それから二、三日、ギルデロイ・ロックハートが廊下を歩いてくるのが見えるたびにフェリシアは憂鬱な気持ちになったし、ハリーはすかさず身を隠していた。その上──彼にとって更に厄介なことに──コリン・クリービーが一日に何度も目の前に現れては「ハリー、元気かい?」と呼びかけるので、ハリーは日に日にストレスが溜まっていくようだった。どれだけハリーが迷惑そうな声で返事をしようが、コリンは気にならないらしい。それどころか、返事をしてもらうだけで最高にわくわくしているようだった。
 最初の頃はそんな様子を気の毒に思っていたフェリシアだったが、木曜日の朝には他人事ではなくなっていた。コリンがルームメイトに頼まれたとかなんとかで、フェリシアの写真まで撮ろうとするようになったからだ。有名人でもないただのフェリシアの写真に、いったいなんの価値があるというのだろう。フェリシアは顔も知らないコリンの奇特なルームメイトを恨んだし、カメラを向けられるたびに顔を背け、手や本で顔を覆った。しかし、コリンはめげない。むしろフェリシアのほうが先にめげてしまいそうだった。実際、金曜日の昼にそのやり取りをジニーに目撃されたときには、居たたまれなくて消えてしまいたくなった。
 こんなところを双子に見られたらからかわれるに決まっている。あまつさえマルフォイにでも見られたら最悪だ。もちろんロックハートにも見られたくない。そのうち面白がった双子が妙なことをコリンに吹き込むのではないかという不安もある。
 胃が痛くなるような思いでようやく週末を迎え、ハリーもフェリシアも少しだけほっとした。土曜日の午前中は、いつもの四人でハグリッドを訪ねる予定だった。
「あれ? ハリーは?」
 土曜日の朝、寝室から談話室に降りてきたロンは一人だった。寝ぼけ眼をこすりながら、ロンは答えた。
「クィディッチ競技場。練習だって」
「こんな朝早くから?」
「クィディッチの練習があるなんて、ハリーは昨日一言も言ってなかったわよね」
「うん。急にウッドが起こしに来たみたいだ。メモが置いてあったよ」
 ウッドといえば、クィディッチに熱い男として評判だ。休日の早朝に叩き起こされたハリーを気の毒に思いながら、三人は大広間から朝食のトーストを持ち出して競技場に向かった。
 ところが、不思議なことに競技場には誰もいない。
「もう終わっちゃったのかな?」
 スタンドに座ってトーストをかじりながら待っていると、深紅のローブを着こんで箒を持った集団が更衣室から現れた。先頭を歩いているのはきっとウッドだろう。一人だけしゃっきりしている。ほかのみんなは、なんだか眠そうな歩き方だ。三人に気づいて顔をあげたハリーも、やっぱり眠そうだった。
「まだ終わってないのかい?」
「まだ始まってもいないんだよ。ウッドが新しい動きを教えてくれてたんだ」
 ハリーは暫しトーストをじっと見つめていたが、すぐにチームメイトのほうに戻っていった。
 やがて、ハリーが箒にまたがり空中に舞い上がった。素晴らしい飛びっぷりでフレッドやジョージと競技場の周りを飛び回るハリーは、とても生き生きとして見えた。見ているこちらの気持ちまで爽快になるような飛びっぷりを、フェリシアは目で追った。
 ──カシャッカシャッ。
 不意に、箒が風を切る音に混じって変な音が聞こえた。幻聴であってほしかったが、スタンドの最後部にコリンを見つけてしまい、フェリシアは思わず顔を覆った。
「うわ、ここにもいた」とロンが声をあげた。
 競技場にいた選手たちもコリンに気がついたらしい。ウッドが何か言っているようだ。そのうち、双子のどちらかが何かを指さした。その指の先に目をやると、グリーンのローブを着こんで箒を手にした集団が競技場に入ってくるところだった。
「スリザリンだわ」
 ウッドが勢いよく飛んでいった(あまりの勢いに地面に突っ込みそうになるほどだった)。続いてハリーと双子、アンジェリーナ、アリシア、ケイティと、グリフィンドール・チームの全員が集まり、スリザリン・チームと向かいあう。遠目に見ていてもわかるほど不穏な空気だ。
「行ってみよう」
 三人は芝生を横切って、二つのチームの元へ向かった。
 体の大きな選手ばかりのスリザリン・チームの中に、一人だけ小さな選手がいるのが見えた。──マルフォイだ。ドラコ・マルフォイが、スリザリンのクィディッチ・ローブを着込んでいる。
「どうしたんだい? どうして練習しないんだよ。それに、あいつ、こんなとこで何してるんだい?」
 ロンがマルフォイを見ながら言った。
「ウィーズリー、僕はスリザリンの新しいシーカーだ」マルフォイが満足げに言った。「僕の父上が、チーム全員に買ってあげた箒を、みんなで称賛していたところだよ」
