フェリシアが医務室を出ることを許されたのはその翌朝だった。ハリーはまだ目を覚ましていない。後ろ髪を引かれる思いで談話室に戻ると、誰かが「フェリシアだ!」と叫んだのを合図にいくつもの目がフェリシアを見た。すぐにハーマイオニーが駆け寄ってきて、続いてやってきたロンやウィーズリーの双子、リーたちに揉みくちゃにされ、フェリシアはようやく一息つけたような気がした。
 不思議なことに、ハリーがやってのけたことは既に学校中の噂になっていた。といっても当事者のハリーはあれからずっと眠ったままなので、勝手な憶測が尤もらしく飛び交い、様々な尾ひれがついている。みんなは事の真相を知りたがったが、それにはただハリーが目を覚ますのを待つしかない。ハリーはなかなか目を覚まさず、気もそぞろのうちに最後のクィディッチ試合──グリフィンドール対レイブンクロー戦──は大敗を喫し、グリフィンドールは最下位のまま、学年末パーティーの前日を迎えた。
 ハリーがを覚ましたのはその日のことだ。マクゴナガル先生から知らせを受けるなり、三人は急いで医務室に向かった。マダム・ポンフリーは「彼には休息が必要なんですよ」と言って最後まで渋ったが、ハリーの懇願の甲斐あって五分だけという条件で面会を許してくれた。
「あぁ、ハリー。私たち、あなたがもうダメかと……ダンブルドア先生がとても心配してらっしゃったのよ……」
「学校中がこの話でもちきりだよ。本当は何があったの?」とロンが聞いた。
 ハリーは一部始終を話してくれた。最後の部屋にいたのはスネイプではなく、いつもと様子の違うクィレルだったこと。そこにはハリーがクリスマスに見つけたという、見る者の望みを映す不思議な鏡──みぞの鏡──が置いてあり、その鏡を通して思いがけずハリーが『石』を手に入れてしまったこと。クィレルのターバンの下には、ヴォルデモートの顔があったこと──
 ハーマイオニーは大きな悲鳴をあげ、フェリシアはぞっとして身震いした。この一年、そんな人間から闇の魔術に対する防衛術を習っていたなんて。
「それじゃ『石』はなくなってしまったの? フラメルは……死んじゃうの?」
 最後にロンが尋ねた。
「僕もそう言ったんだ。でも、ダンブルドア先生は……ええと、なんて言ったっけかな……『整理された心を持つ者にとっては、死は次の大いなる冒険に過ぎない』と」
「だからいつも言ってるだろう。ダンブルドアは狂ってるって」と、ロンは尊敬するヒーローの調子っ外れぶりにひどく感心したようだった。
「それで君たちの方はどうしたんだい?」
 ハリーが聞いたので、フェリシアたちもハリーと別れてからのことを話した。わざと怪我のことを隠して話したのに、それに気づいたロンとハーマイオニーが話してしまったので、フェリシアは大袈裟なほど心配される羽目になった。(「フェリシアったら、腕が痛むなんて一言も言わないんだもの」「大したことないと思って……でももうすっかり治ったんだから、いいでしょ、その話は」)
「それにしても……ダンブルドアは君がこんなことをするように仕向けたんだろうか? だって君のお父さんのマントを送ったりして」とロンが言った。
「もしも……もしも、そんなことをしたんだったら……言わせてもらうわ……ひどいじゃない。ハリーは殺されてたかもしれないのよ」
「ううん、そうじゃないさ」
 考えをまとめながら話しているのだろう、ハリーはゆっくりと首を横に振った。
「ダンブルドアって、おかしな人なんだ。たぶん、僕にチャンスを与えたいって気持ちがあったんだと思う。あの人はここで何が起きているか、ほとんどすべて知っているんだと思う。僕たちがやろうとしていたことを、相当知っていたんじゃないのかな。僕たちを止めないで、むしろ僕たちの役に立つよう必要なことだけを教えてくれたんだ。鏡の仕組みがわかるように仕向けてくれたのも偶然じゃなかったんだ。僕にそのつもりがあるのなら、ヴォルデモートと対決する権利があるって、あの人はそう考えていたような気がする……」
「あぁ、ダンブルドアってまったく変わっているよな」
 ロンが誇らしげに言った。
「明日は学年末パーティーがあるから元気になって起きてこなくちゃ。得点は全部計算がすんで、もちろんスリザリンが勝ったんだ。君が最後のクィディッチ試合に出られなかったから、レイブンクローにこてんぱんにやられてしまったよ。でもごちそうはあるよ」
 その時マダム・ポンフリーが勢いよく入ってきて、キッパリと言った。
「もう十五分も経ちましたよ。さあ、出なさい」
「あっ、待って、あと五分だけ──」
「もともと五分の予定だったでしょう」
「お願いします、せめてフェリシアだけでも、あと五分」
 フェリシアは首を傾げた。マダム・ポンフリーは怖い顔をしていたが、ハリーがあまりに必死に見えたのか、「本当に五分だけですよ」と念を押してロンとハーマイオニーを医務室から追い出した。
「なんで私だけ?」
「これを返さなくちゃと思って」
 ハリーはサイドテーブルに綺麗に畳んで置かれていたハンカチを差し出した。
「ありがとう」
「どういたしまして。別にあとでも良かったのに」
「ううん、今、お礼を言いたいんだ。僕、このハンカチに助けられたよ」
「本当? ママのおまじないが効いたのかな」
 フェリシアは冗談のつもりで微笑んだが、ハリーは真面目な顔で頷いた。
「ダンブルドアが、持ち主を悪意ある攻撃から守る魔法がかかってるって言ってた。きっと君のママがかけた魔法だろうって」
「ママが……」
 フェリシアは息をのんで、それから、困惑してしまった。「それって……」
「はっきりとはわからないけど、あるいはどちらも、ってダンブルドアは言っていたよ」
 自分の産みの親と育ての親が違うことを、ハリーには少しだけ話したことがあったのを思い出した。この話をするために、気を遣ってフェリシアだけを残したのだ。
「……ありがとう」思わず感謝の言葉が口をついて出た。
「どうして君がお礼を言うんだい。お礼を言うのは僕だよ……それから、ごめん。君はクィレルのおかしなところに気づいていたのに、僕たちは聞き入れなかった」
「え……ああ……そんなこともあったっけ。気にしてないよ」
 フェリシアがなんて事のないように答えると、ハリーはほっとした顔をした。それから、不意に何かを考え込むように俯いた。
「どうかした?」
「いや……あー、その……改めて、本当にありがとう。君が友達でよかった」
 まるで心臓を鷲掴みにされたような気がした。とても嬉しいのに、手放しに喜ぶことができない。フェリシアは何も言えなかったが、ハリーはそのまま言葉を続けた。
「もしもそのハンカチが、ただのハンカチだったとしても……」
 続きを言おうか言うまいか、躊躇っているように見えた。しかし、マダム・ポンフリーの足音で、あまり時間がないことを思い出したのだろう。ハリーは意を決したように真っ直ぐにフェリシアを見て、早口に言った──ほんのり顔を赤くして。
「それでも、やっぱり心強かったよ。君がすぐ側にいてくれているような気がしたから」

160902
prevnext
- ナノ -