もうすぐ、グリフィンドール対ハッフルパフの試合がある。ウッドの気合の入りようは、あまり親しくないフェリシアが見てもはっきりとわかるほどだった。
 ウッドが毎晩夕食後にクィディッチの練習をすると言ったおかげで、ハリーは毎日、夕食を食べ終えると外へ出て行き、へとへとになって戻ってきた。それからほんの少し前まで箒を握っていた手で今度は羽根ペンを握り、宿題を片付け始める。見るからに大変そうだったが、ハリーは泣き言を言うでもなく羽根ペンを動かしていた。


 試合を翌日に控えた夕方になって、事件は起きた。
 ハリーの寝室が何者かによって荒らされたのだ。トランクの中身はそこら中に散らばり、ベッド脇に備え付けられている小机の引き出しの中身はベッドの上にぶちまけられて、それはひどい有様だったらしい(あとからネビルが怯えた様子で語ってくれた)。しかし、同じ部屋の他の生徒たちの荷物は手つかずで、ハリーの荷物だけがめちゃくちゃに荒らされている──確認したところ、無くなっているものが一つあった。トム・リドルの日記だ。
 そのことが発覚したとき、フェリシアは談話室にいた。ハーマイオニーが隣で本のページをめくる音を聞きながら、ドーラ宛の手紙を書いていたのだが、慌てたハリーとロンがやって来たのでそれどころではなくなってしまった。
「グリフィンドール生しか盗めないはずでしょ──他の人は誰もここの合言葉を知らないもの……」
 ハーマイオニーがうろたえたように言い、ハリーも「そうなんだ」と頷く。
「ハリーのトランクや引き出しを漁って、リドルの日記だけを盗んだってことは、犯人は初めから、リドルの日記が狙いだったってことよね」
 見た目は、白紙の古い日記帳だ。そんなものを、盗んでまで欲しい人がいるだろうか?
 犯人は知っているのだ、とフェリシアは思った。あれが、ただの日記帳ではないことを。
 ハーマイオニーはハリーに盗難届を出すよう勧めたが、ハリーは気乗りしない顔で黙りこくっていた。


