──正確な年号は明らかではないが、ホグワーツの創設は一千年以上も昔に遡る。当時の最も偉大なる四人の魔女と魔法使い、すなわち、ゴドリック・グリフィンドール、ヘルガ・ハッフルパフ、ロウェナ・レイブンクロー、サラザール・スリザリンによって創設された。四つの学寮の名は、この四人にちなんで名づけられたものである。彼らは迫害から逃れるべく、マグルの目から離れたこの地に城を築いた。
 創設から数年間、創設者たちの関係は良好だった。しかしやがて、四人の間に意見の相違が現れるようになる。スリザリンは、魔法教育は純粋な魔法族の家系にのみ与えられるべきだという信念を持っていた。彼はその信念から、マグルの親を持つ生徒を入学させることを嫌ったのだ。ほかの三人との亀裂は広がり、しばらくして、スリザリンはグリフィンドールとの激しい言い争いの末に城を去った。
「信頼できる歴史的資料はここまでしか語ってくれんのであります。しかしこうした真摯な事実が、『秘密の部屋』という空想の伝説により、曖昧なものになっておる。スリザリンがこの城に、他の創設者にはまったく知られていない、隠された部屋を作ったという話がある。その伝説によれば、スリザリンは『秘密の部屋』を密封し、この学校に彼の真の継承者が現れるときまで、何人もその部屋を開けることができないようにしたという。その継承者のみが『秘密の部屋』な封印を解き、その中の恐怖を解き放ち、それを用いてこの学校から魔法を学ぶに相応しからざる者を追放するという」
 先生が語り終えると、沈黙が訪れた。それだけなら──ただ沈黙がおりるだけなら──普段となんら変わらない。しかし、今ばかりは普段の様子と全く違っていた。誰も眠ってなんかいやしない。みんなが生徒を見つめて、もっと話を聴きたそうにしている。
 この異常な教室の様子に、ビンズ先生は大いに困惑したようだった。
「勿論、すべては戯言であります。当然ながら、そのような部屋の証を求め、最高の学識ある魔女や魔法使いが何度もこの学校を探索したのでありますが、そのようなものは存在しなかったのであります。騙されやすい者を怖がらせる作り話であります」
 そのとき、再びハーマイオニーの手が挙がった。
「先生──『部屋の中の恐怖』というのは具体的にどういうものですか?」
「なんらかの怪物だと信じられており、スリザリンの継承者のみが操ることができるという」
 生徒たちが怖々と顔を見合わせると、ビンズはパラパラとノートを捲りながら言った。
「言っておきましょう。そんなものは存在しない。『部屋』などない、したがって怪物はおらん」
「でも、先生」今度はハーマイオニーではない。シェーマスだ。
「もし『部屋』がスリザリンの継承者によってのみ開けられるなら、他の誰も、それを見つけることはできない、そうでしょう?」
「ナンセンス。オッフラハーティ君」先生の声が険しくなった。「歴代の校長先生方が何も発見しなかったのだからして──」
「でも、ビンズ先生」と、今度はパーバティ。
「そこを開けるのには、闇の魔術を使わないといけないのでは──」
「ミス・ペニーフェザー、闇の魔術を使わないからといって、使えないということにはならない」ビンズ先生がぴしゃりと言い返した。
「繰り返しではありますが、もしダンブルドアのような方が──」
「でも、スリザリンと血が繋がっていないといけないのでは……。ですからダンブルドアは──」
 ディーンが言いかけたところで、ビンズ先生はもうたくさんだとばかりに話を打ち切った。
「以上、おしまい、これは神話であります! 部屋は存在しない! スリザリンが、部屋どころか、秘密の箒置き場さえ作った形跡はないのであります! こんなバカバカしい作り話をお聞かせしたことを悔やんでおる。宜しければ歴史に戻ることとする。実態のある、信ずるに足る、検証できる事実であるところの歴史に!」


「サラザール・スリザリンって、狂った変人だってこと、それは知ってたさ」
 授業が終わり、夕食前に寮に鞄を置きに行く生徒で廊下がごった返す中、ロンが三人に話しかけた。
「でも、知らなかったなあ、例の純血主義のなんのってスリザリンが言い出したなんて。僕ならお金をもらったって、そんなやつの寮に入るもんか。はっきり言って、組分け帽子がもし僕をスリザリンに入れてたら、汽車に飛び乗って真っ直ぐ家に帰ってたな……」
 ハーマイオニーが頷いて、ロンは「君もだろ?」と言わんばかりの目を向けたので、フェリシアは眉を上げた。
「私の家族への侮辱と捉えても?」
「アー、いや、少なくとも君のママは他のスリザリンの連中とは違うよ、ウン。……ちゃんとわかってるさ」
「千年以上も昔の人が『そう』だったからって、スリザリンが全部そうだとは限らないんだから」
