守璃の顔を見たまま、何かを言いかける。それがなんだか真剣な顔に見えたので、守璃は黙って続く言葉を待った。
 一秒、二秒、沈黙が訪れる。彼は言葉を探すようにしていたが、おもむろに目を伏せた。「……いや、やっぱりいい。……それじゃ」

 それだけ言うと、さっさと行ってしまった。その後ろ姿にも既視感があるような気がしたけれど、どれだけ考えてみてもやっぱり思い当たる節がない。いったい何を言いかけたのかもわからないままで、守璃はひどくモヤモヤした気持ちで靴を履き替えた。あのさ。遠慮がちに呟かれたあの言葉のあとに、彼は何を言いたかったのだろう。気になるものの、このマンモス校で名前も学年もわからない彼とまた会うことがあるかどうかわからない。……これは迷宮入りになりそうだ。守璃はひとまず割り切ることにした。
 それよりも今は、職員室に行かなければならなかった。先に出た兄が弁当を持って行かなかったからだ。
 もちろん昼食は食堂で食べることもできるわけだから、弁当を忘れたくらい大したことではない。けれど、せっかく作ったものが無駄になるのは忍びないし、そもそも相澤が大混雑の食堂に行きたがらないことを見越して作っている弁当である。人でごった返す食堂で空席を探して時間を無駄にするくらいなら例のゼリーで昼食を済ます、なんて可能性が捨てきれないのだ。養母から兄の食生活について任された手前、それだけはやめてほしい。
 それでも万が一要らないと言われてしまったらその時はしかたがない、自分で食べようなどと思いながら、職員室のドアをノックした。

「失礼します、1-A護藤です。相澤先生いますか」

 ドアを開けるとプロヒーローであふれ返っているというのはなかなかの壮観である。
 守璃の声に答えたのは、プレゼント・マイクだった。

「おっ、どうした? イレイザーなら今席外してるぜ」
「そうなんですか……。じゃあこれ、にい……相澤先生に渡してもらってもいいですか?」
「オーケーオーケー……エッ、もしかしてお弁当?」

 プレゼント・マイクが素っ頓狂な声を上げた。
 
「最近あいつちゃんと昼飯食ってるわ、しかも弁当持参だわで珍しいと思ったら守璃ちゃんの手作りだったのかよ! 羨ましいじゃねーか!」
「ちょっと声のボリューム下げてください!?」

 守璃は慌てて周りを見回した。いくら職員室とはいえ、勤勉な生徒が教師を訪ねて来ていないとも限らない。おかしな噂がたてば、相澤に迷惑がかかる。
 ざっと見た限りでは生徒の姿はないようで、思わずほっと息を吐くと、ミッドナイトと目が合った。今日も過激なコスチュームに身を包んだ彼女は、興味深そうに守璃を見て愉しげな微笑みを浮かべている。

「噂の妹ちゃんね?」
「う、噂とは……?」
「うふふ、ヒミツ。それにしても手作りのお弁当だなんて仲良いのねー」
「んー、どうですかね。兄さんは鬱陶しく思ってるかもしれませんけど」
「それはない! 俺が断言するぜ!!」
「マイクさんは声のボリューム下げてください……」

□□□

 HR、はじめに昨日の戦闘訓練について触れてから、相澤は告げた。「学級委員長を決めてもらう」
 たちまち立候補が殺到したため、飯田の提案により投票で決めることになった。もっともその飯田も学級委員長を希望し、誰よりも高々と挙手をしていたのだが。
 投票用の紙が一人一枚ずつ配られると、クラスメイトのほとんどは、紙が配られるなり悩むことなく記入しているようだった。おそらく自分自身に投票するのだろう。ペンが紙の上を走る音がする中、守璃はペンを片手に暫し思案する。自分自身に投票するつもりは少しもなかった。
 開票結果は緑谷が最多の三票、次いで八百万に二票。どうやら守璃以外にも、他人に投票した者がいたらしい。守璃は飯田に票を入れたのだが、その飯田には一票しか入っていなかったから、少なくとも飯田が別の誰かに投票したことは明らかだった。その証拠に、飯田は自分の一票に随分と感動している。あまりにも嬉しそうにしてるので、守璃はこっそり笑ってしまった。
 不満げな声もいくつか上がったものの、投票で決めることにした以上、開票結果がすべてである。一番票の多かった緑谷が学級委員長、次点の八百万が副委員長を務めることになった。

□□□

「今日も混んでるね」
 
 葉隠と耳郎と連れだってやって来た食堂は、たくさんの人でごった返していた。この食堂が安くて美味しいのはもちろんだが、作っているのが有名なプロヒーローということもあって、ミーハー心から弁当を持参しない者もいるらしいと聞く。兄の弁当を作っている守璃があえて自分の分は用意していないのも、結局のところそれと似たような理由だった。入学間もない新入生としては、やはり食堂への好奇心を捨てきれない。──とはいえ、あまり合理的ではないことも自覚しているため、守璃が毎日食堂を利用することはなさそうである。
 やっと見つけた空席に腰を下ろし、守璃は自分のコロッケ定食に箸をつけた。

