土曜日の朝、今シーズン最初のクィディッチ試合を前にして談話室の空気はそわそわと浮わついていた。グリフィンドール対スリザリンの試合の前はいつだってそうだが、今回はいつにもまして浮き足だっている。理由はわかっている。スリザリン・チームが競技用際高速度の最新の箒を持っていることは、とっくに学校中の噂になっていたからだ。最新の箒の飛びっぷりが気になるやら、スリザリン相手に負けたくないやらで、選手ではない生徒たちもいつも以上に試合が気になって落ち着かない──そんなところだろう。
 ハリーは朝早くから起き出して朝食に下りたようで、ロンが起きたときにはもうベッドが空っぽだったらしい。フェリシアたちは三人で朝食をとり終えると、更衣室に入る直前のハリーを捕まえて激励した。
「顔色が悪かったわね」
 ハリーと別れて観客席につくと、ハーマイオニーが心配そうに呟いた。「大丈夫かしら」
「スリザリンは全員が最新の箒だものね。そのせいで気負い過ぎてるのかも」
「スリザリンの箒が最高の箒なのは確かだよ。けど、その乗り手が、残念なことにあいつらときてる。宝の持ち腐れさ」
 ロンが鼻を鳴らした。
「それに、だ。ハリーって、たいてい試合前は顔色が悪いと思わないか?」
 そう言われて、フェリシアは少し考え込んだ。デビュー戦の時も、その次の試合も、確かにハリーの顔色は良くなかったかもしれない。もちろん当時は困った問題も抱えていたし、状況が状況だったから当然とはいえ、気分の良さそうなハリーを試合に送り出した試しがない。けれど、どんなに顔色が悪くても、その上でハリーはいつも最高の乗り手だった……
「なるほど、つまり、いつも通りってわけね」
「その通り。つまり、いつも通りハリーは上手く飛ぶし、スニッチを獲るってわけだな」
 その時、グラウンドにグリフィンドールの選手たちが入ってきた。レイブンクローもハッフルパフも、グリフィンドールと一緒に歓声をあげて選手を迎えた。ちょうど反対側から聞こえてくるスリザリン生のブーイングや野次を掻き消そうとするかのように、ロンが声を上げた。
「頑張れ、ハリー!」
 マダム・フーチの笛が高らかに鳴ったのを合図に、十四人の選手が一斉に空に飛び上がる。すぐさま誰より高いところに舞い上がったあれが、たぶんハリーなのだろう。
「さあ、始まりました。グリフィンドール対スリザリン! 」
 お馴染みのリー・ジョーダンの実況が聞こえてくる。
「今シーズン、スリザリン・チームには新しいシーカーとしてマルフォイ選手が加わりました。今試合でメンバー全員が使用しているニンバス二〇〇一は、なんと彼のお父様からの寄贈品だとか! いやあ、太っ腹ですね! さて、そんなマルフォイ選手の実力やいかに──あぁ、惜しい! ジョンソン選手、ゴールを狙うもブレッチリー選手に阻まれました!」
 クァッフルはスリザリンのフリントの手に渡った。箒のスピードを見せつけるように、ビュンビュンと飛んでいく。いつもならこの辺りですかさずフレッドかジョージによってブラッジャーが叩き込まれるところだが、黒い塊は一向にやってこなかった。
「フレッドとジョージは何やってるんだろう」
「見てよ、上の方……なんだかおかしくない?」
 ハリーらしき選手と、赤毛の選手が他の選手たちよりも上空で何かしている。飛んでくるブラッジャーを避けたり、打ち返したり、動き自体はおかしくないのだが──むしろとてもクィディッチらしい動き方だ──何かが妙だ。振りだした雨に視界が悪くなる中、じっと目を凝らしていると、違和感の原因に気がついた。
「あのブラッジャー、ハリーにばかり向かってきてる」
「どうして? そんなことってあるの?」ハーマイオニーが不安げに尋ねたが、フェリシアとロンは揃って眉を寄せ首を捻った。
「こんなの聞いたことない」
「僕もだ。だってブラッジャーは、なるべくたくさんの選手を振り落とすのが役目だろ。こんなふうに一人の選手だけを狙うなんて……」
 ロンの目が観客席に向かい、何かを探し始めた。
「ロン、去年のは、クィレルがやったことだった。でも、あいつはもうホグワーツにいないのよ」
「それなら別の誰かがやってるんだろう。スネイプとか」
「スネイプじゃないみたいよ。ほら」
