セドリックとの「いかにしてピーブズを遠ざけるか」談義は思いの外盛り上がり、フェリシアが少しだけ晴れやかな気持ちになってグリフィンドールの談話室に戻ると、ちょうどハリーも着替えを済ませて戻ってきたところだった。
「遅かったじゃないか。ハリーのほうが早かったよ」
 書きかけのレポートの上に羽ペンを投げ出したロンが不機嫌そうな声で言った。
「見ればわかるよ。おかえり、ハリー」
 フェリシアは空いていたソファに腰を下ろした。ロンのレポートはまだ半分しか埋められていない。だから機嫌が悪いのだろう。
 レポートを見られていることに気づいたロンが、じっとりとフェリシアの横顔を見上げた。
「なんだよ。写させてくれるのかい?」
「ハーマイオニーが怒るでしょ」
「宿題は自分でやるものだわ」
 当たり前ですと言わんばかりにハーマイオニーが頷いた。
「ハリーも、もし宿題がまだ終わっていないなら、早く取りかからないと。フェリシアに見せてもらおうなんて絶対ダメよ」
「わかってるよ、ハーマイオニー。でも今は宿題のことより、君たちに話したいことがあるんだけど……」
 ハリーがこう切り出すのは初めてのことではない。
 フェリシアはちらりとハリーの顔色を見やった。今回はあまり深刻そうではないので、きっとそんなに重大なことではないだろうと思いながら聞いていたが、重大ではないかわりに突拍子もない話だった。ハロウィーンの日に開かれるほとんど首無しニックの絶命日パーティーに招かれたなんて、予想できるはずもない。
「絶命日パーティですって?」聞き返したハーマイオニーの声色は弾んでいた。「生きているうちに招かれた人って、そんなに多くないはずだわ──面白そう!」
 対して、ロンは不機嫌なままだった。「自分の死んだ日を祝うなんて、どういうわけ? 死ぬほど落ち込みそうじゃないか……」
「出席者もみんなもう死んでるから気にしないんじゃないかな。というか、それって生きている人が行っても良いものなの?」
 いくら招かれたとはいっても、ゴーストばかりの場でフェリシアたちは浮いてしまうだろう。フェリシアは絶命日パーティがどんなことをするものなのかよく知らなかったが、参加者がゴーストばかりであることを考えれば、食べ物が出てくるかも疑問である。彼らは食べることも飲むこともしないのだ。同じ日に開かれるパーティでも、ホグワーツのハロウィーン・パーティとはきっと違う。
「ニックから誘ってくれたんだし……」とハリーは答えたが、フェリシアが眉をひそめるばかりだったので、自信なさげに声が萎んでいった。
 それでも、ハリーはもう絶命日パーティに行くとニックに約束してしまったそうだし、ハーマイオニーも乗り気なようなので、フェリシアの懸念はそれ以上掘り下げられることもなく談話室の喧騒にかき消されてしまった。
 フレッドが魔法生物飼育学のクラスから「助け出して」きたのだという火トカゲが、派手に火花を散らして空中に飛び上がった。ドクター・フィリバスターの長々花火を食べさせたらどうなるか、フレッドとジョージが試したらしい。火トカゲはバンバン大きな音をたてながら部屋中をぐるぐる回りはじめ、まるでトカゲの形をした長々花火のようになっていた。口からは橙色の星が流れ出して素晴らしい眺めではあったが、暖炉の火の中に逃げ込む火トカゲはなんだか可哀想だった。


 ハロウィーンが近づくと、生徒たちのウキウキが城中で感じられるようになった。大広間は生きたコウモリで飾られ、ハグリッドが育てていたあの巨大なかぼちゃも今は綺麗にくりぬかれて大きな提灯になって飾られている。
 ハリーは絶命日パーティに出席する約束をしてしまったことを後悔しはじめたようだったが、「約束は約束でしょ」とハーマイオニーに言われてしまえば返す言葉もないらしかった。
 フェリシアはといえば、絶命日パーティに行かずにハロウィーン・パーティに行くことを考えたりもしたのだが(だってフェリシア自身が約束したわけではないのだ)、それを仄めかすとロンが恨めしそうに見つめるので、なんだかんだで一緒に絶命日パーティに行くことになるのだろうと諦めに似た気持ちになっていた。
 ニックには何かと世話になっているから──と自分に言い聞かせ、十月三十一日の夜七時、三人と連れ立って金の皿やキャンドルの輝きに彩られた大広間のドアの前を素通りし、地下牢の方へ足を向けた。
