氷に火花

◎スポエピSS『氷像の記憶(5)』の掘り下げ
◎捏造が多い



 フィガロは初めて訪れる谷底の町を見渡して、目を眇めた。
 ──随分手が込んでいて、余所者には居心地の悪い町だ。


 谷底の町には一人の魔女が住んでいる。その魔女は長年ブラッドリーと懇意にしているらしい。
 証拠を押さえているわけではないものの、かねてから「ブラッドリーに囲いの女がいるようだ」という噂は耳にしていたし、谷底の町の魔女を気まぐれに構っている双子が「ブラッドリーが谷底の町に出入りした形跡を見たことがある」と言うのだから、事実と見てほぼ間違いない。ブラッドリーを捕らえた後、誰から言い出すでもなく谷底の町へ向かうことが決まったのも、当然の流れだった。目的は無論、魔女の尋問だ。
 谷底の町の魔女、ベリル。かつて忘却の谷と呼ばれた土地に町を興し、以来ずっと人間を自分の庇護下において生きている。滅多に表に出て来ないため、弱くもないのにあまり名が知られていない。北の国においては、少し変わった魔女だ。
 双子と違い、フィガロはベリルとの関わりを持たなかった。姿を見たのも一度きり、それもベリルがまだ少女だった頃のこと。
 当時はおそらく十代の前半くらいだったろうが、フィガロを前に物怖じをしない、気の強い少女だった。決して馬鹿ではない。どちらかといえば利発で、相手が年長者とみれば相応の態度をとることもできた。ただ、おべっかは使えない。世辞のひとつでも言っておけば丸くおさまるところで、馬鹿正直に自分の言いたいことを言う。引いておけばいいようなところで、引かずに食い下がってしまう。その意味では愚かで、年相応に幼稚だった。もっともそれも、幼なくとも北の魔女であることを思えば、さもありなんというやつである。
 以降、接点もなく数百年。その間、取り立てて目につくようなことも鼻につくようなこともない魔女だったから、「まさかここにきてベリルの名前が挙がるとは」というのが今のフィガロの正直な感想だった。ブラッドリーが特定の女を作るというのも意外な話だと思うし、それがベリルだというのもつくづく意外だ。よほどベリルがブラッドリー好みだったのだろうか。
 案外、谷底の町が巧妙に隠されていることが、ブラッドリーにとって都合が良かっただけかもしれない。あの男はしがらみになるものを他人に悟られたくないだろうし、人目に触れないよう隠しておきたいだろうから、ベリルがあまり表に出ないことも好都合だったはずだ。
 あるいは因果関係が逆で、ベリルはブラッドリーのために敢えて目立たないように振る舞っていた、とか。ベリルにそんな一面があるとは思い難いが、惚れた男の弱みになるくらいなら我慢のひとつや二つ、するのかもしれない。……そんなふうに色々と考えてみたところで、結局すべて当て推量でしかないのだが。
 それでも仮に、ベリルがそういう女だとしよう──フィガロは考える。この仮定が無意味に思えるほど、たとえ拷問したところでベリルは素直に吐かないだろう、という予感があった。ブラッドリーから得られなかった情報をベリルで補填しようというのは、きっと無理がある。ブラッドリーがぺらぺら話しているとも思わないし、仮にベリルが何か知っているとしても、仇であるフィガロや双子に口を割るわけがない。そもそもベリルが我が身可愛さに情報を流すような女なら、ブラッドリーは気に入りもしないだろう。
 しかしその上で、ベリルが貴重な情報源であることは確かであって、尋問しない手はない。ベリルが何かひとつでも洩らせば、あとは魔法でどうにかできる。膨大な記憶を覗いて必要な情報を洗い出すのは手間がかかるが、糸口が見つかっていれば随分楽になるものだ。
 それに、尋問ついでにベリルの血や髪の毛でも手に入れられれば、ブラッドリーをゆする材料がひとつ増える可能性がある。効果のほどはともかく、手立てが多いに越したことはない。


 谷底の町へ向かう直前、そうやってあれこれ思案していたフィガロとは対照的に、双子はあっけらかんとしていた。「案ずることはない」と笑い、考え込むフィガロのことを嗤う。
 双子曰く、

「ベリルはとうに我らが手懐けておる。師が我らへの恩義を度々口にしていたゆえか、あれも我らに抗わぬ」
「多少意地を張るくらいのことはするかもしれんが、我らに詰められれば、最後は口を割るじゃろう」

