ハグリッドの小屋まであと数メートルというところで、小屋の戸が開いた。が、中から出てきたのはハグリッドではなく、ロックハートだった。今日は薄い藤色のローブを纏っている。ハリーたちが茂みに隠れたのを見て、フェリシアも慌ててそこへ滑り込んだ。
「フェリシア! あなたったら──」
 ハーマイオニーが小言を口にしたが、ハリーが嗜めた。「ちょっと静かにして!」
「やり方さえわかっていれば簡単なことですよ」
 小屋から出てきたロックハートが、声高にハグリッドに何か言っている。
「助けてほしいことがあれば、いつでも私のところにいらっしゃい! 私の著書を一冊進呈しましょう──まだ持っていないとは驚きましたね。今夜サインをして、こちらに送りますよ。では、お暇しましょう!」
 ロックハートは城の方にさっそうと歩き去った。
 フェリシアたちはロックハートがすっかり見えなくなるまで待って、それからロンを茂みの中から引っ張り出し、ハグリッドの小屋の戸口まで連れて行った。
 慌ただしく戸を叩くと、ハグリッドはすぐに出てきた。不機嫌な顔だったが、客が誰だかわかった途端、パッと顔を輝かせた。
「いつ来るんかと待っとったぞ──さあ入った、入った──実はロックハート先生がまーた来たかと思ったんでな」
 三人はロンを抱えて敷居を跨がせ、一部屋しかない小屋に入った。片隅には巨大なベッドがあり、反対の隅には楽しげに暖炉の火がはぜている。ロンを椅子に座らせながら、ハリーが手短に事情を説明したが、ハグリッドはロンのナメクジ問題にまったく動じなかった。
「出てこんよりは出た方がええ」
 ロンの前に大きな銅の洗面器をポンと置き、ハグリッドは朗らかに言った。
「ロン、みんな吐いっちまえ」
「止まるのを待つほか手がないと思うわ」
 洗面器の上にかがみ込んでいるロンを心配そうに見ながらハーマイオニーが言った。
「あの呪いって、ただでさえ難しいのよ。まして杖が折れてたら……」
 ハーマイオニーがちらりとフェリシアに視線を寄越したが、フェリシアは何も言わずにロンの背中をさすっていた。口を開いたら、ロンと一緒にナメクジを吐き出す羽目になりそうな気分だったからだ。
 とてもお茶会をする気分にはなれなかったが、ハグリッドはいそいそとお茶の用意に飛び回っている。ファングも四人の訪問が嬉しいのか、ハリーをよだれでべとべとにしていた。
「ねえ、ハグリッド、ロックハートはなんの用だったの?」
 ファングの耳を撫でてやりながらハリーが聞いた。
「井戸の中から睡魔を追っ払う方法を俺に教えようとしてな」
 唸るように答えながら、ハグリッドはテーブルから羽を半分むしりかけの雄鶏を取りのけて、そこにティーポットを置いた。
「まるで俺が知らんとでもいうようにな。その上、自分が泣き妖怪とかなんとかを追っ払った話を、さんざぶち上げとった。やっこさんの言っとることが一つでもほんとだったら、俺はへそで茶を沸かしてみせるわい」
「それって、少し偏見じゃないかしら」ハーマイオニーがちょっと上ずった声で反論した。「ダンブルドア先生は、あの先生が一番適任だとお考えになったわけだし──」
「ほかにはだーれもおらんかったんだ」
 ハグリッドは糖蜜ヌガーを皿に入れて四人にすすめながら言った。ロンがその脇でゲボゲボと咳き込むので、フェリシアはまたその背をさすった。
「人っ子一人おらんかったんだ。闇の魔術の先生をするんもんを探すのが難しくなっちょる。だーれも進んでそんなことをやろうとせん。な? みんなこりゃ縁起が悪いと思いはじめたな。ここんとこ、だーれも長続きしたもんはおらんしな。それで? やっこさん、誰に呪いをかけるつもりだったんかい?」
 ハグリッドがロンの方を顎で指しながらハリーに聞いた。