 大広間の前と同じように、ニックのパーティー へと続く道筋にもキャンドルが立ち並んではいたが、こちらは打ってかわって楽しいムードとはいえない。ひょろりと細長い真っ黒な蝋燭が真っ青な炎を上げ、生きている四人の顔にさえ、ほの暗い幽かな光をなげかける。階段を一段下りるたびに温度が下がっていった。
 やがて、巨大な黒板を千本の生爪で引っ掻くような音が聞こえてきて、フェリシアはとっさに耳を塞いだ。
「あれが音楽のつもり?」
「あぁ、いやだ、私この音ダメ……」
 角を曲がると、ほとんど首無しニックがビロードの黒幕を垂らした戸口のところに立っているのが見えた。
「親愛なる友よ」ニックが悲しげに挨拶した。
「これは、これは……このたびは、よくぞおいでくださいました……」
 ニックが羽飾りの帽子を脱いで、四人を招き入れるようにお辞儀をした。フェリシアは耳から手を離してニックに会釈したが、さらに近くに聞こえるようになった生爪の音に背筋がぞわぞわして、ひどくぎこちない動きになった。
 地下牢では、何百というゴーストがひしめき合っていた。そのほとんどが混み合ったダンス・フロアでワルツを踊っている。黒幕で飾られた壇上では、オーケストラが三十本の鋸でこのワナワナ震える恐ろしい音楽を奏でていて、頭上のシャンデリアは千本の黒い蝋燭で群青色に輝いていた。信じられないような光景だったが、オーケストラの音楽のおかげでフェリシアはそれどころではない。極めつけは凍てつくような寒さだ。四人の吐息は霧のように白く立ち上っていた。
「見て回ろうか?」
「誰かの体を通り抜けないように気をつけろよ」
 四人はダンス・フロアの端の方を回り込むように──フェリシアは半ばロンに引き摺られるようにして──歩いた(「今の君、トロールよりのろいぞ」)。陰気な修道女の一団に、ボロ服に鎖を巻きつけた男、ハッフルパフの寮憑きゴースト「太った修道士」と、彼と話している額に矢が刺さった騎士。スリザリンの寮憑きゴースト「血みどろ男爵」もいる。
「あーっ、いやだわ」ハーマイオニーが突然立ち止まった。「戻って、戻ってよ。『嘆きのマートル』とは話したくないの……」
「ごめん、私も……」フェリシアは再び耳を塞ぎながら、小声で同意した。「あの子、私のこと嫌いみたいだし……」
「誰だって?」後戻りしながら、ハリーが尋ねる。
「あの子、三階の女子トイレに取り憑いてるの」
「トイレに取り憑いてるって?」
「そうなの。去年一年間、トイレは壊れっぱなしだったわ。だって、あの子が癇癪を起こして、そこら中水浸しにするんですもの。私、壊れてなくたってあそこは行かなかったわ。あの子が泣いたり喚いたりしてるトイレに行くなんて、とっても嫌だもの」
「見て。食べ物だ」ロンが言った。
 地下牢の反対側に長テーブルがあり、これにも真っ黒なビロードがかかっていた。四人は近づいて行ったが、次の瞬間ぞっとして立ちすくんだ。吐き気のするような臭いだ。腐った魚、真っ黒に焦げた山盛りのケーキに、スコットランドの肉料理、ハギスの巨大な塊には蛆がわいている。厚切りのチーズも黴だらけ。銀の食器は洒落ていてアンドロメダも気に入りそうなものなのに、乗せる料理がこれではまるで台無しだ。一段と高いところにある灰色の墓石の形をした巨大なケーキには、コールタールなようなもので文字が書かれている──『ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントン卿 一四九二年十月三十一日没』
 恰幅のよいゴーストが身を屈めてテーブルを通り抜けながら、大きく口を開けて異臭を放つ料理の中を通り抜けるようにしていった。
「食べ物を通り抜けると味がわかるの?」ハリーがそのゴーストに聞いた。
「まあね」ゴーストは悲しげにそう言うとふわふわ言ってしまった。
「つまり、より強い風味をつけるために腐らせたんだと思うわ」
 ハーマイオニーは物知り顔でそう言いながら、鼻をつまんで、腐ったハギスをよく見ようと顔を近づけた。
「行こうよ。気分が悪い。フェリシアのこの顔を見て。今にも死にそうだ……」
 フェリシアは音楽やら寒さやら臭いやら強烈なものの連続にもう何がなんだかよくわからなくなっていて、最早口を開く気力さえなかった。

170731
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