No.4
なんでもない日に祝福を
「今日は仕事が休みなんです」

 そう言ったジャーファルさんの顔を、穴があくほど見つめてみる。徹夜明けの隈が刻まれた顔でもなく、寝不足で朦朧とした顔でもない。それでもジャーファルさんは、いつものジャーファルさんからは想像も出来ないような言葉を放ったのだ。私は到底信じられず、訝しむのを隠しもせずに口を開いた。

「一体どうしたんですか。ジャーファルさんがお休みだなんて」
「私も驚いているんですよ。ほかの文官達に、頼むから休んでくれと言われて」
「……まあ、ジャーファルさんが常にお忙しくしているのを見たら、部下の方々はお休みも取りにくいでしょうしね」
「それもそうなんですが、先日四日ほど寝ずに仕事をしていたときにどうも私が奇行を起こしたらしくて」
「……き、奇行?」
「ええ。それがとても恐ろしかったとかで……。きちんと休むようにと。シンからもきつく言われてしまいました」

 ジャーファルさんが苦笑を浮かべるのを見ながら、私は部下の方々の心中を察して内心手を合わせた。どんな奇行に走ったのやら知らないけれども、徹夜続きの上司が突然異常な行動に出れば、恐怖を覚えもするだろう。それが普段は生真面目で頼りになると評判の政務官殿なら尚更だ。私だって見たくはないし、想像しただけでぞっとする。勿論奇行と一言にいっても様々あるだろうから、実際は何を仕出かしたのか気になるところではあったけれども、どうやらジャーファルさん自身が知らないようだった。きっと文官達が上司の名誉のために口をつぐんだに違いない。英断である。

「……では、今日は一日お休みなんですね?」
「はい。すっかり持て余していますが、丸一日休みを頂いていますよ」

 私は、ジャーファルさんに尋ねながら彼の頭から爪先までを眺めた。休みだというには、少し不自然なことがある。

「……あの……それではなぜ、官服を?」

 私の知る限りでは、ジャーファルさんは仕事中毒のような人である。仕事をしていないと落ち着かない、ある意味奇特な性質の人で、私を始めとして多くの者が、シンドバッドと足して二で割れば丁度良いだろうにと思っているほどだ。
 休みだと言いつつ官服を着こんだジャーファルさんは、文官専用の前掛けまでしっかりと身に付けていた。このままでは、せっかくの休みもふいにしてしまいかねない。
 そんな懸念から問いかけたのだけれども、返ってきたのは予想外の言葉だった。

「ああ、これは……私服を持っていないものですから」
「えっ?」
「私服を着る機会なんて滅多にありませんからね。気がついたら、14のときにシンに頂いたものしかなかったんです」

 苦笑というよりは、照れ笑いのようにも見えた。14歳のときに貰った服など、当然今は小さすぎて着られまい。確かにジャーファルさんは四六時中仕事漬けで忙しい人ではあるけれども、私服のひとつもないというのは驚きだ。困ることもあるだろう。いや、これまで困ることが無かったが故に、こういう事態になったのかもしれないが──私は暫し考え、何度か躊躇ってから、ゆっくりと口を開いた。

「よければ、一緒に買い物に行きませんか」


***

 こうして二人街にやって来たわけなのだけれども、ジャーファルさんが相変わらず官服を着ているおかげか、どうやら国民は皆 政務官が視察に来たのだと思っているようだった。愛想良い笑顔で出迎えてはくれるものの、どことなく表情が強張っている者がいたり、逆に心から労るように「今日もご苦労様でございます!」と挨拶が飛んできたりと、休日の買い物とは呼べない有り様である。私のほうも、常日頃から自由な格好で過ごしているため私服という概念が当てはまらず、政務官の手伝いで来ていると思われているらしかった。

「この辺りへ来たのは久々です」

 今しがた通り過ぎた店の陽気な主人がくれたアバレヤリイカの燻製を手に、ジャーファルさんが言った。

「相変わらず活気があって良いですね。……エルハームさんはよくこちらへ?」
「誘われれば来る程度です。いつ来ても笑顔がいっぱいで、人が親切で──シンドリアの良さが滲み出ていると、いつも思います」

 私もジャーファルさんも、手には様々な『お裾分け』を抱えている。今朝採れたばかりだという果物を幾つも頂いたし、燻製も干し肉もある。綺麗な反物を薦めてきた人もいたけれども、一目見て上質だとわかるそれは『お裾分け』と呼ぶにはあまりにも高価に思え、二人して丁寧に断った。

「でも、この荷物では……服を買いに行くのは、また今度にした方が良いかもしれませんね」
「ジャーファルさんの『今度』はいつになるやら」
「私が口先ばかりの人みたいな言い方はやめてください」
「そこまでは言いませんけれど。ジャーファルさんが休日と無縁なのは、皆が知っていることですよ」
「それは、まあ……不本意ながら、そのようですね」

 ジャーファルさんがくすくすと笑った。先程までのことを思い出しているのだろう。誰も、ジャーファルさんが休みだとは露ほども考えていない様子だったのを思い出し、私も小さく笑った。
 たとえばマスルールやシャルルカンと来たときなどは、「お二方は、今日はお休みなのですね」と声をかけられることのほうがずっと多い。それを知っているだけに、ジャーファルさんは職務中なのだと信じて誰一人疑わなかったことを改めて考えると、なかなか面白いことだと思った。
 思い返してみれば私自身も、最初は『ジャーファルさん』と『休み』という単語が結び付かなかったのだ。国民は尚更そうだったろう。最早シンドリア国民の共通認識といっても過言では無いかもしれない。

「もしも『今度』があれば、ぜひまたご一緒させてください」
「ありがとう、こちらこそぜひお願いします」

 きっとそうすぐには訪れないだろう『今度』のことを言い合いながら、私たちは休日が終わっていくのを惜しむようにゆったりとした足取りで街を歩いた。以前は眩しく遠くに感じていたこの街も、今な幾らか近くに感じられる。だってどうせ誰も露ほども思いやしないのだ──元暗殺者が二人、笑い合っているだなんて。

150712
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