「マルフォイがハーマイオニーのことをなんとかって呼んだんだ。ものすごくひどい悪口なんだと思う。だってみんなカンカンだったし、フェリシアなんて引っ叩いたうえに呪文もかけてたよね?」
「あんなのじゃ足りないくらいだよ。ほんとにひどい悪口さ」
 ロンが汗だらけの青白い顔をあげ、しゃがれ声で言った。
「マルフォイのやつ、ハーマイオニーのこと『穢れた血』って言ったんだよ、ハグリッド──」
 ロンは再び顔を俯かせた。次のナメクジの波が押し寄せてきたらしい。
「そんなこと、本当に言うたのか! 」
「言ったわよ。でも、どういう意味だか私は知らない。もちろん、ものすごく失礼な言葉だということはわかったけど……」
「ただ失礼なんてもんじゃないよ」フェリシアはひどいしかめ面で唸った。
「うん、あいつの思いつくかぎり最悪の侮辱の言葉だ」ロンもまた顔をあげた。
「『穢れた血』って、マグルから生まれたっていう意味の──つまり両親とも魔法使いじゃない者を指す最低の汚らわしい呼び方なんだ。魔法使いの中には、たとえばマルフォイ一族みたいに、みんなが『純血』って呼ぶものだから、自分たちが誰よりも偉いって思っている連中がいるんだ」
 ロンが小さなゲップをすると、ナメクジが一匹だけ飛び出し、ロンの伸ばした手の中に落ちた。ロンはそれを洗面器に投げ込み、話を続けた。
「もちろん、そういう連中以外は、そんなことまったく関係ないって知ってるよ。ネビル・ロングボトムを見てごらんよ──あいつは純血だけど、鍋を逆さまに火にかけたりしかねないぜ」
「それに、俺たちのハーマイオニーが使えねえ呪文は今までにひとっつもなかったぞ」
 ハグリッドが誇らしげに言ったので、ハーマイオニーはパッと顔を紅潮させた。
「他人のことをそんなふうに罵るなんて、むかつくよ。フェリシアはもっと強力な呪いをかけてやればよかったんだ」
「そうだね、縛り呪文をかけて逆さまに吊るすくらいはしてやればよかったかも」
 ハーマイオニーとハリーがぎょっとした顔でフェリシアを見た。「それはさすがに、冗談よね?」
「フェリシアならやりかねないよ」
「だって」
「わかるよ。『穢れた血』だなんて、まったく。卑しい血だなんて。狂ってる。どうせ今どき、魔法使いはほとんど混血なんだぜ。もしマグルと結婚してなかったら、僕たちとっくに絶滅しちゃってたよ」
 そこでまた、ナメクジの波が押し寄せてきたらしい。ロンはうっとしかめ面をして洗面器に向き合った。
「ウーム、そりゃ、二人が呪いをかけたくなるのも無理はねぇ。だけんど、ロンの杖が逆噴射したのはかえってよかったのかもしれん。ルシウス・マルフォイが、学校に乗り込んできおったかもしれんぞ、おまえさんがやつの息子に呪いをかけっちまってたら。少なくともおまえさんは、面倒に巻き込まれずにすんだっちゅうもんだ」
「でも、フェリシアは、マルフォイを引っ叩いてしまったわ。くすぐりの術とはいえ、呪いもかけてしまったし……」
「引っ叩いたのはともかく、くすぐりの術くらいで乗り込んでは来ないでしょ」フェリシアはふてぶてしく鼻をならした。「『息子にくすぐりの術をかけるとはどういう了見だ!』なんて、格好がつかないもの」
「だけど……」
「まぁまぁ、ハーマイオニー。本当にルシウス・マルフォイが乗り込んでくると決まったわけじゃねえ。それに、ちゃーんと事情を説明すりゃあ、フェリシアがただ気まぐれにマルフォイを引っ叩いたんじゃねぇって、ダンブルドア先生やマクゴナガル先生は必ずわかってくださる。そう心配せんでも大丈夫だ」
 ハグリッドがそう言ってもハーマイオニーの顔は晴れなかったが、当のフェリシアはなに食わぬ顔でロンの背をさすった。
「大丈夫だよ。たとえマルフォイ氏が乗り込んで来たって、あの人には私を退学にする権限なんてないんだから」