 ……それがどうだ。

「──だから、さっきから何度も、言ってるでしょう。あいつとはただの腐れ縁で、私は何も、知らない」

 最初こそ大人しく会話に応じていたが、圧をかけた双子に真正面から抗うわ意地も張り続けるわで埒が明かない。今や双子が持ち込んだ茨に絡め取られ、立っていることもままならないくせに、ベリルの態度は少しもぶれずに頑なだ。
 この茨は魔力を養分に育つ特殊な種で、ベリルの魔力を吸収してめきめきと成長している。高さは既に天井にまで達し、凶悪な棘に覆われた蔓は、その一本一本がフィガロの腕よりも太い。
 これはこんなふうに育つものだったのだなと、フィガロは感慨深くなった。この茨、幼いオズの仕置きに使おうとしたときにはてんで役に立たなかったのだ。オズの魔力が強すぎて、過剰な養分を与えられた茨がすぐに駄目になってしまう。
 あのときは数秒と保たなかった茨が、ベリルににはどうやらちょうどいい。惜しむらくは、ベリルが双子の見立てよりも強情すぎる。殺さないようにとこの茨を選んだのに、ベリルがいつまでもこの調子なら衰弱死してしまいかねない。

「──そなたがブラッドリーから聞いたこと、ともに過ごして気づいたことを、なんでもよいから話してみよ。そうすればすぐ、解放してやるというに」
「この期に及んで意地を張っても、身を滅ぼすだけじゃ──」

 先程から双子が宥めすかしているが、効果はなさそうだった。茨が皮膚に食い込み血が服と茨とを赤く染めてもなお、ベリルは怯むことなく双子を睨み続けている。このままでは本当に、茨に付着したベリルの血を回収する前に、ベリルの石を回収することになる。
 とはいえベリルも無策ではないはずで、フィガロたちの来訪を予測していたようでもあったから、事前に何か仕込んでいたとしてもおかしくはない。
 谷底の町の隅々まで満ちるベリルの魔力。それがこの町の居心地悪さの正体であり、ベリルの有利な点だ。張り巡らされた結界のほか、風除け、雪除け、魔物避けなど無数の魔法が綿密に施され、さらにはベリルの魔力のこもった氷像たちが生き物のごとく自在に動き回る町。どこもかしこもベリルの気配が濃厚で、フィガロも思わず舌を巻いたほど手が込んでいる。その中にベリルが罠を仕掛けることは、木の葉を森の中に隠すのに等しかろう。見抜くには、フィガロといえどいくらか時間がかかる。
 挙句、この土地の精霊はどうやらベリル贔屓らしい。長年ベリルに従えられてきたからだろうか。この町に足を踏み入れた瞬間から精霊がざわめき、張り詰めているのを感じる。これは、敵意だ。力で以て解らせることは可能だが、そのための一瞬が隙になり得ることを考えると、なんともしゃらくさい。

(……ベリルをこれまで放置していたのは、失敗だったな)

 今更思っても遅いが、百年に一度でも顔を合わせて、上下関係を覚えさせておくべきだった。幼い頃からうまく躾けておけば、もっと違うかたちでベリルの能力を活用できただろうに。
 フィガロはベリルを見下ろし思索に耽る。どうすればこの魔女を宥め、懐柔できるだろう。フィガロはベリルを殺しにきたわけではないし、なるべく死なせたくはない。
 何せベリルは稀有な魔女だ。人間が住む町を一から作り上げただけでなく、人間がなるべく不便のない暮らしを営めるよう工夫を凝らし、恐怖による支配でも気まぐれな庇護でもなく、ただ実直にこの土地と人間を守護し続けてきた。少なくともこの北の国では、フィガロの知る限り類を見ない魔女。
 ベリルが何を考えてそんな生き方を選んだのかは知らないが、今日までのベリルの行動とその結果は、人間の目に『良い魔法使いの良い行い』として映ることだろう。
 それは、フィガロにとって非常に都合がいいことだ。

「嘘は、お望みじゃないんでしょう。だったら、私に話せることは、何も」
「……もっと賢い子じゃと思っておったが、見込み違いだったかの」
「そうじゃのう。ブラッドリーに義理立てしておるのかもしれん」
「あるいは、報復を恐れておるのかもしれんの。しがらみのある子じゃし」

 ベリルは、鼻で笑おうとして失敗したように見えた。うまく笑えなかったかわりに、噛み殺しきれなかった呻き声が喉の奥から漏れている。
 その前で、双子の声は白々しいほど軽やかだった。

「ベリルや。どちらにしても、あやつは牢の中じゃ。そなたが何を話しても、あやつが知ることはない。安心して、正直に話すがよい」
「っはは、的外れもいいところ。何もないって、ずっと正直に、言ってるのに。少しお会いしないうちに、耄碌しましたか。……っ、おいたわしいこと」
「ほう? 言わせておけば、この恩知らずめ」
「そなたは少し見ぬうちに、愚かにも身の程を忘れたか」

 双子の声が温度をなくす。並の魔法使いならとうに虚勢も崩れて命乞いを始めているだろうに、ベリルはまだ折れない。血の気を失いつつある顔に強気な笑みを貼り付け、挑むような目で双子を見据えている。
「話が違いませんか?」とフィガロは口を挟んだ。「谷底の魔女は自分たちが手懐けているって言っていたでしょう」

