フェリシアはもうマートルと話す必要はないのではないかと思っていたが、ハリーは違ったらしい。ハリーは魔法史の教室まで引率していたロックハートをうまいこと丸め込み、先生の監視の目なしにマートルのトイレへ行くチャンスを作り出したのだ。
 しかし、その計略を称え合ったのも束の間だった。
「ポッター! ウィーズリー! トンクス! 何をしているのですか?」
 唇を真一文字に結んだマクゴナガル先生が、これ以上ないほど厳しい目つきで立っていた。
「これは、その──わけがあって」フェリシアは苦し紛れに言った。
「僕たち、あの──様子を見に──」ロンがモゴモゴと言い、「ハーマイオニーの」とハリーが続けた。
「先生、もう随分長いことハーマイオニーに会っていません」
 マクゴナガル先生はただハリーを見つめるばかりで、何も言わない。
「だから僕たち、こっそり医務室に忍び込んで、ハーマイオニーにマンドレイクがもうすぐ採れるから、だから、あの、心配しないようにって、そう言おうと思ったんです」
 ハリーが言い終わるまで、マクゴナガル先生はハリーから目を離さずに黙っていた。きゅっと吊り上がっていた厳しい目つきが、少しずつ和らいでいく。それどころか、そこにはきらりと光るものがあった。
「そうでしょうとも。襲われた人たちの友達が、一番辛い思いをしてきたことでしょう……」
 フェリシアは不意に、一年生のとき、マクゴナガル先生の部屋で母親の話を聞いたあの時間を思い出した。マクゴナガル先生が厳しいばかりの人ではない、温かく愛情深い人なのだと知ったときのことだ。
 マクゴナガル先生は、三人にハーマイオニーのお見舞いに行く許可をくれた。さらには魔法史の授業を欠席することも認め、ビンズ先生にも話を通しておいてくれるという。罰則を与えられなかったどころか、減点すらされなかったことに驚きながら、三人はその場を後にした。
 背後から、マクゴナガル先生が鼻をかんだ音が聞こえる。
 フェリシアは、後ろめたさが胸に重くのしかかるのを感じた。
 ハーマイオニーが襲われたことがショックだったのは本当なのだけれど、お見舞いに行くためにロックハートを出し抜いたわけではない──こういう嘘は、マクゴナガル先生にもハーマイオニーにも悪い。
 いやにちくちくする胸を押さえながら、フェリシアは二人と一緒に医務室へ向かった。マクゴナガル先生にああ言われては、お見舞いに行かないわけにもいかないので、誰も異を唱えなかった。
 医務室に着いて「マクゴナガル先生から許可を貰ってお見舞いにきた」と話すと、マダム・ポンフリーは渋々三人を中に入れてくれた。
「石になった人に話しかけても何にもならないでしょう」と言われながら、ハーマイオニーが横たわるベッドのそばの椅子に座る。
 こうしてみると、なるほど確かに、マダム・ポンフリーの言葉を否定しようがない。眠っている人に話しかけるのならまだしも、すっかり石になっていては、どれだけ大声で語りかけたってハーマイオニーにはなんの音も届かないだろう。
「でも、ハーマイオニーが自分を襲ったやつを本当に見たと思うかい?」
 ロンの悲しげなこの声も、今のハーマイオニーには聞こえやしないんだろう──そんなことを考えて、一人悲しくなって、フェリシアは曖昧に首を振った。
「もし見てなくても、何かに気づいたかも」
「だけど、そいつがこっそり忍び寄って襲ったのだったら……」
 よく再現された彫刻のようなハーマイオニーの髪にそっと触れていると、
「二人とも、見て」
 突然、ハリーが言った。どういうわけか、声をひそめている。
「右手の中に何かあるみたいなんだ」
 身を屈めてハリーが示した手の中を覗き込めば、くしゃくしゃの紙切れのようなものが見えた。
「なんとか取り出してみて」
 マダム・ポンフリーに見つからないよう、ロンが椅子を動かす。
 ハーマイオニーの右手は、固く握られている。さらに石になっているわけだから、ぴくりとも動かない。そのわずかな隙間から紙切れを取り出すのは至難の業だった。少しでも力加減を誤ろうものなら、中途半端なところで破れてしまう。ロンの陰に隠れながら、ハリーとフェリシアは代わる代わる紙切れを引っ張ったり捻ったりを繰り返した。
