次のクラスは闇の魔術に対する防衛術だった。スプラウト先生に引率されて次の教室へと向かう間、三人はわざとみんなから少し遅れて歩いた。話し声を誰にも聞かれたくなかったからだ。
「透明マントを使わなくちゃ」とハリーは言った。「ファングも連れて行こう。いつもハグリッドと森に入っていたから、何か役に立つかもしれない」
 ハリーはもうすっかり禁じられた森へ入るつもりになって話している。そのことに、少なからずフェリシアは驚いた。
 いくらハリーが勇敢でグリフィンドール生らしいグリフィンドール生でも、行き先があの「禁じられた森」なら、もう少し躊躇したっていいはずだ。現にロンとフェリシアはハリーと同じグリフィンドール生だけれど、禁じられた森に入らなければならないと思うと、少ししり込みしてしまう。
 ひょっとすると、ハリーは一年生のときに罰則で夜の森に入っているぶん、人よりも不安や恐怖心が薄れているのだろうか。
 フェリシアとロンは、そっと目を見合わせた。二人はまだ、一度も禁じられた森に入ったことがなかった。そのくせ二人とも、「禁じられた森には恐ろしい生き物が棲んでいる」という噂だけは、ホグワーツに入学する前からよく聞かされている。とりたてて怖がりな性格というわけではないフェリシアでも、禁じられた森はあまり近づきたくない場所だった。
 ハリーに向き直って「いいよ」と口にしたロンも、本当は気が進まないのだろう。ずっと落ち着きなく、杖をくるくる回している。
「えーと──あの森には狼男がいるんじゃなかったかな?」
 闇の魔術に対する防衛術の教室に入って、一番後ろの席に着きながら、ロンは言った。
「その噂、私もドーラに聞いたことある。……でも、実際に見たことがある人はいないそうよ」
「本当にいないなら、そんな噂も広まらないはずじゃないか?」
「そうとも言えるし、違うとも言えると思うわ。だって、『本当じゃないこと』がさも真実みたいに広まることもあるんだもの。この数か月、私たちがうんざりするほど見てきたようにね」
 ロンが苦虫を噛み潰したような顔をしたのを横目に、フェリシアはそう言って肩をすくめた。たしかにフェリシアも禁じられた森に入るのは不安だが、ほかにどうしようもないというのも事実なのだ。どうせ森に行くしかないのなら、むやみに不安がるよりも「所詮、噂は噂」と自分に言い聞かせておいたほうがいいだろう。たとえ気休めや強がりにすぎなくても、だ。
「森にはいい生き物もいるよ。ケンタウルスも大丈夫だし、一角獣も」とハリーが付け加える。
「それを聞いて安心した──」
 ちょうどそのとき、教室のドアが開いてロックハートが入ってきて、フェリシアは一瞬自分の目を疑った。ロックハートの様子が、うきうきといかにも陽気そうだったからだ。
 教室中が唖然として、ロックハートを見つめた。ほかの先生たちは誰も彼もこれまでになく深刻な表情をしていて、陽気さのかけらもなかったのに、目の前のロックハートには深刻さのかけらもない。
 ──能天気にもほどがある。フェリシアは苛立ちや困惑で目眩がするようだった。
「さあ、さあ!」ロックハートはにっこりと笑顔を振りまきながら、声を張った。
「なぜそんなに湿っぽい顔ばかり揃っているのですか?」
 今や全員が呆れかえっていた。顔を見合わせ、答えようともしない。フェリシアは呆れて声も出なかったが、ロックハートは物わかりの悪い子どもたちに言い聞かせるかのように続けた。
「みなさん、まだ気がつかないのですか? 危険は去ったのです! 犯人は連行されました」
「いったい誰がそう言ったんですか?」とディーンが大声で尋ねる。
「元気があってよろしい。魔法大臣は百パーセント有罪の確信なくして、ハグリッドを連行したりしませんよ」
 わかりきったことでしょうとでも続けそうな調子で、ロックハートは答えた。
「しますとも!」
