或るとんちんかんな話
「私、マスルールのことが好きなの」
「……ああ」

 なけなしの勇気を振り絞り打ち明けた想いに対する返答は、その一言だった。勇気は数秒前に振り絞ったばかりで、底をついている。その時の私はそれ以上の言葉を続けることも、それ以上の返答を貰うことも出来ず、逃げるようにその場を去った。
 今思えば、ちゃんと踏み込んで問うべきだった。貴方は私のことをどう思っているのと、明確な言葉で以て尋ねるべきだったのだ。
 ただでさえ言葉少なな彼のことである。受身では駄目だ。そう思ったからこそ想いを告げたのに、これでは何も変わらない。なんというか、ツメが甘かったというわけだ。
 結局、あの告白以前と今とで態度や関係が変わることもなく、今まで通りの関係が続いている。マスルールがあまりにもいつも通りだったから、私もどうすることも出来なかった。逆に言えば、マスルールがいつも通りだったからこそ、私もいつも通りに振る舞えたともいえる。
 そんな"いつも通り"はもどかしくもあり、有り難くもあった。告白に踏み出すその前に散々悩んだのは、断られて、これまでの居心地の良い関係さえ崩れ去ってしまうのではないかという思いに駆られたからである。明確な答えを得られなかった代わりに何も失いはしなかったのだから、考えようによってはとんとんといったところなのかもしれなかった。
 けれども今のままの関係が崩れるかもしれなくとも、それでも想いを伝えたのにはやはりそれなりの覚悟があったわけで。……嗚呼、やんぬるかな。ジャーファルさんに頼まれた資料を腕に抱え歩く廊下は何処までも延々と続くように思えて、そんな風に考えてしまう自分を馬鹿馬鹿しいと一笑してやる余裕もない。

「お、やっと見つけたぜ、ナマエ」
「…シャルルカン。やけに上機嫌でどうしたの」
「今日仕事が終わったらいつもの店に飲みに行くんだけどよ、お前も来るだろ? つーか来いよ」
「うわ、なんて横暴な。……正直なところ今日は遠慮したい気分なんだけど、」
「マスルールも来るぜ」
「…………そう」

 シャルルカンは、私のはっきりしない返答に おや という顔をする。私の気持ちを知る彼は、マスルールの名を出せば間違いなく私が釣れると思っていたのだろう。お生憎様、今回ばかりはそうはいかない。

「来ねえの?」
「うーん……」
「来いよ」
「いや、丁重にお断りさせて頂きます」
「つれねえな、来いって。俺とお前の仲だろ」
「ジャーファルさんに言いつけるよ」
「なんでだよ!」

 いつの間に私の隣に並んでいたシャルルカンにがっしりと肩を組まれ、思わず眉間にしわを寄せた。こうなると彼は面倒臭いのだ。
 両肩にのし掛かる重さもさることながら、彼なりのお洒落のつもりなのだろうか、いつも首に掛かっている鎖が押し付けられて少し痛い。大袈裟にしかめっ面をしてやっても、シャルルカンは気にする素振りさえ見せずに「なあ、来いって!」と騒いだ。

「ほかの人を誘えば良いでしょうよ」
「わかってねーな。酒を飲むなら華がほしいだろ!」
「私である必要がないよね」
「いや、お前も女だし?」
「ヤムもピスティも女だし、なんなら女の子がたーくさんいる店にでも行ったら良いじゃない」
「……あのなぁ、」
「何やってるんすか」

 ぎくりと全身が強張った。そこに立っているのが誰かなど、顔をあげるまでもなく分かっている。

「おーマスルール。こいつが飲みに行かないっつってきかねーんだよ」
「じゃあ、俺も行くのやめます」
「はぁ!?」
「俺は、ナマエさんが行くって話だったから行くって言っただけです」

 えっ。相変わらず下を向いたまま(肩にのし掛かられているせいで頭があがらないのだ)思わず声を上げると、マスルールが呟くのが聞こえた。

「酔った先輩に手を出されたりしたら堪ったもんじゃないんで…」
「……は? なに? お前らもしかして付き合ってんの?」
「まあ、はい」
「えっ」
「え?」

 顔はあげられなくても、二人がこちら見たのが気配で分かった。「『えっ』てどういうことだよ」とシャルルカンに問われても、それを訊きたいのはむしろ私のほうである。

「だってマスルール、あのとき『ああ』としか……」
「……おい、そりゃ駄目だろマスルール。どう考えても返事になってねえよ」
「……?」

 肩が重いせいか、それとも突然衝撃の真実が明らかになったせいかは定かでないけれども、なにやら頭が痛いような気がする。嗚呼、悶々としてきた日々はなんだったのだろう。
 しかし、私が好きになったのはそういう人で、そういうわかりづらいところも含めて私は彼を好いているのだった。残念ながら、彼のわかりづらいところをわかるようになるには、もう暫く時間が必要そうである。

「愛してるぜナマエ! ぐらいのことは言えよ」
「腹立つんで黙ってもらって良いですか。あと早くナマエさん離して下さい」
「お? 嫉妬かー?」
「黙って下さい」

 傍らではそんな会話が交わされていて、思わず笑ってしまう。
 馬鹿馬鹿しいなあ。

150501
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