 翌朝は、すがすがしい風の吹く良い天気だった。まさにクィディッチ日和。チームメイトの朝食の皿にスクランブル・エッグを山ほど盛り付けるウッドの顔が、まるで太陽のように輝いているのも、決して見間違いではない。
「ハリー、大丈夫?」
 フェリシアは小声で言った。ハリーが固い表情で、同じテーブルにつくグリフィンドール生たちの顔を眺めていたからだ。
「大丈夫だよ。僕、そんなに顔色が悪く見える?」
「そういうことじゃなくって──まぁ、良くも見えないけど……」
 昨日ハーマイオニーが言ったとおり、盗難届を出したほうがいいんじゃないの──フェリシアは喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。この話は、試合が終わってから静かな場所でゆっくり話したほうが良い。もしかしたら犯人は今もすぐ近くにいて、ハリーの様子を伺っているかもしれないのだ。
 もやもやする気持ちのまま朝食を食べ終え、四人は連れだって大広間を出た。
 箒を取りに行くハリーに付き合って四人で歩いていると、大理石の階段に足をかけたところで、ハリーが突然大きな叫び声を上げた。
「あの声だ!」
 三人は驚いてハリーを振り返った。
「また聞こえた! 君たちは?」
 ロンが驚きに目を見開いたまま首を横に振る。フェリシアは顔をしかめて、やはり首を横に振った。 同じく何も聞こえなかったらしいハーマイオニーは、しかし、ハッとしたように額に手を当てて「私、たった今、思いついたことがあるの!」と言った。
「図書室に行かなくちゃ!」
 そう言うが早いか、ハーマイオニーは一人物凄い速さで階段を駆け上がっていった。フェリシアが「今から!?」と驚いた声も、耳に入っていなかったに違いない。
「何を思いついたんだろう?」
 ハリーは声の出所を探るように、きょろきょろと辺りを見回している。
「計り知れないね。フェリシア、君は? 何か思いついたかい?」
「思いついてたら、ハーマイオニーについていったと思うわ」
「なんだ、僕らに解説するために残ってくれたんじゃないのか」
「期待に応えられなくてごめんなさいね」
 ロンとフェリシアが軽口を叩いている間、ハリーはその場に立ち尽くしていた。もう一度、例の声を聴きとろうとしているのかもしれない。そうしているうちに、大広間から続々と生徒たちが流れ出してきた。もうすぐ始まる試合に胸を高鳴らせ、大きな声で話しながら、騒がしくクィディッチ競技場のほうへ向かっていく。
 その様子を横目に、ロンは「もう行ったほうがいい」とハリーに声をかけた。
「そろそろ十一時になる──試合だ」
 ハリーは箒を取りに矢のようにすっ飛んで行き、フェリシアはロンと一緒に駆け足で競技場へ向かった。
「ハーマイオニー、試合に間に合えばいいけど」
「どうかな。本に夢中になって、時間に気がつかないかも」
「うーん……席は取っておきましょう」
「空いてるといいな。時間、ギリギリだ」
 ロンの懸念どおり、観客席はすでにほかの生徒たちでごった返していた。なんとか三人並んで座れるところを見つけたときには、選手入場が済んでマダム・フーチが競技用ボールを取り出しているところだった。競技場全体が、早くも興奮に沸いている。
 選手たちが箒に跨って、ついに試合開始──誰もがそう思ってたそのとき、マクゴナガル先生が巨大な紫色のメガフォンを持って現れた。
「この試合は中止です」
「なんだって!?」
 メガフォンを通して響くマクゴナガル先生の声に、野次や怒号が飛んだ。ウッドがマクゴナガル先生の元へすっ飛んでいくのが見える。
「全生徒はそれぞれの寮の談話室に戻りなさい。そこで寮監から詳しい話があります。みなさん、できるだけ急いで!」
 ロンとフェリシアは一瞬顔を見合わせると、どちらからともなく駆け出した。不満たらたらで移動を始めた生徒たちの間を縫って、ハリーの元へ急ぐ。
 ハリーはマクゴナガル先生と二人で城に向かって歩いていた。ロンとフェリシアはそこに並ぶと、マクゴナガル先生を見上げた。
「そうですね、ウィーズリー、トンクス。あなたたちも一緒に来たほうが良いでしょう」
 フェリシアは胸騒ぎを覚え、ぎゅっと拳を握った。先生のあとをついて城に戻り、大理石の階段を上がる。
「少しショックを受けるかもしれませんが」
 マクゴナガル先生が驚くほど優しい声で言った。医務室が近いことに気がついて、フェリシアの胸は不安でいっぱいになる。心臓は暴れ出しそうで、頭の中は「もしかして」と「そんなまさか」が絶えずぐるぐるしていた。
「また襲われました……また二人一緒にです」
ドアを開けた先生に続いて医務室に入る。マダム・ポンフリーは長い巻き毛の女子生徒の上に屈み込んででいて、その隣のベットにもう一人──。
「ハーマイオニー!」
 ロンの呻き声が、不思議と遠く聞こえる。フェリシアは声も出せなかった。がん、と頭から岩で強く打たれたかようなショックで、身動きすることさえできない。喉も潰れてしまったかのように、何も言葉にならない。心臓が早鐘を打つ音だけが、やけに大きく聞こえた。
「二人とは図書室の近くで発見されました」
 マクゴナガル先生が静かに言う。
「三人とも、これがなんだか説明できないでしょうね? 二人のそばの床に落ちていたのですが……」
 フェリシアはなんとか、目を見開いたまま動かないハーマイオニーから視線を外し、先生の手にある物を見た。どこにでもあるような、小さな丸い鏡だ。
 三人とも、ただ首を横に振った。ハーマイオニーが言っていた「思いつき」がちらりと脳裏をよぎったが、この鏡がその「思いつき」に関係があるのか、それとも偶然落としてしまっただけなのか、今は考える余裕もない。
 マクゴナガル先生も、三人からなんらかの答えが返ってくることは期待していなかったのだろう。目に見えて落胆することもなく、ただ小さく頷いて、「グリフィンドール塔まであなたたちを送っていきましょう」と重苦しい口調で言った。
「私も、生徒たちに説明しなければなりません」

211031
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