「『ボージン・アンド・バークス』の店で誰に会ったと思う?」
 ハグリッドと別れ、グリンゴッツの白い階段を上りながら、ハリーが問いかけた。ボージン・アンド・バークス──夜の闇横丁にある怪しい店の一つだ。ハリーたちの知っている人物で、そんな店──ひいては夜の闇横丁なんてところにいそうな人物となると限られている。
「マルフォイと父親なんだ」
「ルシウス・マルフォイは、何か買ったのかね?」後ろからウィーズリーおじさんが厳しい声をあげた。
「いいえ、売ってました」
「それじゃ、心配になったわけだ。あぁ、ルシウス・マルフォイの尻尾をつかみたいものだ……」
「アーサー、気をつけないと」
 ウィーズリーおばさんが厳しく言った。ちょうど小鬼がお辞儀して、銀行の中に一行を招き入れるところだった。当然、辺りには他の魔法使いたちの姿も多い。
「あの家族はやっかいよ。無理してやけどしないように」
「何かね、私がルシウス・マルフォイに敵わないとでも?」
 おじさんはムッとしたようだったが、カウンターのそばにハーマイオニーの両親がいるのに気づくと、たちまちそちらに気を取られた。
「なんと、マグルのお二人がここに!」
 嬉しそうに呼びかけると、グレンジャー氏の持っている十ポンド紙幣に目を輝かせる。双子がやれやれと言わんばかりに肩をすくめた。
 フェリシアは金庫からお金を取り出す必要がなかったので、ウィーズリー一家とハリーが地下の金庫へ向かう間、グレンジャー一家と一緒に大理石のホールで待つことにした。グレンジャー氏とは去年のクリスマス休暇の時に顔を合わせているが、グレンジャー夫人とは初対面だ。
「あなたの話はよく聞いているわ。ハーマイオニーと仲良くしてくれてありがとう」
 笑ったときの目元がハーマイオニーとよく似ていた。


 ウィーズリー一家とハリーが戻ってくると、それからはそれぞれ別行動を取ることになった。パーシーは新しい羽ペンを買いに行くらしい。フレッドとジョージは二人の悪友 リー・ジョーダンを見つけたので、きっと三人でいたずら専門店へ行くのだろう。ウィーズリーおばさんとジニーは二人でジニー用の中古の制服を買いに行くことになり、ウィーズリーおじさんはグレンジャー夫妻に、漏れ鍋でぜひ一緒に飲もうと誘った。
「一時間後にみんなフローリシュ・アンド・ブロッツ書店で落ち合いましょう。教科書を買わなくちゃ」
 ウィーズリーおばさんはそう言うと、ジニーを連れて歩きだした。もちろん、双子の背中に向かって「『夜の闇横丁』には一歩も入ってはいけませんよ」と釘を刺すのも忘れない。
 フェリシアたちは、いつもの四人で曲がりくねった石畳の道を散歩した。
 ハリーが買ってくれた苺とピーナッツバターの大きなアイスクリームを食べながら路地を歩き回って、ウィンドウ・ショッピングを楽しんだ。ロンが高級クィディッチ用具店のウィンドウに貼りついて動かなくなったり、そんなロンをハーマイオニーの買い物──インクと羊皮紙だ、彼女らしい──のために引きずって行ったり、家族で買い物に来るときよりもずっと騒がしくて面白い。
 ギャンボル・アンド・ジェイプスいたずら専門店では、双子とリーの三人組に出会った。手持ちが少なくなったからと、ドクターフィリバスターの長々花火を買いだめしている。新学期、初めにその餌食になるのはきっとフィルチだろう(それとも、ネビルだろうか)
 ちっぽけな雑貨屋では、パーシーを見つけた。「権力を手にした監督生たち」という本を恐ろしく没頭して読んでいる。ロンがからかうと、パーシーは「あっちへ行け」と噛みつくように言って四人を追いやった。
「そりゃ、パーシーは野心家だよ。将来の計画はばっちりさ……魔法省大臣になりたいんだ……」
 一時間後、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店に向かった。書店は驚くほどの人だかりが出来ていてる。それも、ウィーズリーおばさんくらいの年齢の魔女ばかりだ。押し合い圧し合いしながら、中へ入ろうとしている。
 その理由は、上階の窓に掛けられた大きな横断幕を見てわかった──「サイン会 ギルデロイ・ロックハート 自伝『私はマジックだ』本日午後12:30〜4:30」──なんてタイミングが悪い。
 眉をひそめたフェリシアの隣で、ハーマイオニーが黄色い声をあげた。
「本物の彼に会えるわ!」
「えっ」
 フェリシアは思わずハーマイオニーの顔を見つめた。彼女は早くも頬を紅潮させている。
「だって、彼って、リストにある教科書をほとんど全部書いてるじゃない!」
 四人は人垣を押し分けて、なんとか中に入った。長い列は店の奥のほうまで続いていて、そこでギルデロイ・ロックハートがサインをしている。フェリシアはハーマイオニーに引っ張られるようにして、「泣き妖怪バンシーとのナウな休日」を手にウィーズリー一家とグレンジャー夫妻が並んでいるところにこっそり割り込むことになった。
「まあ、よかった。来たのね」ウィーズリーおばさんは息を弾ませ、何度も髪を撫でつけている。どうやらおばさんもロックハートのファンらしい。「もうすぐ彼に会えるわ……」
 そのすぐそばでは、双子が呆れ顔をしていた。
「俺たちは別にサインがほしいわけじゃないんだけどな」
 フェリシアはそれにしみじみと頷いた。教科書に指定されている本さえ買えれば、それで十分だというのに。