 ディーンよりも大きな声を出したロンにも、ロックハートは自信たっぷりに応じた。
「自慢するつもりはありませんが、ハグリッドの逮捕については、私はウィーズリー君よりいささか、詳しいですよ」
 反論しかけたロンに、ハリーが机の下で蹴りを入れる。
 ハリーもロンも、あの場にはいなかった──表向きは、そういうことになっている。あの場のやり取りを知り得るはずがない。だから、自分のほうが詳しいというロックハートの言い分は、それこそ百パーセント「正しい」のだ。ここで口を滑らせれば、まずいことになる。
 しかし、頭ではそうとわかっていても、腹立たしいものは腹立たしい。三人とも──ロンを止めたハリーさえも──同じ気持ちだったろう。
 ロックハートの浮かれぶりときたら、ひとりだけクリスマスの朝を迎えているのかと思うほどで、ハグリッドのことは前々から良くないやつだと思っていただとか、これで万事解決だとか、聞けば聞くほどフェリシアの苛立ちは募った。体調が悪いと言って教室を出て行ってやろうかとも考えたが、今のホグワーツは先生の引率無しでは移動できない。医務室までロックハートがついて来るなんてことになったら、最悪だ。
 どうにかこうにか、「先生の目は節穴なのですね」と言ってやりたい衝動を堪えていると、ハリーが走り書きを見せてきた。そこに「今夜決行しよう」と書かれてあるのを読み取って、フェリシアは即座に頷いた。


 ここのところ、談話室は常に混み合っている。夕方六時以降に寮の外へ出ることを禁止され、クラブ活動もできないとあって、みんなほかに行き場がないのだ。話したいことならたくさんあるから、真夜中過ぎまで人がいることも多い。
 夕食後すぐに透明マントを取り出してきたハリーは、マントの上に座って、談話室からほかの人たちがいなくなるのを待った。双子がハリーとロンに爆発スナップの勝負を挑み、ジニーはハーマイオニーがいつも座っていた席に座り、沈みきってそれを眺めて、フェリシアはそんなジニーの隣で本を読んでいた。
 最近のジニーはずっと沈んでいて、フェリシアが声をかけても、たいてい、首を横に振るか縦に振るかしか反応がない。夏休みから少なかった口数は、それよりもさらに減ってしまった。顔色が悪いことが気になるが、今のホグワーツにそういう生徒は少なくないし、今はそっとしておいたほうがいいのかもしれないと、フェリシアから声をかけることも減った。
 結局、ジニーとフェリシアの間に会話らしい会話はないまま、兄妹が寝室に戻ったときには、とうに日付が変わっていた。
 フェリシアたちは、男子寮と女子寮それぞれに通じるドアが二つとも閉まる音を確かめてから、透明マントを取り出して一緒に羽織ると、肖像画の裏の穴を這い上った。
 見回りをしている先生方にぶつからないように気をつけながら城を抜けるのは、一苦労だった。先生方はみな、怪しい者が潜んでいないかどうか目を凝らし、気配を探っているからだ。そうしていない先生がいるとすれば、そんなのはロックハートただ一人だろう。
 玄関ホールに辿り着いて扉の閂を外すときも、蝶番が軋んだ音を立てないよう、細心の注意を払わなければならなかった。そーっと扉を押し開けた、その細い隙間から、月明かりに照らされた校庭に足を踏み出したとき、フェリシアはほっと息をついた。知らず知らずのうちに、息を詰めていたらしい。
「うん、そうだ」
 草むらを大股で横切りながら、ロンが出し抜けに口を開いた。
「森まで行っても、跡をつけるものが見つからないかもしれない。あのクモは、森になんて行かなかったかもしれない。だいたいそっちの方向に向かって移動していたように見えたことは確かだけど、でも……」
 どんどん小さくなっていくロンの声に、フェリシアは「往生際が悪い……」と呟いた。

220619
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