 ルシウス・マルフォイが乗り込んで来るなら勝手に来ればいいのだ。何かしら──ひょっとしたらこの件には関係ないようなことまで──言われるだろうが、その時にはきっとフェリシアだけが呼び出されるだろう。ハリーたちの耳には入らない。たとえ親のことを言われても、ハリーたちが居ないところでなら構わないと思えたし、自分が間違ったことをしたとも思わなかったので、むしゃくしゃしているフェリシアはいつにもまして強気だった。
 ルシウス・マルフォイがなんだ。そりゃあ確かに、手を出したのは少し──ほんのちょっとだけ──悪かったかもしれないが、もっと悪いのは、ハーマイオニーに向かってあんな言葉を吐いたマルフォイのほうなのだ。
 ふいにハグリッドが思い出したように言った。
「ハリー、お前さんにもちいと小言を言うぞ。サイン入りの写真を配っとるそうじゃないか。なんで俺に一枚くれんのかい?」
「サイン入りの写真なんて、僕、配ってない。もしロックハートがまだそんなこと言いふらして……」
「からかっただけだ」
 ハグリッドはむきになったハリーの背中を笑いながらポンポン叩いた。きっとハグリッドは優しく叩いたつもりだったのだろうが、その勢いでハリーはテーブルの上につんのめった。
「お前さんがそんなことをせんのはわかっとる。ロックハートに言ってやったわ。お前さんはそんな必要ねえって。なんにもせんでも、お前さんはやっこさんより有名だって」
「ロックハートは気に入らないって顔したでしょう」
「あぁ、気に入らんだろ」ハグリッドの目がいたずらっぽくキラキラした。
「それから、俺はあんたの本なんかひとっつも読んどらんと言ってやった。そしたら帰って行きおった。ほい、ロン、糖蜜ヌガー、どうだ? フェリシアも」
 フェリシアは差し出されるまま糖蜜ヌガーを受け取ったが、ロンはナメクジの波が弱まってきたとはいえ、やっぱり気分が悪いようで、弱々しく断った。
 それからフェリシアが糖蜜ヌガーを食べ終わり、ハリーとハーマイオニーがお茶を飲み終わると、ハグリッドは小屋の裏の小さな野菜畑に四人を誘った。大岩のようなサイズのかぼちゃが十数個並んでいる。
 ハグリッドは幸せそうに言った。
「よーく育っとろう? ハロウィーンの祭用だ……その頃までにはいい大きさになるぞ」
「肥料は何をやってるの?」
「その、やっとるもんは──ほれ──ちーっと手助けしてやっとる」
 ハグリッドはモゴモゴと答えた。
 小屋の裏の壁にピンクの花模様の傘が立て掛けてあったので、フェリシアはハグリッドがやったことがなんとなくわかった。ハグリッドは三年生の時にホグワーツを退学になっていて、魔法を使ってはいけないことになっているらしいが、きっと上手いことあれこれやっているのだろう。
「『肥らせ魔法』じゃない? とにかく、ハグリッドったら、とっても上手にやったわよね」ハーマイオニーが半分非難しているような、半分楽しんでいるような言い方をすると、ハグリッドはロンに向かって頷いた。「お前さんの妹もそう言いおったよ」
「つい昨日会ったぞい。ぶらぶら歩いているだけだって言っとったがな、俺が思うに、ありゃ、この家で誰かさんとばったり会えるかもしれんって思っとったな」
 ハグリッドはハリーにウィンクした。
「俺が思うに、あの子は欲しがるぞ、おまえさんのサイン入りの──」
「やめてくれよ」
 ハリーがそう言うと、ロンはプーッと吹き出し、そこら中にナメクジを撒き散らした。フェリシアの肩にも一匹落ちてきたので、すぐさま払い落とす。
「気ーつけろ!」
 ハグリッドは大声を出して、ロンを大切なかぼちゃから引き離した。

170316
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