 列は少しずつ前へ進み、人垣に隠れていたギルデロイ・ロックハートの姿もだんだん見えてきた。座っている机の回りには、ロックハートの大きな写真がぐるりと貼られている。写真の中のロックハートが人垣に向かっていっせいにウィンクをしては、輝くような白い歯を見せびらかしているのを見て、フェリシアはなんだか目眩がした。
 本物のロックハートは、勿忘草色のローブを着て、三角帽を小粋な角度で──彼なりのこだわりがあるのだろう──被っている。その周りを大きなカメラを持った小男が躍り回って、何枚も写真を撮っていた。
「そこ、どいて」カメラマンがちょうど良いアングルを求めて後退りし、ロンに向かって低く唸った唸った。
「日刊予言者新聞の写真だから」
「それがどうしたってんだ」
 ロンが踏まれた足をさすりながら言った。それが聞こえたようで、ロックハートが手を止めて顔をあげた。まずロンを見て──それからハリーを見て、勢いよく立ち上がったかと思うと、大きな声で叫んだ。
「もしや、ハリー・ポッターでは?」
 興奮した囁き声があがり、人垣がパッと割れた。ロックハートが列に飛び込み、不憫なハリーの腕を掴んで正面に引っ張っていく。人垣はいっせいに拍手した。ロックハートがハリーと握手すると、カメラマンは激しくシャッターを切る。
「ハリー、ニッコリ笑って!」ロックハートが輝くような歯を見せながら言った。
「一緒に写れば、君と私とで一面大見出し記事ですよ」
 助けを求めるような顔のハリーと目があったが、フェリシアにはどうすることもできない。お気の毒様、だ。
 目配せをすると、フェリシアにとって最悪なことが起きた。ロックハートがフェリシアに気がついたのだ。
「おやおや、熱い視線を送りあったりなんかして──もしかして、ハリーのガールフレンドかな?」
 突然なんてことを言い出すんだろう、フェリシアはぎょっとして後ずさりながら、首を横に振った。
「ち、違います」
「違うんです、彼女はただの友達で──」 
「照れなくていいんだよ、ハリー! その歳で君くらい有名なら、ガールフレンドの一人や二人いてもおかしくはないでしょう。可憐なお嬢さん、どうです? 君も一緒に写真を──」
「結構です!」
 フェリシアは叫ぶように言った。カメラがこちらを向いたので思いきり顔をそむけ、双子の背中に回り込む。たとえ一枚でも写真を撮られて、うっかり新聞なんかに載せられては堪らない。それを見た誰かにこの顔と似た男を思い出されてしまったら、きっと大変なことになる。
「ふむ、彼女はシャイらしいね!」
 ロックハートが腹が立つほど朗らかに笑って言ったので、フェリシアはうっかり舌打ちをしてしまいそうになった。もしも今がホグワーツの学期中で、彼がホグワーツの生徒だったなら、今頃フェリシアは舌打ちするどころか彼に向けて杖を振っているだろう。
 ハリーは先程からずっと否定していたが、不思議なことにロックハートには一言も聞こえていないようだった。ひょっとすると彼の耳は飾りなのかもしれない。
 ハリーはウィーズリー一家のところに一刻も早く戻りたそうだったが、ロックハートはそれにも全く気づかずにハリーの肩に腕を回して、がっちりと自分のそばに締めつけた。
「まあ、こういうことには、向き不向きがありますね。シャイなお嬢さんを困らせるのは、私の本意ではありませんから──さて、みなさん」
 ロックハートは声を張り上げ、手でご静粛にという合図をした。こうも騒がしくさせたのはどこの誰だと思っているのだろう。
「なんと記念すべき瞬間でしょう! 私がここしばらく伏せていたことを発表するのに、これほどふさわしい時間はまたとありますまい!」
 フェリシアは双子の片割れの背中にぴったりと張りついたまま、顔をしかめた。なんだか嫌な予感がしたからだ。
「ハリー君が、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店に本日足を踏み入れたとき、この若者は私の自伝を買うことだけを欲していたわけであります──それを今、喜んで彼にプレゼントいたします。無料で──」人垣がまた拍手した。「──この彼が思いもつかなかったことではありますが──」
 ロックハートの仰々しい演説は続く。肩を揺すられた拍子にハリーの眼鏡が鼻の下までずり落ちたが、ロックハートは気づいた様子がない。
「間もなく彼は、私の本『私はマジックだ』ばかりでなく、もっともっとよいものをもらえるでしょう。彼もそのクラスメートも、『私はマジックだ』を手にすることになるのです。みなさん、ここに、大いなる喜びと、誇りを持って発表いたします。この九月から、私はホグワーツ魔法魔術学校にて、『闇の魔術に対する防衛術』担当教授職をお引き受けすることになりました!」
 途端に人垣が沸いた。そして、大きな拍手。……何が大いなる喜びだって?
「大いなる絶望の間違いでしょ……」
「いーや、少なくともハーマイオニーにとっては、大いなる喜びで間違なさそうだぜ」
 いつになく神妙に、双子の片割れが言った。見てみれば、ハーマイオニーは頬を染めて拍手を送っている。二度目の目眩を覚えた。
 今日のこのわずかな時間で、確信してしまった。 フェリシアはギルデロイ・ロックハートが苦手だ。そして、新しい教授は予想していたような魔女ではなくて魔法使いだったが、きっと予想していたよりもはるかに気が合わないことだろう。

161124
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