バレンタインデーの翌日、ハリーはとんでもないことを言いだした。
 トム・リドルの日記が五十年前の出来事を見せてくれた──マルフォイから聞き出した話は概ね正しくて、女生徒が怪物に殺されていて、リドルは怪物に生徒を襲わせた犯人を捕まえていて──五十年前の事件の犯人はハグリッドだったというのだ。
 フェリシアは頭を抱えた。怪しい日記がもたらした情報と、自分たちが実際に見てきたハグリットの人柄、どちらを信用するべきか。もちろん後者に決まっている──そう思うのに即答できないのは、ハグリッドに困った趣味があることをよく知っているからだ。
 ハグリッドは大きくて怪物のような生き物が好きだ。四人とも、身を持って知っている。去年、ロンドンでは禁止されているドラゴンの飼育を試みたことも、あの恐ろしい三頭犬のことをふわふわのフラッフィーと呼んでいたことも、向こう十年は忘れられそうにない。
 たとえばこれが、「ハグリッドは学生時代、大きな毛むくじゃらの怪物をこっそり飼育し可愛がっていた」というだけの話なら、フェリシアはあり得そうな話だとすんなり納得しただろう。しかし、ハグリッドが誰かを殺そうとするとは考えられない。ハグリッドは絶対にそんなことをしないという確信がある。
 でも、もし、ハグリッドには誰かを傷つけるつもりは微塵もなかったとしたら──悪い偶然が重なったのだとしたら? ハグリッドのペットが起こした不幸な事故だったとのだと言われたら、途端に「そうなのかもしれない」という気がしてくる。
「リドルは犯人を間違えていたかもしれないわ」とハーマイオニーは言う。「生徒を襲ったのは、別の怪物だったのかも……」
「ホグワーツに、いったい何匹怪物がいれば気が済むんだい?」
 ロンの意見ももっともで、フェリシアはますます沈んだ気持ちになった。
 ハグリッドはホグワーツを退学になったと言っていた。ハグリッドが責任を取ってホグワーツを追放され、怪物の脅威は去り、功労者であるリドルが表彰されたのだとすれば、辻褄もあう。
 ロンはリドルがハグリッドを密告したことに腹を立てているらしかったが、「誰かが怪物に殺されたのよ」とハーマイオニーが言うと口を噤んだ。
「『悪気がなかった』じゃ済まされないことよね」
「それにホグワーツが閉鎖されたら、リドルはマグルの孤児院に戻らなきゃならなかった」
 リドルがホグワーツに残りたかった気持ちがわかるとハリーは言った。
 例の日記によれば、リドルには両親がおらず、マグルの孤児院育ちで、休暇に孤児院に戻ることを嫌がっていたという。似たような境遇のハリーが共感を覚えるのは頷ける話だったが、ハリーの声色に、フェリシアの胸の内を不安がかすめた。
 日記が真実を語っている確証もないのに、鵜呑みにしていいのだろうか。心を寄せすぎるのは、危険ではないだろうか?
 四人はしばらく堂々巡りの議論を続けたが、気持ちの晴れる結論は出そうになかった。ハーマイオニーの「ハグリッドに全部聞いてみたらどうかしら?」という提案も、ロンの皮肉によって突っぱねられ、最終的にまた誰かが襲われないかぎりハグリッドには何も言わないことに決めた。
 それからは、何事も起こらずに数日間が過ぎた。ハリーがおかしな囁き声を聞くこともない。フェリシアは相変わらずリドルの日記を訝しんではいたが、ハリーには何も言えずにいた。
 ──このまま何も起こらないのなら、敢えて言う必要もないのかもしれない。
 ハグリッドにホグワーツを追放された理由を訊かなくて済むのならそれが一番望ましいのと同じように、ハリーに「リドルの日記は信用ならない」と告げることも避けられるなら、それが一番良い。ハリーはどうしてかあの日記に入れ込んでいるから──少なくともフェリシアにはそう見える──、迂闊なことを言うと、きっと気を悪くさせてしまう。
 ジャスティンとほとんど首無しニックが石にされてから、まもなく四か月が過ぎようとしていた。あれ以来何事も起こらないから、みんなはもう、事件の犯人はもう誰かを襲う気をなくして引きこもってしまったと思っているようだった。
 おかげで、ホグワーツには少しずつ平穏が戻り始めている。城の空気がほのかに緩み始めているように感じるし、先日の薬草学の授業ではアーニー・マクミランがハリーに話しかけているのを見かけた。
 マンドレイクの成長も順調で、完全に成熟して収穫できるようになる日も近いらしい。マンドレイクが無事に収穫できれば、医務室に横たえられている石になった人々を蘇生させる薬を作ることができる。


 明るい兆しがいくつも見えるようになった頃、イースター休暇がやってきた。休暇中、二年生はいつも通りの宿題に加えて、少し頭を悩ませる課題が与えられた。三年生で新たに選択する科目を決めなければならないのだ。
「わたしたちの将来に全面的に影響するかもしれないのよ」 
 四人で新しい科目のリストに目を通して、選択科目にチェックを付けながら、ハーマイオニーがハリーとロンに言い聞かせるように言った。
「もちろんあなたもよ、フェリシア。他人事のような顔をしないで」
「他人事だとは思ってないけど……」フェリシアは肩をすくめた。「二年生で、もう将来のことをしっかり決めてる人なんている?」
「将来のことを考えるのに、そんな悠長なこと言ってられないわ」
「うーん……」
「僕、『魔法薬』をやめたいな」とハリーが言った。
「そりゃ、ムリ」とロンが憂鬱そうな顔で答える。
「これまでの科目は全部続くんだ。そうじゃなきゃ、僕は『闇の魔術に対する防衛術』を捨てるよ」
 これにはフェリシアも「同感」と笑ったが、ハーマイオニーはひどく衝撃を受けたような声を上げた。「とっても重要な科目じゃないの!」
「ロックハートの教え方は、そうは言えないな。彼からは何も学んでないよ。ピクシー小妖精を暴れされること以外はね」
 言い返したロンにハーマイオニーが何か言いたげな顔したので、フェリシアは澄まして付け加えた。
「それと、他人に尻拭いを押しつけるときの言い訳の仕方ね」


 ハーマイオニーには窘められたフェリシアだったが、フェリシアだってまったく何も考えていないわけではない。選択科目を考えるにあたって、フェリシアはドーラとリーマスに相談の手紙を出した。
 誰かに相談しようと考えたとき、真っ先に思い浮かんだ相談相手はドーラだった。しかし、ドーラは少し大雑把なところがある。それでいて、就職先は難関中の難関、闇祓い局だ。参考にするには少し極端なケースかもしれないと思い、次に思い浮かべたのがリーマスだ。リーマスが何の仕事をしているのかフェリシアは知らなかったが、リーマスならきっと丁寧な助言をくれるだろうという気がした。
 二人からの返事が届くと、フェリシアは早速二人の助言を参考に新しい科目を選んだ。全科目を登録することにしたらしいハーマイオニーが時折横から口を挟んだが、フェリシアは「真剣に悩んでいるから誰の声も聞こえないよ」という顔をして聞き流した。悩んでいたのは本当だから、まるきり嘘というわけでもない。ただ、彼女と一緒に全科目を受講するほどの意欲と興味がなかっただけだ。
 新しい科目の選択を終えた後、フェリシアは助言をくれた二人にお礼の手紙を書いた。ひょっとすると、選択科目に悩んだ時間よりも、手紙を書いていた時間のほうが長かったかもしれない。

210228
- ナノ -