 ハーマイオニーが指した先に、スネイプがいた。真っ黒な蝙蝠のような装いと陰湿そうな雰囲気は相変わらずで、これだけ離れたところにいてもすぐにそうだとわかる。そして、そのスネイプが、ハリーたちがいる上の方をちっとも見ていないこともわかった。
「じゃあ誰が? 誰かが細工したんでもなきゃ、ブラッジャーがあんな動きをするわけない」
 マダム・フーチの笛が再び鳴り響いた。ウッドがタイムアウトを取ったらしい。グリフィンドールの選手たちが集まって話し始めたが、すぐに試合は再開した。再び舞い上がったハリーのそばには、フレッドもジョージもいない。
「ハリーのやつ、一人でどうにかする気なんだ」
 ますます雨が激しくなる中、ハリーは空高く昇り、旋回したり急降下したり、螺旋を描いたり、とにかく滅茶苦茶に飛び回っている。ハリーの真紅のユニフォームとそれを追いかける黒い塊が、どしゃ降りの雨の向こうにかろうじて霞んで見えた。おかしなブラッジャーがハリーだけを追い回していることには気づいていない観客たちも、ハリーが妙な飛び回り方をしているのには気がついたらしい。ハリーがブラッジャーを避けて箒から逆さまにぶら下がると、観客席からは笑い声が上がった。
「笑い事じゃないわよ」
 ハーマイオニーが胸元で祈るように手を組みながらぼやく。こんなにもハラハラして見上げているのは、これだけたくさんの観客がいる中で三人だけなのかもしれない。そんな風に思いながら、フェリシアも目を凝らしてハリーを見守った。
 どうかハリーが怪我をしませんように。誰も言葉にはしなかったが、三人ともそう願っていただろう。
 しかし、そんな思いも虚しく、フェリシアはブラッジャーがハリーに直撃するのを見て息を呑んだ。隣ではハーマイオニーが小さく悲鳴を上げた。
「今、ハリーに当たったわよね? ハリーは大丈夫なの?」
「ここからじゃわからないよ!」
 ハリーの近くにはマルフォイらしい選手がいるのが見える。ああ、ブラッジャーがマルフォイに標的を変えてくれたら良いのに。祈ったところで意味はなくても、フェリシアは強く念じた。それ以外、何も出来ないのだ。
 その時、突然ハリーがマルフォイに向かって急降下した。マルフォイがハリーを避けて飛ぶ。ハリーが空中に手を伸ばす。ハリーが地面に向かって突っ込んでいく。観客席から悲鳴が上がる。思わず目を閉じた瞬間、リーの実況が耳に飛び込んできた。 
「ポッター選手がスニッチを取った! 試合終了!」


 フェリシアたちは大急ぎで観客席を離れ、グラウンドに向かった。心配そうにグラウンドに向かっていくほかのグリフィンドール生たちを追い越し、グラウンドに駆け込むと、聞きたくない声が聞こえてきた。
「みなさん、そこを通して。私に任せて──何も心配いらない──」
 フェリシアが心配そうに取り囲む人たちを押し退けてハリーに近づこうとしている間に、ロックハートがハリーのそばにいるのがたくさんの頭越しに見えた。カメラのシャッター音までする。最悪だ──そう呟いたのは、フェリシアだったのか、ロンだったのか。
「みんな、下がって」
 フェリシアたちがハリーのそばにたどり着いたのは、ちょうどロックハートが翡翠色の袖を捲し上げて杖を振り回し始めたところで、──つまり、ほんの少し手遅れだった。
「あっ」
 ロックハートがまぬけな声を上げたとき、ハリーの腕は不自然に軟らかくなっていた。ぶらりと、どこも折れ曲がることなく、ただ力なく垂れ下がる腕にはちっとも生気が感じられない。まるで、腕だけが作り物のように見えた。
「そう。まあね。時にはこんなことも起こりますね。でも、要するにもう骨は折れていない。それが肝心だ。それじゃ、ハリー、医務室まで気をつけて歩いて行きなさい。──あっ、ウィーズリー君、ミス・グレンジャー。それに、ミス・トンクス──大丈夫、そんな顔をしなくても君のヒーローは無事ですからね──医務室まで付き添ってくれないかね? マダム・ポンフリーが、その──少し、あー……きちんとしてくれるでしょう」
 なんとか立ち上がったハリーが、愕然として自分自身の腕を見つめている。ハリーに肩を貸すべく歩み寄ったフェリシアは、すれ違い様、躊躇うことなくロックハートを睨みつけた。

171118
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