罰則の翌朝のハリーとロンは、とても疲れた顔をしていた。余程堪えたらしい。ハリーがロックハートの部屋で聞いたという妙な声の話をフェリシアに話して聞かせたが、ハリーの顔にははっきりと疲れが残っていたものだから、聞かされたフェリシアは、きっと疲れと眠気とロックハートへの嫌気のせいで聞こえた幻聴に違いないと思った。

 すっかり冷たい空気を纏った十月がやってくると、ホグワーツでは風邪が流行し始めた。おかげでマダム・ポンフリーは大忙しだったが、彼女特製の「元気爆発薬」はとてもよく効いた。ただし、それを飲むと数時間は耳から煙を出し続けることになる。具合が悪そうだからとパーシーに無理やりこの薬を飲まされたジニーは、燃えるような赤毛と相俟ってまるで山火事になったかのような有り様で数時間過ごさなければならなかった(ジニーの顔がほんのり赤かったのは、きっと風邪のせいではなかったと思う)
 このところは悪天候が続いていて、ハロウィーンまであと数日となった土曜日も、ひどい嵐だった。けれど、こんな日でもオリバー・ウッドはクィディッチの練習をやめるという考えには至らないらしく、ハリーは浮かない顔で外へ繰り出していった。
「何もこんな日まで練習しなくたって」
 ハーマイオニーが大粒の雨が激しく窓を叩いているのを眺めながら言った。
「少なくともキャプテンがウッドのうちは、雹が降ろうがトロールが乗り込んでこようが練習の中止なんかしないと思うよ」
「ウッドってクィディッチのことになるとちょっとおかしいもんな」
 ロンが呆れまじりに言って、同じように窓の外を見やった。勿論ハリーたちの姿は見えないが、ハリーも双子のウィーズリーもウッドも、そして他の選手たちも、もれなくずぶ濡れの泥まみれになっていることだろう。今日の練習に唯一良い点があるとすれば、こんな天気のおかげでコリン・クリービーが練習を観に行くのを諦めることくらいに違いない。
 談話室のすみで友人と談笑しているコリン──相変わらず首にカメラを提げている──を注意深く見ながら、フェリシアはおもむろに立ち上がった。
「どこか行くの?」
「うん、ちょっと。ハリーが帰ってくる前には戻るよ」
 いつもの土曜日より賑やかな談話室を抜け出して、フェリシアはまず図書館へ向かった。目的があったわけではなかったが、コリンが居る談話室はなんだか居心地が悪く感じてしまったのだ。
 天気が悪く談話室に籠っている生徒が多いのか、廊下は人気が少なかった。フェリシアの靴音以外には、肖像画のひそひそ声が雨に混じって微かに聞こえている。
 ホグワーツの肖像画やゴーストは、時折フェリシアの顔を見てひそひそ話をする。きっとシリウス・ブラックに関する話をしているのだろう──他の生徒の耳に入らないことを祈るばかりだ。
 角を曲がったところで、ガシャンガシャンと大きな音がした。思わず振り返ると、甲冑が倒れている。
「こーんなところでどうしたのかな? ひとりぼっちのお嬢ちゃん!」
 ポルターガイストのピーブズが馬鹿にしたような笑みを張りつけて浮いていた。フェリシアが顔をしかめると、ピーブズは反対に嬉しそうにした。
「雨の日にひとりぼっち、どうしてだ? どうしてだ? お友だちがいないんだ? かわいそう!」
 ピーブズは歌うように甲高い声を出してフェリシアの前でピョコピョコし始めたので、これまで一人の時にピーブズに出会したことがなかったフェリシアはすっかり困ってしまった。ピーブズに関わると面倒なことしか起こらない。とにかく図書館に入ってしまえば、ピーブズが着いてきたとしてもマダム・ピンスがどうにかしてくれるだろうと、無視を決め込んで歩き始めた。
「つれないなあ! つまらない! あいつとおんなじ澄まし顔!」
 わざと目の前に飛び出してくるピーブズは、相変わらず甲高い声で騒いだ。