「でもさ、たぶん君のママってちょっと変だったんだと思うよ」ロンはそう言うと、フェリシアの表情を見て慌てたように言葉をついだ。「もちろん悪い意味じゃなくて、スリザリンにしてはってことさ。スリザリンの中で変ってことは、つまり、僕たちにとっては普通っていうか、むしろ最高ってことだけど──」
「はいはい」
 フェリシアは肩を竦めて、ずっと黙ったままのハリーを見た。ハリーは教室を出てから、まだ一度も口を開いていない。なぜだか浮かない顔しているハリーは、フェリシアの視線にも気づかないようだったが、近くを通ったコリン・クリービーに「やー、ハリー!」と声をかけられると、刷り込みのように「やぁ、コリン」と応えた。
「ハリー、ハリー、僕のクラスの子が言ってたんだけど、君って……」
 しかし、小柄なコリンは人波に逆らえず、「あとでね、ハリー!」と叫ぶ声を残して大広間のほうに流されていった。
「クラスの子があなたのこと、なんて言ってたのかしら?」
「僕がスリザリンの継承者だとか言ってたんだろ」
「ここの連中ときたら、なんでも信じこむんだから」
 そのうち混雑も一段落して、四人は楽に次の階段を上ることができた。
「『秘密の部屋』があるって、君、本当にそう思う?」
 ロンがハーマイオニーに問いかけた。
「わからないけど」ハーマイオニーは眉根にシワを寄せた。「ダンブルドアがミセス・ノリスを治してやれなかった。ということは、わたし考えたんだけど、猫を襲ったのは、もしかしたら──ウーン──ヒトじゃないかもしれない。フェリシアはどう思う?」
「うーん……私もわからないけど……シェーマスが言ってたとおり、『スリザリンの継承者のみが開ける』『秘密の部屋』なんだから、今まで誰も発見していないからといって絶対に存在しないって断言することはできないし、同じ理屈で、『怪物』が絶対にいないとも言えないよね?」
 そこまで言ったとき、ちょうどあの事件があった廊下の端に出た。壁にはまだ「秘密の部屋は開かれたり」と書かれたままで、そこを背にして椅子がぽつんと置かれている。
「あそこ、フィルチが見張ってるとこだ」ロンが呟いた。
 廊下には人っこ一人いない。四人は顔を見合わせた。
「ちょっと調べたって悪くないだろ」
 ハリーは鞄を放り出し、四つん這いになって、辺りを探し回り始めた。フェリシアも、ハリーの鞄を拾い上げてから、周囲を見渡した。
「焼け焦げだ! あっちにも──こっちにも──」ハリーが言った。
「来てみて! 変だわ……」と、ハーマイオニーを声を上げた。
 ハーマイオニーは、壁の文字のすぐ脇にある窓のところで一番上の窓ガラスを指差している。近づいていくと、二十匹あまりのクモが、ガラスの小さな割れ目から先を争うように這い出そうとしていた。
「クモがあんなふうに行動するのを見たことある?」ハーマイオニーが不思議そうに言った。
「ううん」ハリーとフェリシアは口を揃えた。
「ロン、君は? ロン?」
 振り返ると、ロンはずっと遠くに立っていて、今にも逃げ出したそうな顔をしていた。
「どうしたんだい?」
「僕──クモが──好きじゃない」
「えっ、そうなの?」
「知らなかったわ」ハーマイオニーも驚いたようにロンを見た。「クモなんて、魔法薬で何回も使ったじゃない……」
「死んだやつならかまわないんだ……」
 ロンの顔はすっかり青ざめている。
 ハーマイオニーがクスクス笑った。
「何がおかしいんだよ。わけを知りたいなら言うけど、僕が三つのとき、フレッドの箒の柄を折ったんで、あいつったら僕の──テディ・ベアをバカでかい大蜘蛛に変えちゃったんだ。考えてもみろよ。熊のぬいぐるみを抱いてるときに急に脚がにょきにょき生えてきて、そして……」
 ロンは身震いして言葉を途切れさせた。ハーマイオニーはまだ笑いをこらえているのが見え見えだ。まずいと思ったのか、ハリーが話題を変えた。
「ねえ、床の水溜まりのこと、覚えてる? あれ、どっから来た水だろう。誰かが拭き取っちゃったけど」
「このあたりだった」
 ロンは気を取り直して、椅子から数歩離れたところまで歩いて行き、床を指差しながら言った。
「このドアのところだった」
 ロンは真鍮の取っ手に手を伸ばしかけたが、触れる前に手を引っ込めた。
「どうしたの?」
「ここは入れない」ロンが困ったように言った。「女子トイレだ」
「どうせ中には誰もいないと思うよ」
 フェリシアが言うと、ハーマイオニーも立ち上がってやって来た。
「そうね、そこ、『嘆きのマートル』の場所だもの。いらっしゃい。覗いてみましょう」
 ハーマイオニーは、いつでも「故障中」の掲示がされている女子トイレのドアを開けて二人を手招いた。

171102
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