「どうやら話が変わってしまったようじゃ。ちと甘やかしすぎたか」
「ブラッドリーに何か吹き込まれたのじゃろう。あとで躾け直さねば」
「恋人ごときに影響されてころっと変わるような女には、あまり見えないですが」
「それでも、北には珍しい素直で礼節を知る魔女だったのじゃ。フィガロ、そなたも好みそうな感じの」
「ええ……?」

 何を根拠にそう思えるのか、フィガロは困惑した。今のところ、素直さも礼儀正しさもフィガロには向けられていない。せめてもう少ししおらしければ可愛げもあろうが、会話の矛先が変わったと見るや茨から抜け出そうと足掻いている様子は、しおらしさとは程遠い。
 ──この態度のすべてが、ブラッドリーへの愛と献身によるものなのだろうか。そうであるなら、大したものだとは思う。同時に、北の魔女がそうして身を滅ぼすことを哀れだとも思う。
 ベリルが足掻けば足掻くほど、茨は成長する。それはベリルもわかっているはずなのに、どうしても大人しくしていられないらしい。茨がみしみしと音を立てながら、ベリルをさらに締めつけるのを、フィガロは再び凪いだ目で見下ろした。

「……まあ、雑談はこのあたりにして。ベリル、おまえもこれ以上血を流したくないだろう。そろそろ素直に話したほうがいい。おまえには人間と上手くやれている実績があるし、穏便に事が済んだほうが、俺たちにとっても都合がいいんだ」
「話せることはないし、そっちの都合とか、知らないし……っ、穏便に済ませたいなら、これ、どうにかしてよ。今、すぐ」
「してください、だろう。従順なフリくらいしてみたらどうなんだ」

 もっと賢く立ち回ればいいものを。そう思って助言してやれば、簡潔明瞭に「嫌だ」とだけ返ってくる。
 フィガロは「どこが『礼節を知る魔女』なんですか?」と双子を振り返った。
 双子は「ブラッドリーのせいじゃ」と口を揃えて悲しむフリをして見せる。

「私が私であることと、あいつは、関係ないです。恋人でも、ないし」
「……だったら尚更、おまえがここで苦痛に堪える意味がないじゃないか。なんでも話してみなさい。どんな些細なことでもいい」
「だから……」
「『話せることはない』、それは何度も聞いた。おまえの言い回しは一貫して、『話すことがない』じゃなく、『話せない』だった。本当は何か知っていることか、気づいたことがあるんだろう」
「ただの、言葉の綾だ」
「本当に?」
「疑うなら、記憶を覗けばいい」

 どうせ何も出てこない。そう吐き捨てたベリルは、どこまでも挑戦的な笑みを浮かべた。その笑い方は、ほんの少しブラッドリーを彷彿とさせる。
 魔力と血液の両方を奪われているにもかかわらず、ベリルの目はまだ生気を失っていなかった。これを言いくるめるのは、さすがに骨が折れる仕事だ。
 フィガロは溜息を落として、ベリルの前に膝をついた。生意気な目を覗き込むようにすると、ベリルはあからさまに顔をしかめる。

「膨大な記憶から探し出すのは手間がかかるし、おまえの何もかもを明かすことになる。それは俺にとっても不本意だ。興味もない」
「……何を言われても、あなたたちに聞かせる話はない」
「頑なだな……。まあ、俺たちがブラッドリーを奪ったようなものだし、そうなるのも無理はないが」
「別に、そういうのじゃ──」
「それでも、ブラッドリーが特別だった。そうだろう? だから俺たちが憎くて、手を貸すような真似はしたくない。ブラッドリーを裏切ったようで、気が咎める」
「……的外れだ」
「全くの的外れでもないはずだ」

 ベリルは一度、おそらく反射的に口を開いた。しかし、そこから言葉が出てこない。言うべき言葉を見失ったかのように口を閉じる間際、その表情に苦々しさと淋しさとが浮かぶのを見た。
 強気に見えても、確実に心は弱っている。

「ベリル。もう限界が近いだろう。賢くなりなさい。話してごらん、大丈夫。どんな些細なことでも、話してくれたら、俺がきみの味方になる」
「は……」

 虚勢の綻びを逃すまいと、フィガロは言葉を紡いだ。優しく穏やかな声で、寄り添うように語りかける。

「きみの決断を肯定してあげるし、その傷もきちんと手当しよう。気が咎めるなら、気が楽になるまで寄り添って、淋しい夜には、朝が来るまで隣にいるよ。愛の言葉でも、蕩けるような熱でも、望むものを与えてやろう。きみが焦がれる男の姿で、そうしてあげたっていい」

 丸く見開かれたベリルの目に、微笑むフィガロが映る。
 互いの目を見つめる時間はそう長くはなかった。ベリルが白い顔を歪める。

「死ね」

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