No.6
きっとずっと隣り合わせだということ
 自分が結婚するとは、王になる前のシンドバッドに出会ったときの自分は露ほども思っていなかった。ましてやその相手がジャーファルだなんて。
 ジャーファルは、周りが尊敬を通り越して一種の呆れを覚えてしまうほどには仕事一筋の人間である。その人が結婚をするというだけでも国中が大騒ぎになったというのに、その相手が私とくればなおのことだった。
 なにしろ私たちには、恋人としてのお付き合いの期間が全くない。
 ジャーファルほどではないにしろ、私もシンドバッド王の部下としてはそれなりの古参なので、いまさらお付き合いも何もないだろうという王様とヒナホホ殿の推しに負け、想いを伝えあってひと月もしないうちに祝宴をあげたのだ。少し急ぎすぎたのではないかなと思わなくもなかったけれども、今のところは順調な毎日である。
 結婚しても相変わらず、私たちは王宮に暮らしている。これまでより大きな部屋を頂いて、二人してそこに移ったのだ。ジャーファルの私物の少ないことといったら、引っ越しの手伝いに来てくれたヤムライハが喫驚するほどだったのだけれども、それはまた別の話である。

「今日もまた遅くなるの?」
「……そうなるでしょうね。この前またシンが難民を連れて帰って来ましたから……」

 官服をきっちりと着込んだジャーファルは、はあ、と大きな溜息を吐いて額に手をあてがった。その言動とは裏腹に、どこか生き生きとして見える。やはりどこまでも仕事一筋の人らしい。
 これでも結婚してからきちんと部屋のベッドで眠るようになったし、以前のように何日も続けて徹夜することも随分と減ったのだ。宴の前後には忙しくて帰って来ないこともあるけれども、そういうときでも必ず朝のうちに一度、仕事が始まる前に帰ってくる。きっと彼なりに私との時間を大切にしてくれているのだろうと思う。

「無理はしないでね」
「なんとか帰って来れるように頑張ります」
「わかった、待ってる」

 それでもきっと夜のうちには帰って来ないのだろうと苦笑すれば、ジャーファルは私の頬を軽くつねった。

「夜のうちに帰ってくるよ」
「……やだ、なんでわかったの」
「十年以上一緒にいれば、何を考えているかなんてだいたいわかります。ただでさえエルハームはわかりやすい」
「そんなことないわ。……もちろん、マスルールやドラコーン将軍と比べたら、だいぶわかりやすいかもしれないけれど」
「まあ、あの二人はね」

 くすくすと柔らかく笑う声が耳に心地よい。私もつられてくすりと笑った。

「とにかく、なるべく早く帰るから」
「でも今が一番忙がしいでしょ?」
「それはそうなんだけどね。……もう少ししたら、しばらく会えなくなるでしょう?」

 先程頬をつねった手が、今度はうんと優しく頬を撫でた。
 来週から、私は外交のためにアルテミュラに発つ。私もこれでも外交官の端くれなので、もともと遠征が多かった。結婚したばかりの私たちに気を遣ってか、近頃の行先はシンドリア近海のトランの民が住まう島くらいだったのだけれども、アルテミュラとのやり取りとなると女性はなるべく多いほうがいい。ところがシンドリアの外交官に女性は片手で数えられる人数しかいないうえに、その大半がまだ日の浅い新人ときている。そこで古参の私に白羽の矢が立ったのだった。
 そう距離の近くない国だ。向こうについてからやらねばならないこともある。シンドリアに帰ってくるのは数ヵ月先になるだろう。

「君がこの部屋で待っていてくれるうちは、ちゃんと帰って来たいんです」
「そう言ってくれるのは嬉しいけれど、私がアルテミュラに行っている間も、ちゃんとこの部屋に帰って来てしっかり睡眠をとってほしいわ」
「そうですね……善処します」
「……もう」

 以前のように一晩中寝ずに羽ペンを握り続けるジャーファルを思い浮かべるのは、ピスティの嘘泣きを見破ることよりもずっと容易いことだった。目の下に隈をこしらえて、寝不足でぎらぎらと不自然に光る目をしたジャーファルの有り様は、見る者にちょっとした恐怖を与えるのだけれども、彼は気がついているのだろうか。
 頬を撫でるジャーファルの手をとって、たこの出来た指に自分の指を絡ませる。出会った頃には大差なかったはずの掌は、いつからか私よりずっと大きくなっていた。それをふとした瞬間に実感しては何度だって驚いてしまう。身長もまた然りで、私のほうが少し高いくらいだったはずが、今では私が少し見上げなければいけないのだ。

「エルハームが仲間に加わったときは、まさか将来こういう仲になるとは思ってもみませんでした」
「私も。初恋の人はシンだったしね」

 付き合いの長い仲間の誰もが──ヒナホホ殿やドラコーン将軍、それどころかシンドバッド王本人でさえも──知っていることだったけれども、たちまちジャーファルが苦い顔をした。

「よく覚えています。いつもシンばかり追いかけていましたね」
「昔の話よ。安心して、今はジャーファル一筋だから」
「……それは、どうも」

 晴れないままのその顔を覗きこむと、彼は決まり悪そうに言う。

「私は当時から、君が好きだった」
「……うそ、私はあの頃、あなたに嫌われていると思ってた」
「辛辣なことも随分言いましたからね。だから私も、君には嫌われているだろうと……」
「それじゃ、あれってやきもちだったの?」

 そう言うと、彼は押し黙った。つまりそれは図星ということなのだろう。
 私はジャーファルの言葉を一通り反芻し、それからなんだかとても可笑しくなった。思わず笑いながら、「今はジャーファルが一番好きよ」と先程と似たようなことを繰り返すと、彼は満足そうな恥ずかしそうな顔をして笑い、誤魔化すように早口で言った。

「そろそろ行かないと」
「……そうね。いってらっしゃい」
「はい、いってきます」

 お互いの頬にキスを送り、また笑いあった。

150808 / title by 幸福
- ナノ -