 数分後、ようやく取り出した紙切れは、どうやら本のページの切れ端のようだった。色褪せた、とても古い本だ。ハリーがもどかしそうな手つきでしわを伸ばそうとする。フェリシアも気が急いて、まだしわくちゃのうちに文字に目を走らせる。
 それは、バジリスクの解説文だった。
 この世界で最も珍しく最も破壊的な怪物、何百年も生きながらえる巨大な毒蛇の王。毒牙のみならず、その一睨みで対象を死に至らしめる。クモが逃げ出すのはバジリスクが来る前触れ。バジリスクにとって致命的なものは、雄鶏が時をつくる声──。
 読んでいくうち、いつの間にか、鳥肌が立っていた。ハーマイオニーは、とっくに怪物の正体に辿り着いていたのだ。
 切れ端の下のほうには、ハーマイオニーの筆跡でたった一言の走り書きがあった。
 パイプ。
 はっとした瞬間、ハリーと目があった。
「ロン、これだ。これが答えだ──」
 ハリーが声をひそめて、しかし興奮したように口火を切る。
 秘密の部屋の怪物はバジリスク──巨大な毒蛇。ハリーが城のあちこちで聞いた不気味な声は、バジリスクの声。ハリーにしか聞こえなかったのは、ハリーがパーセルマウスだから。
「バジリスクは視線で人を殺す。でも誰も死んではいない。──それは、誰も直接目を見ていないからなんだ」
 コリンをカメラを、ジャスティンはほとんど首なしニックを通して見た。ニックは直接見たのかもしれないが、ニックはもう死んでいる。
 ハーマイオニーとレイブンクローの女子生徒が見つかったときには、そばに鏡が落ちていた。このページを持っていたハーマイオニーのことだから、きっと、どこか角を曲がるときは鏡を見るように、偶然出会った女子生徒に忠告したに違いない。そうして、二人は鏡越しにバジリスクの目を見たのだ。
「それじゃ、ミセス・ノリスは?」ロンが小声で聞いた。
 ハリーが考えこんだので、フェリシアが同じだけ小声で言った。
「たぶん、水が鏡のかわりになったんだと思う」
「水……それだ! 『嘆きのマートル』のトイレから水が溢れてた。ミセス・ノリスは水に映った姿を見ただけなんだ……」
 そうやって一つ一つすり合わせていくと、どれも辻褄があう。
 ハグリッドの雄鶏が殺されたのは、バジリスクの弱点になるから。クモが城の外へ逃げ出し、アラゴグが怪物の話をしたがらなかったのは、バジリスクがクモの天敵だから。
 バジリスクが人目に触れず城の中を動き回れた理由も、すでにハーマイオニーが答えを見つけてくれている。パイプだ。
「やつは配管を使ってたんだ。僕には壁の中からあの声が聞こえてた」
 その瞬間、ロンがハリーの腕を掴んだ。
「『秘密の部屋』への入り口だ! もしトイレの中にだったら? もし、あの──」
「──『嘆きのマートル』のトイレだったら!」
 にわかには信じがたい、しかし、偶然と考えるにはあまりにもできすぎた話に、心臓が早鐘を打っている。
「……ということは、この学校で蛇語を話せるのは、僕だけじゃないはずだ。『スリザリンの継承者』も話せる。そうやってバジリスクを操ってきたんだ」
「これからどうする? すぐにマクゴナガルのところへ行こうか?」
「でも、今はまだ授業をしている時間でしょ。授業中の教室に飛び込んだら、さすがに怒られるに決まってる」
「職員室へ行こう」
 ハリーが弾けるように立ち上がった。あと十分もすれば休憩時間になる。マクゴナガル先生も職員室へ戻ってくるはずだ。
 三人は医務室を後にし、まっすぐ職員室へ向かった。授業で出払っているためか、部屋の中には誰もいない。落ち着かない気持ちで、室内を行ったり来たりしながら待っていると、たった十分もやけに長く感じる。
 ところが、待てども待てども終業のベルは鳴らなかった。そのかわりに、魔法で拡大されたマクゴナガル先生の声が響きわたった。
「生徒は全員、それぞれの寮にすぐに戻りなさい。教師は全員、職員室に大至急お集まりください」

230310
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