「席空いててよかったねー!」
「ね。座れなかったらどうしようかと思った」

 何気なく見回してみれば、改めて凄い混みようだな、と思う。全科の生徒に加え教職員も利用するのだから無理もないが、ヒーロー科は定員が少なくクラスメイトも二十人しかいないため、雄英全体ではこれほど人がいるという当たり前のことになんだか驚いてしまう。入学式にも出ていないからなおさらだ。
 ふと、今朝の男子生徒のことを思い出した。
 もしかしたらあの人も今ここにいるんじゃないだろうか。そんな気がして、会話に相槌を打ちながらついつい人混みの中にあの紫色を探してしまう。あれは違う、これも違う。そんなことをしていたからだろう、自分の名前をまた聞き逃してしまった。

「……護藤、聞いてる?」
「……うん!? 私? 聞いてたよ!」

 名前を呼ばれたことに一拍遅れで気づき、慌てて返事をする。「学級委員の話だよね!」
 向かい側に座っている耳郎は頷きながらもどこか呆れ顔だ。笑ってもいるので怒っているわけではなさそうだが、守璃はなんとなく縮こまった。

「あんたいつもタイムラグあるよね」
「ごめん〜…慣れてなくてさ」

 苦笑いをすると、葉隠が笑ったのが気配でわかった。「授業でも、呼ばれたときたまにびっくりしてるよね!」

「うーん……なんかまだ自覚が足りてないみたいで」
「……あー、もしかしてなんかワケあり? マズイこと言った?」
「あ、いやいや! そういうのじゃないよ、単純に呼ばれ慣れてないだけ!」
「そう?」
「うん。……私も『守璃ちゃんと呼んで』って言おうかなぁ」
「梅雨ちゃんみたいに?」
「そう……って思ったけど、やっぱやめよ」
「撤回早いな」
「梅雨ちゃんが言うと可愛いけど、自分がそう言うの想像してみたらちょっと無理があるなって」
「えーそんなことはないでしょー」

 葉隠がけらけらと笑った時だった。突然けたたましい警報が鳴り響いた。

《セキュリティ3が突破されました。生徒の皆さんは速やかに避難してください》
「……って何!?」

 にわかに食堂が騒がしくなる。さっきまでも賑やかだったが、それとは明らかに色が違う。その騒ぎの中から、誰かが校舎内に侵入してきたんだ、という言葉が聞こえた。こんなことは三年間で初めてだ、とも。
 一斉に生徒が席を立ち、我先にと非常口に押しかけていく。押し合いへし合い、ひどい有様で、立ち上がった守璃たちも人の波に飲み込まれてしまった。あっという間に葉隠と耳郎を見失い、どうにか端のほうに移動したくても、四方八方から押されてなかなか思うように動けない。挙げ句、押された反動で誰かの背中に肩から突っ込んでしまい、守璃は慌てた。

「すみません…!」
「いや、こちらこそ……って護藤か! 大丈夫か!?」

 そこにいたのは偶然にも切島で、切島は「やっベーな、これ!」と言いながら体の向きを変え、守璃を引っ張ってくれようとする。気づけば切島の腕に肩を抱かれるようなかたちになって、なんとか人の少ない端の方に移動することが出来た。身動きが取れないのは相変わらずでも、多少は空間に余裕がある。

「ありがとう、助かった」
「おう」切島はニッと笑った。「にしても、これじゃ動けねーな。少しここでじっとしとくか……」

 切島とぴったりくっついたままなのは気恥ずかしかったが、この狭さでは仕方がない。守璃は落ち着かない気持ちで、ぎゅっと肩を縮こめた。
 とりあえず雄英は、近いうちに避難訓練をしたほうが良いと思う。
 
□□□

 結局、一体どんな手を使ったのか知らないが、昼休みの侵入者の正体はマスコミだったらしい。それを知った飯田が機転を利かせ非常口の上で誘導したことにより、食堂の大騒ぎもすぐに沈静化した。そしてその活躍を理由に、緑谷が午後のHRで飯田を学級委員長に指名。紆余曲折を経て、学級委員長は飯田に決まったのだった。
 なお余談ではあるが、午後のHR時の相澤は例の栄養補助ゼリーをくわえており、守璃はひそかに落ち込んだ。それが侵入者騒動のせいで昼休みに昼食を摂り損ねたからだということを守璃が知るのは、それからさらに数時間後、夜も遅い時間になってからのことである。弁当箱の中身は、綺麗に空になっていた。
180424
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