「あいつは少しは面白かったけどお前はつまらない! なーるほど、だから友だちがいないんだな? かわいそうなお嬢ちゃん!」
「……煩いな」思わずしかめ面で呟けば、ピーブズはにたりと笑った。「わーお、おんなじだ、瓜二つ!」
 構ってはいけないと思いながら、フェリシアはつい聞き返した。「さっきから言ってる、あいつって?」
「お前とおんなじ顔のあいつだよぅ、リトル・ベイビー・ブラックちゃん!」
 ピーブズは歌うように答えた。答えなんてほとんどわかっていたのに、ガツンと頭を殴られたような気分になった。
 幸いなことに、今、辺りには誰もいない。
 フェリシアは黙ってピーブズを睨みあげると、口を真一文字に引き結んで図書館に歩を進めた。ピーブズは相変わらずニタニタ笑って騒ぎながら着いてきたが、図書館の入り口のところまで来ると「げえっ」と呻いてどこかへいなくなった。
 ホッと息を吐き出して、奥のほうの席に腰をおろした。いつもならこの席からは、クィディッチ競技場が見える。けれど、今日は生憎の天気だ。窓を叩きつける雨のおかげでほとんど何も見えない。
 フェリシアは鞄を机の上に投げ出して突っ伏した。
 今までこういうことがなかっただけ、幸運だったのだ。いや、今日だって、ピーブズに出会してしまったことはツイていなかったが、会話を誰にも聞かれなかったのは幸運だったといえる。
 それでも、口から零れるのは溜め息ばかりだ。これからは、これまで以上にピーブズには気をつけなければいけない。ゴーストや肖像画は声を潜めてくれても、あのポルターガイストだけは絶対にそうしてはくれないし、むしろ城中を飛び回りながら大声で騒ぎ立てかねない。万が一、そんなことになったら──。
「何かあった?」
 自分が声をかけられているのだと気がつくのに、少し時間がかかった。
「セドリック?」伏せていた顔をあげると、控えめに笑うセドリックが目に入った。
「浮かない顔のフェリシアが入ってくるのが見えたから気になって」
 セドリックはフェリシアの向かいの席に腰を下ろした。
「大丈夫?」
「あー……あの、別に大したことじゃないの。ただ、さっき、ピーブズに出会しちゃって」
「ああ……それは大変だったろうね」セドリックの形の良い眉が気の毒そうに下がる。「ピーブズは無視しておくのが一番だよ。少しでも困った素振りを見せたら、ますます面白がって仕掛けてくるから」
「うーん、そう、そうよね……わかってはいるんだけど……」
 フェリシアが険しい顔で頭を抱えると、セドリックはクスクス笑った。
「ごめん、トンクスもよくピーブズにからかわれて、そういう顔をしていたから」
「さすが姉妹だね」と言ったセドリックを、フェリシアは瞬きをして見つめ返した。
「初めて言われた」
「そうかい? 君の友だちでトンクスを知っている人は少ないだろうから、そういうものなのかな」
 理由はそれだけではない。もっと別の理由がある。フェリシアはそう知っていたが、何も言わずにセドリックの言葉を噛み締めた。似ていないはずの姉妹なのに、彼は確かに「さすが姉妹だね」と言ったのだ。
「ピーブズのことで困ったら先生に相談してみるのもありだよ。確か、スプラウト先生が育てていた植物の中にピーブズが嫌いなものがあったはずだ。匂いが嫌いらしい。ああ、でも、希少な植物だそうだからすぐには用意できないかもしれないな……」
 フェリシアは真面目に助言してくれるセドリックの顔をまじまじと見た。顎に手を当てたセドリックは、自分のことのように真剣にピーブズ対策を考えてくれている。「──血みどろ男爵にお願いしてみるとか? ちょっと怖いけど──」
 やがて、フェリシアは笑って言った。
「ありがとう」

170511
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