 なるほど、確かにスリザリンの七人全員が真新しい箒を持っている。フェリシアは箒には詳しくないので、箒を見てもよくわからなかったが、あのマルフォイの父親がチームに買い与えるくらいなのだから、おそらく最高級の箒なのだろう。開いた口のふさがらないロンの反応を見るに、そうに違いない。
「いいだろう?」マルフォイが事も無げに言った。
「だけど、グリフィンドール・チームも資金集めして新しい箒を買えばいい。クリーンスイープ5号を慈善事業の競売にかければ、博物館が買いを入れるだろうよ」
 スリザリン・チームは大爆笑だった。フェリシアは不愉快さを隠すこともなく、マルフォイを見据えた。
「お金を撒かなきゃ選手になれなかった奴が随分と偉そうなことで」
「……なに?」
「少なくとも、グリフィンドールの選手は、誰一人としてお金で選ばれたりしてないわ。こっちは純粋に才能で選手になったのよ」ハーマイオニーがきっぱりと言った。
 マルフォイは自慢顔をちらりとゆがめ、吐き捨てるように言い返した。「誰もお前の意見なんか求めてない。生まれそこないの『穢れた血』め」
 フェリシアは耳を疑った。そんな、最低最悪のの忌むべき言葉を、平気で口にする人間がいたなんて。しかも──しかも、それが、よりにもよって自分の親族だなんて。怒りと悔しさと恥ずかしさとがごちゃ混ぜになって、目眩がするようだった。
 フレッドとジョージがマルフォイに飛びかかろうとしてフリントに阻まれたのも、アリシアが「よくもそんなことを!」と叫んだのも、遠くに感じるような気がした。
「マルフォイ、思い知れ!」
 ロンがかんかんになって杖を突きつけた。瞬間、バーンという大きな音が競技場にこだまし、逆噴射した緑の閃光がロンの胃のあたりに当たった。ロンがよろめいて尻餅をつき、ハーマイオニーが悲鳴をあげる。
「ロン! ロン! 大丈夫?」
 ロンは口を開いたが、言葉が出てこない。かわりに、とてつもないゲップとともにナメクジがこぼれ落ちた。
 スリザリン・チームは笑い転げた。ゲラゲラと不愉快な笑い声が耳にこだまして、フェリシアはほとんど何も考えずに杖を振った。
「ペトリフィカス トタルス!」
 目の前で箒にすがって腹をよじって笑っていたフリントが、ぴたりと手足を体に張りつけてひっくり返った。一瞬にしてスリザリン・チームの笑い声が引っ込み、ついさっきまで四つん這いで地面を叩きながら笑っていたマルフォイは、フリントが倒れたのを見て飛び起きようとした。マルフォイが杖をとろうと、ローブに手を伸ばす。しかし、それよりも早く、杖を持っていない手でフェリシアが思い切りその頬を引っ叩いたので、マルフォイは体勢を立て直せずに地面に倒れこんだ。
「フェリシア!」「ダメ!」「やっちまえ!」
 いろんな声が聞こえたが、フェリシアは気に止めなかった。
 マルフォイが信じられないという顔でフェリシアを見上げた。
「父上の忠告を無視したうえに、僕にこんなことをして、ただですむと思ってるのか?」
「そっちこそ、私の友だちを侮辱してただですむと思ってたの?」
「侮辱?」マルフォイは心底馬鹿にした表情で嗤った。「僕はただ、事実を言っただけのつもりだけどね」
「本気でそう思ってるわけ?」
「事実は事実だからね。君こそどうしてわからないんだい? 君に流れている血は──」
「そんなもの糞食らえよ」フェリシアは冷たく言った。
 アンドロメダは、ドラコ・マルフォイを嫌わないであげてと言ったけれど──フェリシアには、やっぱり無理だ。
「あんたなんか大嫌いだ」
「何を……好いてくれと頼んだ覚えもないが」
 後ろから、コリンを叱るハリーの声が聞こえた。それからボタボタと、またナメクジが落ちたのだろう音も聞こえる。
「傑作だな」マルフォイが笑った。つられるように、スリザリン・チームがまた笑い声をあげる。それはフェリシアの耳の奥でいやに反響した。
「……そんなに笑いたいなら一生笑ってれば? リクタスセンプラ!」
 途端に体をくの字に曲げて大きな笑い声をあげたマルフォイは、それとはちぐはぐに驚いた表情をしていた。スリザリン・チームも驚いたような表情でマルフォイを見ている。奇妙なことに誰もフリントの全身金縛りを解除していないので、コチコチのフリントがそばに転がったままだったし、今この場にスネイプが現れたら罰則は免れないなと思いながらも、フェリシアは自棄になって吐き捨てた。「お金で入れるチームって、馬鹿ばっかりなんだ」
 フェリシアは、ぜえぜえと息を切らしながら笑っているマルフォイに背を向け、ロンを抱えてハグリッドの小屋に向かう二人を追いかけた。
 頭も目も、熱い。

170316
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